コロナ4年1月11日(ウクライナ、ロシア戦争2年)
不易流行、諸行無常、世の中は刻々変わっています。コロナやウクライナ侵攻を誰が予見したでしょう。この変化の激しい時代、私たちシニアはどうこの難局を生き抜いていったらいいのでしょう。今日はそのことを考えてみます。
①過去のシニア像
・65歳で引退し年金暮らしを満喫する。
・過去の資産にしがみつきそれを守るだけで精いっぱい。
・遺産を清算し妻や子供に残す。
・自分が培って来た技能、智慧を残された人に伝承し若い世代を育てる。
②新しい時代のシニア像
過去のシニア像は引き継ぐのは勿論、それにプラス、培った経験や智慧をもとにシニア世代自ら、健康で身体が動く限り新しい時代を切り開く。そんな時代なんだなとつくずく最近は感じています。
私も後期高齢者となりその責任が求められているのだなと実感しています。いわゆる不易の面は残しつつ、流行の面を若者と共に作り上げていくという気概が肝要かと想います。その気概はオーラとなり少なからず周りにも影響を与えます。
いわゆる波動が惹起されるのです。人生はリズムです。波動です。その波は瞬時に伝播します。
今後、年金は減額傾向のこともあり、自分で財テクしていかなくてはいけません。今、数々の金融商品が溢れかえっていますが、その方面の知見も大切です。益々そういうシニア像が求められる時代になったなと想います。
事をなす時、意識の面では年齢は忘れて、時代に対処していく必要があります。それには、いつでも頭を赤ちゃんの頭、すなわちタブララサ(無の状態)にし、いつでも本質に戻り、そこから新しいものを生み出していくのです。クリエイティブなことをするときは伝統や常識は敵になります。何事もゼロベースで考え、そこから、本質に迫り新しい時代を切り開くのです。創造とはまず、本質に戻るところから始まるのです。
このことは一朝一夕にできることではありませんが、これからの若者は若いうちからこの辺のことに道筋をつけながら進んでいく必要があります。その為の健康は最優先です。
年金に変わる財源を自分で生み出し、また、新しい人間にとって有効な社会の仕組みを作り上げていかねばならないと想います。
そういう時に経験値に裏付けされたシニアは大いに力になるのではと考えています。
身体が動く限り、年齢を忘れてそのことに生涯を掛けようではありませんか。まだまだ、シニアは捨てたものではありません。今後はそんな年齢を忘れたシニア像が求められる時代になったなと想っています。
ITは若者だけのものでなく、シニアも自然に使えるのが肝要です。いわゆる読み書きITです。
若いから、年寄りだから、男だから、女だから、国籍も関係ありません。皆同じ人間という所から考え行動していけばいいのです。皆同じ地球上の生物の一員です。まあ、千里の道も一歩一歩、一歩後退二歩前進し、失敗は成功への一里塚と考えて、自分で感じ、自分で調べ体験し、気づき、そこから次のステップに発展的に思考することが大切です。
生活科と総合学習はその為にできたのです。そうこうしているうちにもシニアはいつか永遠の旅立ちがやってきます。そしたら、その時、考えればいいのです。
健康なうちはどこまでもポジティブ思考ですすみましょう。強い自己肯定感に支えられ、つまずいてもいい、そこからまた、新しい何かを掴むでしょう。
人間はやはり考える葦でありましょう。「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」 とは、17世紀フランスの思想家パスカルのことばであります。
広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎませんが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができます。
ここに人間の尊厳があり、偉大さがあります。このような偉大と悲惨、無限と無という相矛盾しあう二律背反のなかで、揺れ動く人間の存在を、パスカルは「考える葦」ということばで象徴させているのであります。
このか弱き「人間」の代わりに「シニア世代」を当てはめればまさに新しい時代のシニアの像にぴったりくるでしょう。健康に留意し百歳まで頑張りましょう。人生百年時代がやって来たのです。