想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

アザミの様な花

2015年11月14日 | 


この花の名前を
私は知らない
しいて言えば
アザミのような花
としておこう

名も知らぬ
遠き野山の
向こうから

風に乗って
飛んできた
一粒の種

小鳥に
運ばれ飛んできた
一粒の種

私は知らない
そのルーツを

アザミのような花
その神秘さが
私の心を
揺さぶる

誰も
初めての経験に
わくわくする

いつのまにか
我が庭が
気に入って
いついでしまった花

アザミのような花
名前は知らない
ただ 私は
そう呼んでいる

アザミのようで
アザミより
きれいな花

素朴で
可憐で
それ以外の
言葉が
浮かばない

アザミのような花
そう呼んでいる

いつか
正式な名前を
知るまで

アザミのような花
わたしは
そう呼んでいる

 

 

ハロインも終わり
ひっそり佇むパンプキン
その朱色がまぶしすぎる

やがて 次は
クリスマス

そして
お正月

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電光石火の技持つ雨蛙

2015年11月13日 | 我が家の庭

  最近、毎夕懐中電灯を片手に、1回は庭に植えてある白菜等の野菜を見に回ります。特にナメクジや青虫が来るからです。

 ある日、不思議なことに雨蛙がちょこんと葉の上に座っているのではありませんか。それも、数回です。

 どうしたのかな、と、軽く想ったりしていたのですが、先日、その意味が分かりました。訳があって、ここにいたのです。追い払わなくてよかったなと、つくづく思いました。

 実はそこにいた青虫を食べていたのです。それも、青虫がいたので、そっと、雨蛙の前それをに置いてみたのです。しばらくしたらぱくっと食いついて食べてしまうところを見たんです。

 ほう、雨蛙はこうやって害虫たる虫を食べていたのかとあらためて感心しました。カマキリが食べるのはよく知っていました。

 このおかげで、白菜も守られているんだな。自然界はこうしてバランスが保たれているんだなと感心した次第です。私にとって大きな発見でした。

 食べるところをビデオにとれなくて残念でした。また、シャッターチャンスをねらいます。

 

雨蛙 
  葉っぱの上で
            
何を待つ

前を見て じっとしている   雨蛙
目線の先には 青虫がいる
その静寂の 一瞬を見逃さない
わずかな動きを察知し
電光石火 食らいつく

静寂の中の
一瞬の動き
それが自然界

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菜園の菊、満開!

2015年11月13日 | 家庭菜園

震災5年11月13日

 ためしに、春から菜園に植えてあった菊が満開になりました。本当は苗を二つ植えたのですが、いつの間にか一つは消えてしまいました。惜しいことをしました。来年はもっと、たくさん植えて野菜と花を植えてみたいです。

 この種は見事に円くなる種で、昔はなかったように思います。ほっておいても円くなるので、とても管理しやすいです。来年はほかの色も入れてもう少し見栄えも考えたいです。

 桜とともに菊はやはり日本の花ですね。こんなに見事に咲くとは思いませんでした。品種改良は日増しに進んでいます。

  

今日の朝食

出されたものは好き嫌いせずに何でも食べようとしています。本当は昔のように麦が入ったご飯のほうが健康的かもしれません。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の始まり…!

2015年11月09日 | エッセイ

 以前、ラジオから流れた「人は毎朝生まれ変わる」という言葉が気に入って、よく使うようになりました。朝は、一日のスタートです。基本的には6時ちょっと前に起床します。

 パンツ一丁になり、乾布摩擦です。足の先から背中、首、腕をタオルで磨き上げます。心臓から流れた血液が体中に流れていくような気がします。滞ることのない血液の流れが人を健康にします。このことに気をつけています。

 これが、私の健康生活のはじまりです。もう、かれこれ、10年以上は続いているのでしょう。そのわけか、ここ十数年は風を引いたことがありません。

 胡麻も昔から健康にいい食品だと聞いていたので、少々を口に入れかみ砕いて食べるようにしています。(胡麻は殻を破って食べないと意味がない。)ビタミンEも豊富で体にとても良いようなきもします。

 これは、江戸時代、東海道を旅していた人々が、ごま塩がかかったおむすびを持って長い道のりを何日もかけて歩いていたことにヒントを得ています。

 病気は病が半分気が半分と書きますが、私は気の部分の方が大きいきがします。どういうわけか、毎年、インフルエンザにもかかりません。幸せなことです。ごまと乾布摩擦のおかげだと信じています。

 ただ、何でも「過ぎたるは及ばざるが如し」も真理なのです。日本には昔から◯◯加減といういい言葉があります。味加減、塩加減、さじ加減…。英語流に言えばバランス感覚でしょうか。

 さて、人間の健康は食生活と運動が大きく関係しているのではと思います。命のある限り心臓は血液を送り続けています。この流れに、それらが大きく関連しているのです。

 考えるだけで、脳の中の血流が増えるという話も最近よく言われます。

 流れて続けていることに大きな意義があります。流れが滞ったときに大変なことが起こるのです。気も、水も、空気もすべてのものの流れが、名もなく貧しく美しく流れ続けることこそ人生で最も大切なことです。

 この流れがどこかで、滞ったときに諸々の問題が出てくるのです。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなしです。(鴨長明 方丈記より)

 そして、すべてのことは、諸行無常で変化しています。変化こそ真理です。そんなことを言っていてもやがて私にも死が訪れるのでしょう。この瞬間はいつなのか、神のみぞ知るということです。

 ですので、毎日毎日を感謝と希望で生きるのです。過去をいくら、愚痴ってももどりません。未来はまだまだ自分で作り出せるという希望があります。そうです、人は希望に生きるのです。
 
 
 乾布摩擦が終わると、朝のウォーキングです。ウォーキングでは歩きながら色々な動きや思考をめぐらします。考えて歩きます。新しいアイデアを考えたり気分転換をするにはウォーキングが一番いいようです。後ろ向き、大股歩き、横歩き、スキップ等です。

 そして、空を見上げ、今日もがんばるぞ!と、気合いを臍下丹田に入れ、新しく生まれ変わった自分を自覚して朝の一日が始まります。きょうもどんなドラマが始まるか、どんなドラマを作り出してゆくのか、演出家になったつもりで身を引き締めます。

 ふと、遠くを見ると、アルプスの山々がはっきり見え、今日の大気の状態もよく分かります。そんな時、遠くには霊峰富士が冠雪を抱き私を見つめます。周りに種々の生き物が生え、動き、生を天よりいただいているのは人間ばかりで無いんだなという気持ちを新たにします。地球はすべての生き物な楽園です。

 嵐も吹けば、雨も降る。それが、自然というものです。時は流れ、そこには自分がいます。


 美しいこの青い惑星地球をみんなでシェアすることの大切さをしみじみ思います。今後の温暖化は地球に大きな影響を与えます。どうにかしたいと思います。

 適度に汗ばんだ体で家に着くと朝の食事です。6時半頃からです。なるべく好き嫌いをせずに、何でも食べるように心がけています。今日の食事を紹介します。まあ、こんなものです。一汁◯菜でしょうか。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マガモ夫婦2

2015年11月07日 | 野山散策

 前回も、その池に鴨の仲の良いカップルがいたので、今回見に行ったところ、やはり、住み着いた様な感じだ。

 野生の鴨ではあるが、人が近づいても恐れることなく、すいすい泳ぎ回っていた。その姿がユーモラスでもあり、ほほえ
ましくもあった。

 夫唱婦随とはこのことだろうか。

 

https://youtu.be/GftHn1dK5WM

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする