想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

尾畠さん 母に抱きしめてもらいたい

2018年09月24日 | エッセイ

震災8年9月24日

 スーパーボランティア尾畠治夫さんのドキュメンタリーがTBSで昨夜10時から放映されていました。私は録画をして、後でじっくりみてみました。

 特に今夏の明るいニュースを尾畠さんが提供してくださいました。あんな美しい心を持った人が今どきいるだろうかとびっくりしているところです。どのお顔も、素晴らしいです。まさに、長年私がわすれていた偉人といわれる人でした。

 最近の道徳では偉人は扱わなくなりました。誰もが、まねできないからでしょう。凡人と同質な人の生き方を問う場面のペーパー道徳が多くなってしまいました。それはそれでいいと思います。昔は修身といわれる死んでもラッパを離しません的なものしかなかったのだから、しかし、今の道徳も修身から離れすぎて普段の人の生き方を問うペーパー道徳になってしまいました。道徳も教科に格上げさせられ教える時代になりました。やはり、同質的な人間を扱うとともに永遠になれないかもしれないけれど、異質な偉人を扱ってもいいとおもいます。大切なことは片方だけをみるのでなく、その同質性異質性の両面を考え実践することが大事なのです。

 今回の尾畠さんの美しい心からにじみ出た行いは称賛に値しますし、利己主義、拝金思想がはびこる中にあって久々の世の中を明るくするビッグニュースでした。

 さて、偉人は我々の凡人では真似だできないだろうけど、その方向を向くことはできるだろうと思います。永遠にベクトルの向きの先に偉人がいると捉えたなら偉人の存在も大きな意義を持つのではないかと思います。

 私たちと違う人なのよと、軽くいなしてばかりいないで、できないかもしれないが、そういう人を尊敬して、その方向に日常のエネルギーを向けていくことはできるのです。ある人は1%のボランティア精神でもいいのです。それが、少しでも伸び2%になるだけでも…、それで、日本の社会が住みよい社会になっていくのです。

 人はしがらみの中で生きています。妻をめとれば、彼女のことも考えなくてはなりません。子ができれば、子の人生も考えなくてはいけません。突拍子なことはできないのが普通です。その中にあっても凡人であったも、ベクトルだけは偉人に向けることができます。

 今、そのベクトルの向きが、表面的な個人利益にだけ、向いている人が多数になってしまっているのが、憂えることです。企業も個人もお金の遥か先に「万人の幸せの為に」を置いてほしいのです。また、何のためのお金なのか、企業がお金をため込んで何をしようとしているのか、その先にあるものが大切なんです。それを失ってしまったら本当の幸せは来ないのではないのでしょうか。尾畠さんの行動からそんなことをたくさん勉強させていただきました。

 心の底に真心を持った人は、しゃべることすべてが本物で温かい心そのものでした。世のため人のためにすべてをささげた人でした。言葉の端々にその誠がほとばしり出ているお話がたくさん聞けました。マザーテレサやガンジーにも匹敵する人だと思います。しばらくそのようなタイプの人は出ていませんでしたので、特に驚きです。

 お顔を何枚も見ましたが、どれをとっても本物の方でした。今があるのも、皆さんのおかげとおかげを連発していたのも印象的です。このおかげ様という言葉も最近はあまり言われなくなり、寂しい限りです。私が子どもの頃はよく聞きました。

 今、誰もが、大学に行く時代にあって、彼は大変な家庭に生まれ、10歳のころにはお母さんをなくしたと聞きました。インタビューでも母の恩について語っていました。その中で「母に抱かれてあばら骨が折れるまで抱きしめてほしい。」と、涙ながらにいっていた尾畠さんの姿に特に感銘を受けました。やはり子育ては賢い母の力によるところが大だなと思わずにはいられません。OJTという言葉がありますが、尾畠さんは学歴こそありませんが、生活を通して生きた真っ当な処世術をたくさん学ばれたのだと思います。

 78歳のおじいちゃんですら甘えたように母にあのような姿を見せるとは、まさに「母の恩は海よりも深し父の恩は山よりも高し」を地でいっているようでした。普段忘れていたおもいやり、感謝、畏敬に念がふつふつと沸いてきました。やはり、母はいつまでも、心のふるさとであり、心に生きているんだなと思います。 

 今、世の中で困ったことに、何でもできるように錯覚して、感謝、尊敬、思いやり、畏敬の念が薄らいでいるように思います。何でもできるのでなく、勝手にできると思い込んでいる独善的な自我があるだけだと思います。そんな姿を神様は天から見ておられるのです。

 どんなにもがいても、どうにも自分だけではならないことがあるんだなという謙虚な姿が必要だと思います。「どんなにどんなにやっても、陽子の力では…で亡くなっていった三浦綾子さんの氷点」の原罪を思い出すのです。そこに個人だけでは解決できない、信仰の心がかかわってくるのだろうと思っています。

 尾畠さんも特定の宗教には入っていないかもしれませんが、きっと、信仰心の厚い人だろうと推測されます。信仰ほど強いものはありません。知識は思想となり信仰へと昇華してゆくのです。そして、不動のものとなります。

 天草の隠れキリシタンをみればわかります。人というのは、我以外の何かに支えられないと生きていけないものだろうと思います。だから、我以外皆師であります。そして、人様の喜びの為に生きてゆけるのが一番幸せなことではないでしょうか。いいことがあれば人さまにもそれを分け与え、一緒に喜びたいと思うのが人情ではないでしょうか。

 今回の尾畠さんの素敵な出来事は日本中を明かるくしてくれました。尾畠さんありがとうございました。

 

 

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「後悔先に立たず」から想う

2018年09月17日 | エッセイ

震災8年9月17日

 「後悔先に立たず」「後の悔い(のちのくい)先に立たず」と、いう言葉があります。本来は、過ぎ去ったことを後から後悔しても取り返しがつかないので、事前に十分注意しなさいという教えです。

 

 私的には後悔はしない主義です。すんだことは、どうしようもないからです。悔やんでも幸せになりません。ならば、それを事実として受け入れることです。そして、それを前向きのエネルギーの変えていくことなのです。その事実から、今後どうすべきかを反省し考え、次回に生かすことです。それが、大切なことです。明るい未来を悔いだけに費やしていては損です。それを生かして、今後の社会をどう生きるかにエネルギーを向けていきます。悔いが悔いを呼び、負のスパイラルにはまってしまいます。だから、過去は素直に受け入れています。だって、すべてのことは、自分がしているようでいて、実は神様がすべて仕組んでくれていることですもん。私はその大いなる意思のもと、生かされているんだから、済んでしまったことは仕方がないと受け入れます。その過去をどう未来につなげるかが大切なことだと思います。いつも未来をどう描きクリエイトするかに今の自分はエネルギーを使うようにしています。

 

 古希を過ぎ、体力は年々弱って来ています。反面、気力は充実した毎日を送っています。体力は物の世界ですので、衰えていくことは仕方ありません。自然界でいえば風化です。流れていけば石の角が取れて丸くなるようなものです。そういうことは、とにかく受容してしまいます。

 70代に突入すると、昨年の自分の体力と今の体力では明らかに違って来ていることに気づきます。全ては諸行無常の世界です。でも、精神世界は益々充実しています。それは、永遠の世界へとつながるものだと思っています。精神にはもともと質量も形もないわけですので、壊れることはありません。だから、無限の世界です。いつも、仏様の前で手を合わせ、般若心経を唱えていた懐かしい、亡き父の面影も浮かんでまいります。きっと同じような心境だっただろうなと思います。

  父といえば、根が家具職人でもあり、その後は河合楽器でピアノの試作の仕事をしていました。設計図を見ながら新しいピアノを作るのです。さぞ、生き甲斐のある仕事だったろうなと推察します。生前、よく仕事の話を聞かされています。

 今でもよく思い出すのは、父を75ccのバイクに乗せて山までドライブし、父が幸せそうにトリスのウイスキーを山の頂上で飲んでいた映像です。

 さて、最近AIの時代だといわれて久しいわけですが、ホリエモンが「10年後に消える仕事、現れる仕事」なる本を落合陽一氏と協賛して出版しています。中身は見てありませんが、たぶん、人でなければできない介護や教育、営業、演出などの仕事はAI化も進むのでしょうが、確実に残っていくでしょう。しかし、銀行業は仮想通貨の進出もあり、大きく変わっていくものと思われます。そして、単純な繰り返し仕事は益々AI化されたロボットなどが進出してくるものと思われます。だから、これから大事なことは、人間力溢れる力がより重要になる気がします。芸術の世界はやはり、人の感性ですので、最後まで残っていくでしょう。そうです。人間が人間たる感性や情操の世界は永遠に残っていくでしょう。また、信仰の世界も永遠のものでしょう。AI時代だからこそ、また、人間とは何かと問う「人間ルネッサンス」の再来が来るのでしょうね。

10年後の仕事図鑑
クリエーター情報なし
SBクリエイティブ
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「荒くれ漁師をたばねる力」を読んで

2018年09月11日 | エッセイ
荒くれ漁師をたばねる力 ド素人だった24歳の専業主婦が業界に革命
クリエーター情報なし
朝日新聞出版

震災8年9月9日

 

 2011年に東北大地震があったのですが、それも足掛け8年が過ぎ、先日も北海道で震度7の大きな地震ありました。自然は侮ると大変なことになります。早く復興して欲しいですね。それと、最近の日本列島も温暖化ばかりでなく、付随の自然災害は頻発しています。気を引き締めて生活したいですね。

 

 

 

  さて、ある本屋の前で「荒くれ漁師をたばねる力」という本が目にとまりました。ぺらぺらめくっていると、表紙のお姉さんがきれいなばかりでなく、内容が斬新で読んでいるうちにどんどん引き込まれてしまい、その本を図書館で借りることにしました。幸い、新しい本なのに、近くの図書館にあり、すぐ、借りることができました。家に帰り一気に読んでしまいました。

 

 読みながら色々な事が脳裏に浮かんで来ました。ど素人だった24歳の専業主婦が漁業界に旋風を巻き起こしたのです。文字通り荒くれ男社会に3歳の子を抱えて飛び込んでいった熱血感溢れる若い母親の物語です。実話であり、文体は文学作品の文章とは違って洗練されていませんが、その方の足跡が手に取るように分かりました。久しぶりに心が揺さぶられる作品に出合えました。

 

 主人公は大学を中退し、離婚し、子持ちシングルマザーです。どこからそんなエネルギーが出てくるかという女性でした。きれいな人ですので、着飾ればどこかの女優さんのような顔立ちですが、考えること、行動力は並はずれていました。

 

 どうして、そういう力が湧いてきたのかも、考えてみました。まあ、今でいう男勝りという女性でしょう。すごい女性もいるもんだな、しかも、まだ、二十代と若いではありませんか、しかも、子連れでシングルです。並大抵のことでは、男社会の、しかも、見たこともない漁業の改革だなんて、想像すらできません。

 

 飽食の時代と言われ久しいわけですが、今の若者も、昔の若者もエネルギーも持つ人は同じようにいるんだなとつくづく思いました。千差万別、色々な人がこの世にはいます。若者を心配することはありません。次から次へとこういう人は必ず出て来ます。

 

 一人の人間の成長の裏には必ずその人の生い立ちが大きく関連しています。彼女もまた、その萌芽を生い立ちや子供の頃の想いに宿していました。彼女は福井県の事業家の家に生まれ、祖父は不動産と繊維で成功し材をなし、また、父も保険業やレンタル業を営む経営者でした。きっと頭もよかったのでしょう。子どもの頃は何不自由なく暮らしていたのにもかかわらず、彼女はその環境に満足することなく、違和感さえ抱いていたということです。普通の人なら満足してしまってそこで終わりです。凡人とはそこが違うんですね。彼らなら、そこで満足してしまうのが、落ちですが、安穏とした現状を憂えていたのでしょう。器が違います。

 

 子どもの頃は、船乗りかパイロットになりたいというあこがれを持っていました。あこがれを持つということは凄いエネルギーに繋がりますね。いつか、福井を離れて世界に羽ばたいてみたいと思っていたようです。そのためには英語力だといって、高校生の頃にはオーストラリアにも留学もしています。その頃から、行動力も並はずれなものを持っていたようです。反面、高校生の頃にはまさかの病気も患い余命半年といわれたこともあったようです。余命半年と宣告された時の驚きは将来に大きな影響を残したことは安易に想像できます。そのむなしさと、恐怖が未来をつなぐ漁業との縁に繋がり漁業の改革へと彼女を誘っていったようです。

 

 折しも、国では農水省が「地域資源を活用した農林漁業者等による新事業の創出等及び地域の農林水産物の利用促進に関する法律」(六次産業化・地産地消法)の制定が後押しをしていました。
平成22年12月3日に公布されたこの法律は、
(1)農林漁業者による加工・販売への進出等の「6次産業化」に関する施策
(2)地域の農林水産物の利用を促進する「地産地消等」に関する施策を総合的に推進することにより、農林漁業の振興等を図ることを目指しています。

 

  その流れもあり、国も漁師と消費者の間にある中間業者を通さずに魚を売る新しい流れを推奨していました。

 

 昔から続いている漁業組合に魚を卸し漁師は単に魚を取るだけという現状はずっと続いていました。また、魚の水揚げも近年徐々に減少の一途を辿り、漁師たちは危機感を抱えていながら、転職したりどうしようもない現実があったわけです。彼らもそれなりに直販なども考えてはいたのですが、その辺の知識や行動力はあまりなく、困難を抱えていたわけです。そこへジャンヌダルクのように現れたのがその女性、坪内知佳さんであります。因縁果という言葉がありますが、まさに因と果が縁で結ばれたのです。

 そんな折、ひょんなところから出会いがあり、彼女はその現実を知ることになります。彼女は幼子を抱えて生きてゆくために得意な英語の翻訳やインターネットで細々と生活をしていました。島の漁師と関わるようになり、持ち前の男勝りの性格と、幼いころからの想いに火が付いたようです。

 

 荒くれ漁師たちと葛藤や時には争をしながらも、漁師や日本の将来の漁業のことも想いその漁師たちの代表となり、奔走することになっていったのです。そのエネルギーは誰も真似できないぐらいの凄いパワーだと思いました。子どもを持つ母親の強さをまざまざと感じさせてくれました。「母の恩は海よりも深し、父の音は山よりも高し」と昔の人は言いましたが、その母の力は偉大だったなと感心した次第です。なかなか、そういう女性はいないと思いますが、坪内知佳さんという強くて才能のある男勝りの女性がいたという事実は本を読んでいて、飽食の時代に大きなインパクトを与えてくれましたし、私の生き方にも後ろから背中を押された思いでした。

 

 京セラを起こし、晩年JALを再建させた稲盛和夫さんは、会社を経営するときは「私心無かりしか?」と、自問自答して身を引き締めた経営にあたったといた言葉を思い起こしていますが、まさに、彼女はそれにまして、凄いエネルギーがあったように思います。

 

 私なら、是非、メガホンをとって、映画化してみたいですね。そうすれば、ヒット間違いなしの物語になるでしょう。主役には大竹しのぶさんが浮かんできますが、ちょっと年を取り過ぎているかな、なかなか若い役者さんで、男勝りで苦労人でしっかりした役者さんは思い当たらないですね。

 

 

 

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アオスジアゲハの吸水?

2018年09月01日 | 野山散策
ガルシアエクストラバージンオリーブオイル ペット 1000ml
クリエーター情報なし
富永貿易

震災8年9月1日

 久しぶりで、アオスジアゲハを間近で観察できました。子供の頃、もっとも馴染みのある蝶の一つでした。俊敏にすごい速さで飛び回るその姿は明るい青色の筋とともにきれいな蝶だなといつも想っていた少年時代がありました。

 そして、ヤブガラシの花に止まり吸蜜する姿も脳裏に焼き付いています。今回は、間近に来て吸水をしているのか、近寄っても動きません。こ

 こぞとばかり、シャッターを押しました。いいところが動画でも撮ってありますので、ご覧ください。まるで、空飛ぶ青い宝石のような蝶です。

 

水は見当たりませんが、吸水中?

 

動画を御覧ください。↓

https://youtu.be/1_caZKFJpYc

ヤブガラシの花(アゲハ蝶の蜜源植物)

 

 

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