養老2年(718)、飛鳥にあった法興寺(飛鳥寺)が平安遷都に伴い現在地に移転し、元興寺と改称されました 現在、史跡元興寺として指定されているのは中院町の「元興寺極楽坊」、芝新屋町の「元興寺大塔跡」、西新屋町の「元興寺小塔院跡」の3か所ですが、元々は南都七大寺にも数えられた「元興寺」という一つの大寺院でした |
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国宝 極楽坊本堂
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左は国宝 禅室、右は国宝 極楽坊
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国宝 極楽坊本堂
平安時代半ば、その勢威も衰え、現在は僧坊の一画が唯一現存しています 極楽坊はかつての元興寺僧坊の東端部分を鎌倉時代に改築したものです 内陣周囲の太い角柱や天井板材には奈良時代の部材が再利用され、また 屋根瓦の一部も飛鳥~奈良時代の古瓦が使用されています |
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左は国宝 禅室、右は国宝 極楽坊
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解体修理(1943~1955年)の結果、使用可能な古瓦は そのまま葺かれており 赤褐色、黒っぽいものは飛鳥時代、白っぽいものは奈良時代、いわゆる瓦色のものは昭和の瓦です |
浮図田(ふとでん)
2500余基の石塔、石仏類(総称して浮図)は寺内および周辺地域から集まったもので、新たに田圃の稲の如く整備した
09.08奈良旅行 |