想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

今年の地域福祉懇談会から

2011年10月29日 | インポート

 社会福祉協議会が主催する地域福祉懇談会が今年も「みねだ会館」で実施された。今年は特に3月11日の震災もあり、絆を深めるいい懇談ができた。人の力だけでは、こんなにはならないだろう。沢山の犠牲を出した震災から沢山のことを人間は学んだのだと思った。東海地震が来るだろうという警告が出てからだいぶたったと思うが、その間、阪神淡路大震災が発生し都市型災害のインフラへの影響の大きさを知った。その後、今年の東北大震災は未曾有の出来事となり原発放射能の問題も抱えてしまい、今以て大きな爪痕を残している。そういう事態となり、今年の懇談会は実りの大きなものになったような気がする。本当はそういうことが起こらなくてもコミュニティや絆の大切さに気づき実践していかなくてはいけないのだが、人間の弱さというか、自分たちの身に降りかかって見なければ目覚めないのは残念だが仕方がない。災い転じて福となすしかない。
 このことから、お隣の韓国や国際社会がよくやる、仮想敵国の驚異を人為的に作り国民を奮い立たせる手口がある。大衆心理とはこういう災害や脅威がないと、目覚めないのが人間であるという一面をかいま見たようである。
  「災害は忘れた頃にやってくる。」と、いう言葉があるが、東海地震いや東南海地震はてまた、3,4連動の大きな地震はいつくるのだろうか。いつかは来るはずである。わが地区は海抜6M前後であり、太平洋からわずか5Km、原発からは10Kmの近さにある。まともに受けたらとんでもない事態になる。常日頃から備えをしておかねばならない。正直困っているのが現実である。なぜなら、災害は我々貧困層を大きく襲うからである。

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感性

2011年10月25日 | インポート

  感性 センス 直感 言葉では言い表せない感覚が根本では支配していると考えてます。教育できるものではない。もう、生来のものだと思います。教育しようと意図すると逃げてしまうもの。それが、感性であると思います。人生はパッションだ。と、岡本太郎はいったかどうかわかりませんが、多分そんな感覚で彼は生きてきたのではないでしょうか。よの芸術家はみなそのような感覚を持っているのだと思います。

 さて、私が先日文化展で見た作品ですが、
 「これだ。」
と、ひらめいた作品があります。色といい、まとまりといい、何となく私を虜にしてしまった作品でした。私のうちなる感覚ととけあうといいましょうか。何ら違和感がなく私の中に入って来ました。気がついて見ると私のなかにいつのまにか居座っていたという感覚かもしれません。こんなとき、素敵な出会いがあった。これが、邂逅なのか、と、思います。人生には色々な邂逅があります。その一つ一つが私の人生を作っているのかもしれません。

 この世界は自己満足の世界かもしれません。しかし、このようなことをバネとして毎日の生活が充実もしてくるのです。理屈では言い表せない世界。この世界こそ生きている自分がそのことを実感する世界ではないでしょうか。やはり、芸術は全てのものを包含する奥のふかいものだと思います。だから、人生は芸術であるという先哲の言葉も心に響いて来ます。久しぶりに自分の分身に出会えたようか気分でした。

下の作品は池坊ですが、淡いパステルカラーの色がとてもまとまっています。構図と言い、色遣いといい、アクセントといい、空間の使い方といい、全体的な調和と言い申し分のない作品だと思いました。

下のは私が育てている大文字草です。

 

 

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夏の雑草の切り替わり時期

2011年10月18日 | インポート

  夏の雑草が冬の雑草と入れ替わる時期になりました。エシャレットの上を覆っていた雑草も枯れ始めエシャレットの葉がのぞけるようになりました。雑草にも季節があります。夏草は根も腐り始めているので抜きやすいです。

 キャベツ カリフラワー ブロッコリー 大根 水菜を植えました。左上にある木のような野菜はオクラです。まだまだ、オクラは収穫ができます。

 

 

 

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足るを知る

2011年10月09日 | インポート

 どこまでいけば足るを知るのだろうか?最近のテレビのデジタル化でつくずく思いました。我が家もデジタルテレビを買いました。リビングに置いてみんなで見ていますが、見始めた当時はきれいにうつるものだなと、感心していましたが、慣れてしまえば昔のテレビとあまり代わり映えしないようです。
 私にとって、また、団塊世代に取ってはテレビよりラジオの方を充実させて欲しいと願っています。私たちの地域は部屋にいてNHKラジオやSBSの民間放送がよく入らないのです。これだけ、技術が進歩しているはずなのにラジオがよく聞こえないなんておかしな話だと思います。NHKに連絡してもらちがあきません。ラジオの方が災害に強いし東日本大震災以来必要だと思うのですが、ちっとも、設備を増強していないようです。これも、資本の論理で営利主義の弊害だろうと思います。デジタルテレビは確かに大きなお金が動きます。このような欲望はどこまでいってもきりがありません。ここで、「足るを知る」ことの大切さがあるのではないでしょうか。今やエネルギーも全世界で消費し過ぎです。
 今日の新聞に「2010年の世界全体の二酸化炭素(CO2)排出量は、1990年に比べて45%増え、過去最高の約330億トンに達したとの報告書を、欧州連合(EU)の研究機関などが8日までにまとめた。」と、出ていました。また、「オゾン層が北極でも大規模破壊確認」なる記事が出ていたのも先日でした。どこまで、いったらきりがすむのでしょうか。地球はもう限界に来ているのです。
 最近は、晴れの日と曇りの日との温度差が激しいことも気になります。私が子どもの頃はそんなことは無かったように身体が記憶しています。これも、オゾン層の破壊が日光を遮ることなく晴れの日は直接大地に当たることから来ているだろうということぐらいは素人でも予測がつきます。このままでいくと、皮膚がんが益々増えていくことでしょう。ここらで、人間も「足るを知る」ということを自覚しないととんでも無いことが進行してしていることが分かります。また、地熱発電の話も出ていましたが、今のところは地球に穴を開け地熱を使っても微々たる所でしょうけど、これが大規模で進んでいけば、地球にひびが入るわけですので大変なことになるわけです。足るを知りエネルギーを消費を減らすことを考えないといけません。そのためにはGDP→GHPなる考え方に変換し、地球は人間だけで成り立っているのではなく、全ての生物の中に人間もいるという考えを広めなくてはいけません。今、叫ばれている地域のコミュニティという運動も広く生物全体のコミュニティという考え方にたたないと、地球の未来はありません。人が人として生物の一員として種を存続して行くためにも、そのことは重要です。そろそろ舵をその方向に切っていかないととんでも無いことになります。勉強ができなくてもいい。物が豊かでなくてもいい。一番大切なことは一人一人が幸せを感じる世界が大切です。それには人だけで地球は成り立っていません。生き物全てとの調和で地球は成り立っています。「足るを知る」
 この事をもう一度考えようではありませんか。欲望は無限です。欲望に生きるのではなく、幸福に生きるのです。足るを知ることなくして今後の人類はありえません。

 


吾唯足知(われ ただ たるを しる)」

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マッターホルン(詩)

2011年10月08日 | インポート

 

 

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