想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

三島スカイウォーク カレー考 

2017年08月23日 | エッセイ
震災7年8月23日   先日、三島スカイウォークにいってきました。前々からよくテレビで宣伝されていましたので、気になっていたところでした。   全長400Mで日本一の吊り橋というふれ込みでした。渡り賃が1000円しました。木造の橋として有名な島田の蓬莱橋が900Mぐらいあるのですが、100円で渡れます。また、県立の浜北森林公園の吊り橋や寸又峡の吊り橋も無料で渡れます。 そのことを考えると、民間経営といえ500円ぐらいでもいいと思いました。  さて、今回はそこで、食べたカレーの事です。滅多に外食ではカレーを食べたことが無いのですが、そこにはカレー専門店しか無かったので、やむなく入ってみましたが、思ったよりおいしかったので紹介します。 味もさることながら、特に盛りつけ方が工夫されていて、写真の通り、非常におしゃれな盛りつけでした。サツマイモの揚げ物を中心に飾り立体感があり、野菜もたっぷり入ってとてもおいしかったです。 どちらかというとイタリアンをカレーで食べているようか感じでした。野菜の量とライスの量もほどよく、郷土の野菜が色とりどりに使われていたように思います。 もちろん味もよく、楽しくいただけました。欲をいえば、もう少し、食べる空間が広いといいなと思いました。また、現地にもう少し、色々なレストランがあると、いいなと思いましたが。今回はカレーが思ったよりおいしかったので、ご紹介致しました。多分、今後は有名になるに連れもっと、楽しいレジャランドになってゆくのではと思います。

 当日、雲に隠れ富士山が見えないのが残念でしたが、箱根や伊豆のお帰りにちょっと、立ち寄ってみるのもいいかなと思います。
       料理は見た目が半分、味が半分という感じですね。見た目も大切だなとつくづく感じました。特に料理は五感に訴えることが多く、人間の感覚のほとんどを使うようです。料理がうまくなりたいと最近つくづく思うようになりました。 私的には最近、イタリアンが気に入っています。まず、見た目に明るく、カラフルで健康にもいいように思います。自分でも美味しい料理を作ってみたいです。それも、自前の野菜をふんだんに使って…。 
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イトトンボ発見

2017年08月20日 | 我が家の庭

震災7年8月20日

 朝顔を盆養作りで育てていますが、今年も、イトトンボが来ていました。朝顔の手入れをしていますと、右際になにやら飛んでいるものを見つけました。よく見るとイトトンボでした。

 よく、我が家では見つけますが、実に可愛く、きれいなトンボです。飛び交う姿もしばらくホバーリングをして、狙いが定まると、すうっと降りて来て、さながら小型ヘリの感じです。

 一番上の写真は右上をよく見ないとわかりませんが、下の二枚の写真は葉に捕まっているのが、よくわかります。見ていると時間の立つのを忘れてしまいそうです。先日は、胴が青いイトトンボでした。

 最近は、カニ、セミ、カマキリ、蜂、蝶、スズメ、もず、ホオジロ、キジバト、メジロ、ヒヨドリ、カラス、以前はタヌキが庭にもやってきたことがありました。

 蝶は種類が多くシジミチョウ、モンシロチョウ、キアゲハ、アゲハ、セセリチョウ、ジャノメチョウ、モンキチョウ、アオスジアゲハなども飛来しています。

 やっと、蝶の来る庭になりました。それも、その食草や蜜を吸う花がが結構植栽されているからだと思います。

今、女郎花には結構蝶が飛んできます。フジバカマに似たヒヨドリバナも植えてありますが、これにもたくさんの昆虫が来ます。アサギマダラの食草であるキジョランを植えてあるのですが、まだ、アサギマダラは来たことがありませんので、アサギマダラも飛来してくれると嬉しいなと密かに思っています。

 

 

 

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人間とは何だ 心臓移植より想う

2017年08月20日 | エッセイ
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震災7年8月20日

 TBSの「生命38億年のスペシャル 人間とは何だ」の中で、心臓移植をしていた女優の話が妙にきになった。その中で移植された元の心臓の持ち主の感情が記憶されているという話だ。その種の話は以前からよく、マスコミから流れていた。今の科学では、記憶は頭脳に置かれていると言われている。そこが味噌だ。しかし、人の記憶の夢を見た女性がいたのも事実である。事実は事実であるのだ。

 心臓移植を受けてから、以前の心臓の持ち主の夢を見たり体調の変化があるというのだ。それが、事実なら、多分、ロジカルな記憶と感情を伴うような記憶は記憶のされ方が違うのでは無いかと考えられないのだろうか。

普通、人は記憶というと単に名前が事を覚えていると単純に考えているのだろうが、記憶の中身を分析すればそれはそれは大変な違いがあるように想う。単に名前だけ機械的仁覚えることから、死に直面する出来事の記憶までは、内容において大きな違いがあるのは明らかだろう。その中で、感情に関わる記憶というのは単に脳にある記憶とはかけ離れた、細胞レベルの問題が入ってくるのだろう。だから、心療内科的なアプローチが必要なのである。いわゆる心は関わって来ている。心の解明はまだまだ、ほとんど進んでいないようである。あの人といると、いやされる、あの人は何となく魅力的だという内面的な力はどこからでてくるのであろうか。そのようなオーラはまた、単なる記憶とかけ離れたものだろう。人間はとにかくトータルに見ないと診断を誤るのではないだろうか。今の医学では永遠のテーマでは無いかと想う。心臓移植を単なる物理的な移植と考える医療が最先端であるというのは何と言っても歯がゆいことである。

 私はあのような情動の大きな変化を伴う記憶という物は頭以外のすべての細胞の中に入っているのでは無いかと思うというのが私の仮説である。ホルモンなどの内分泌も大いに関連しているし、DNA何度にもその痕跡があるような気がしてならない。それにしても、単なる要素だけを組み合わせて、結論が出る物でも無い気がする。複合汚染という本が昔あったが、それらが、複合的に関連しあって、1+1=2載せ界ばかりでなく、1+1=∞の世界だってあるのだ。また、質量があるものと、無いものとの複合あり、とても、科学では解明できないのが人間なのだ。

 それが実証されるまでは、まだ、長い途方もない年月がかかるだろう。それは、単なる論理的な記憶と情動の変化を伴う記憶が複雑に絡み合っているからではと想う。もし、脳にすべての記憶が入っているというなら、脳そのものを取り替えれば人格までもが変わると言うのだろうが、多分、そうではないだろう。体全体があってその人の人格はできている。そこからの微妙な変化が脳に刺激を与え、また、全体に伝播しているんだろう。頭だけ取り出して考えるのは短絡的な人間理解であり、体全体とのトータルな把握が重要だと想う。

 人間にはまだまだ、解明されない心がある。心は現世にも来世にも行き来がででき時間もなく、質量も形ももっていないものであろうと私は想っているが、そう、いう前提が事実なら、今の医療は大きく変わって行かざるをえない。

 信仰なども大きな医療の要素になるのだろうと想う。私は知識→思想→信仰という見方をするときもあり、正しい信仰こそ、何者にも負けないすばらしい精神的なバックボーンであり、これは何人にも侵されることのない基本的な人権の最たる物だと考えている。今の憲法がこれを保障してくれているのはありがたい。これも、人類の長年の歴史の中で生まれたすばらしい贈り物だと思っている。未来永劫大切にしなくてはと思う。

 現状ではまだまだ、今の医学や医療は入り口だと思って間違いはない。数々の副作用を伴うものがあまりにも多すぎる。過信は禁物である。常識は絶えず変化している。その前提が崩れれば、砂上の楼閣である。盲進はやめた方がよい。自分の体は自分が一番分かっている。ただし、岡目八目という言葉もあるとおり、自分では気づかない所も盲点としてあるので、このことは謙虚に反省しなくてはと思う。他人の意見にはしっかり心を傾ける必要が大いにあるのだろう。

 医療も最終的にはしっかりした人間理解の上に成り立つのだろう。しかし、その人間理解にはまだまだ、ハードルがありすぎるのだ。特に、精神世界は永遠に科学では割り切れない物を含んでいるに違いない。単に、お勉強だでききるだけでは済まないとてつもなく広く大きな世界がその背後にはあるのだろう。

 だから、人間はいつまでたってもミステリアスな存在であり、だから、人間であり、human beingなのだ。科学は今分かっている常識であり、当時の常識は諸行無常変化し続けるものだという考えである。常識に従えば世の中をスムーズに生きて行ける便利な道具であるが、絶えず変化していると言うことを念頭に置くことが本質に迫ることだと考えている。

 それにしても、人間の体は不思議な事が一杯だ。宇宙の神秘にもつながる。畏敬とは何?畏敬の念を今一度考え直そう!Great human being!Viva nature!

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神社から想う

2017年08月18日 | エッセイ

 

震災7年8月13日

 

 日本には数々の神社仏閣があります。そして、それぞれは、なにがしかの役割を担っています。そんな中で、先日ふと、気づいた事があります。

   今まではご神体はどこにあるのかなとか、神様はどこにいるのかなと、考えていましたが、神道とは、周りに充ち満ちている自然そのものが神であり、神社はその入り口に過ぎないということです。神社というものは、人と自然が交わるプラットホームのようなものであり、そこに自然のエネルギーが集まり満ちているのだと考えると、合点がいきます。

   そこへ行くことは、神社という場所を通して人が自然と交わることに気づくことです。 鳥居をくぐり神殿に向かいます。そして、合掌礼拝をします。そうすることで、自然と一体となる神聖な場所なんです。

 宗教には具体物であるプラットホームが必要です。キリストや釈迦やマホメットなどの聖人を窓口としてその後ろに本質があるのです。その本質が大切なのですが、具体物を拝む事ですましてしまっていることが現実に多いように思います。

 神社の前で手を合わせることは自然と一体になることです。周りに充ち満ちている自然と一体となりそのエネルギーを受けて自分も自然にとけ込むのです。

 仏教が個人の苦悩に焦点を当て、そこから神を考えようとするのに対して、神道は逆に大局から個人や自然を俯瞰します。自然と切っても切り離せないのが、神道です。

 私的には自然を支配している大きな力、すなわち自然の摂理が神となります。自然の摂理を大なる神とあがめ、その中にある小なる神が宇宙から与えられた自らの分け前である自分です。自分で生きているようで、実は大いなる神に生かされている存在です。そのことを知ることにより、人は謙虚になり、神に畏敬の念をいだくようになるのです。

 さて、神社は仏教が伝来する以前から各地にありました。人が誕生して以来、人は自然という環境の中で生きて来ました。死者には花を手向けたり、生前使用していた物を一緒に葬ったりして来ました。自然の恩恵や恐怖を数々受けて今日があるわけです。

 遙か昔は人工物は何一つ無かったわけです。我以外すべて師であり、自然でした。人間よりとてつもなく大きな存在が自然だったのです。

 ですから、当然、人も自然の一員だという考えになるのが、自然な流れでしょう。どうやってもかなわないものが自然だったのです。だから、畏敬の存在なのです。無機、有機を問わず地上に存在する物すべてに対してです。ですから、本来は自然と共に生活してきました。その先史と言われるその期間は人類の歴史の中でもすごく長い間でした。やれ放射能だ、アトピーだと言われ始めたのは最近の話です。

 その後、人間はよりよく生きるために数々の発明発見をし、生活を利便化させて、恐ろしい自然を克服しようと考えて来ました。飛べない人間が空で鳥のように羽ばたいたり、ウランを集めて原子爆弾を作ったり抗生物質を発見し医療に使ったり、合金を作ったり、プラスチックなど自然では存在しない物もたくさん作り出しました。自然の生態系をはずれた物ができた頃から、人体に色々な問題が出てくるようにもなりました。その顕著な例がアトーピー反応です。

 さて、自然の懐は本来、格段に広く大きく、とても人智では計りしれないものなのです。無限といってもいいでしょう。(宇宙まで含めれば)ですから、自然を征服というのは天に唾するようなものです。自然という懐の中での発明発見なのです。そう考えた時、人は自然の前で謙虚になれるのです。自然を凌駕するなどという奢りは絶対もってはいけないのです。人の幸せを考えたとき、自然とどう関わっていくかが大切なのです。自然という大きな枠の中での文明、文化であると謙虚にならなくてはいけません。

 医療も科学も自然界に無いものを作り出してはいけないのです。最近増えているアトピーなどの奇病も病気では無く、自然の生態反応です。アレルギーといって間違いないでしょう。自然にもともと存在しない化学がいたずらをしているのでしょう。そのことを考えて治療をしないとステロイドなどで、表面は直ったように見えても、根本では直っていないので、また、再発してしまいます。

 また、時を経ればすべての物は朽ちてゆくのが原則ですが、人は腐らない物を作り出しては新たな課題を作っています。本来人間には病気は無いのです。不健康な状態を作っているだけです。それを病気だと決めつけて対処療法的な治療をしています。

 ですので、その状態を元に戻すのが治療なのですが、やたらと、短期間で強制的に外面だけ直そうとするからいけないのです。抗生物質などはいたちごっこでどこまで行っても、耐性菌が出てくるのが自然界の法則です。考えないといけません。無意味な開発競争をしているだけだと思います。やがて、そのことの愚かさが分かる時期が来ると思います。軍拡競争と同じです。

 矛盾という言葉がありましたが、どんなものでも刺す矛と、どんなものでも守る盾がやりあったならどうでしょう。どちらかが負けるはずです。だから、矛盾しているのです。人間をもっと、全体としてとらえることが大切です。また、自然界の一員として広くとらえるのがいいと思います。個人や国家のエゴで間違えた方向に行かないように考えたいものです。

 人は、科学では理解できないほど、複雑な心を持っているのです。同じものを見てもその瞬間、瞬間、違うものに見えたり違う感覚や心象を持ちます。それが、人間なのです。

 どれだけ、時代が流れても、個人はゼロから生まれてゼロになって死んで行くのです。それが、自然の流れです。前提がころころ変わるから心なんです。今の代数は十進数という前提の中で考えます。その、前提が崩れたらどうなるでしょう。二進数の世界を勉強してみればよく分かります。必ず、ある前提のもとに成り立つ世界が現世です。

 何とも不思議な世界が心なのです。質量がないのです。質量が無いと言えば、人間が作り出した概念の図形も形はあっても質量はありません。不思議だなといつも思っています。

 形あるものはいつか壊れるのがこの世の道理ですが、質量の無いものは壊れようがありません。ですので、スピリチュアルな世界があるのでしょう。科学では計りしれない世界です。このように時間や質量や空間などが無い世界が三途の川の向こうの世界の様な気がしてなりません。

 現世は物理的な物や時間の流れ空間で決まっています。時が流れれば、形ある物は壊れて土に帰って行きますが、霊魂や、心の世界はもともと形がないものですので壊れません。空間も時間も無いのですから、無の世界です。距離もありません。

 テレパシーも向こうで思ったことが、瞬時に相手に伝わる世界です。時の流れのある現世からは想像はつきませんが、永遠の世界なのです。三途の川をはさんでいます。この世を去り永遠の世界に生まれるという意味もそれで合点がいきます。きっと、だから、信仰を積むとこの世のお別れから永遠の世界へ安心してゆけるのです。人は皆、形も質量もなく、混雑もありません。ただ、信仰心の無い人はそのことに気づいていないだけです。 

 科学の発展も今後は自然とどう共存をするかということを考えながらやっていかないと大変な事になってしまうのです。人が人であることは科学を超えて存在しているということです。人は肉体という物質を持ってこのように誕生していますが、同時にどうしても科学では解明できない心を持っているのです。これを否定してしまったら人間の尊厳はどうなるのでしょう。

 科学も所詮はある側面を解明しているのに過ぎないのです。この世は三次元の世界だという空間の中で、時の流れの中に我々はいるわけですが、私はそれだけでなく、この世の中にも時を超越したものが、存在するのではないかと考えています。それが、死後の世界であり、魂の世界ではないかと最近想うようになりました。

 人の肉体はいつか、滅びます。時と言う流れの中で自然現象として生き物である限り、朽ちてゆくのです。これは、生き物の宿命です。ですので、これは受け入れるしかないのです。

 その後の世界はどうかということを時々この歳になると考えるのですが、多分永遠の命の世界は時間を超越してどこへでも瞬時に移動自由な世界ではないでしょうか。その世界が我々俗世界にも時々現れるのが、スピリチュアルと言われるものではないかと想います。

   人間の俗世界からは常識では考えれない世界のことが時々話題になります。それが、神との交わりであり、時を超えて起こる事象ではないかと想われます。世の中にはそのことが感知できる人がいるのも事実な様です。

 

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つぼみ 無限の可能性 詩

2017年08月04日 | 

震災7年8月4日

 

 乾布摩擦を終え、毎朝恒例のウォーキングに向かう。さわやかに、爽やかが重なったかのように、雑草に混じって、私を迎えているヒルガオの花。

 その姿は素朴で、けなげで美しい。化粧も無く、自然体だ。

 人は毎朝生まれ変わる、その通りだなと、想いながら脚は前へ前へと進む。爽やかな今日一日が始まる。VIVA nature! 盛夏の夏

 きょうもお元気でね!と、ヒルガオがささやく。
 「はいね。」
と、答える私

 

 

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