想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

春って (詩)

2016年02月24日 | エッセイ

震災6年2月24日


  

 春と聞くと、誰しも浮き浮きした気分になると思います。(ごめんなさいね。花粉症の人にとっては憂鬱かもね。)私は幸い花粉症には縁が無いので、そんな流ちょうなことを言っているのかもしれません。

 

 間もなく啓蟄もはじまります。今年は3月5日だそうです。ちなみに啓蟄とはどのような意味でしょうか。啓は「ひらく」、そして蟄は「土中で冬ごもりしている虫」の意味です。

 

 つまり啓蟄とは、冬眠していた虫や蛙などが、地面が温まることで春の訪れを感じ取り、穴から出てくる頃ということです。

 

 これからは益々、生き物も活動が活発になります。静からから動という感じでしょうか。

 

 ウォーキングをしていると、最近はよく小鳥に出会うことが多くなりました。それも、花々が沢山咲き始めたことと連動しているようです。

 

 梅の花や早咲きの桜がどこも、満開のようです。そこには、必ず、メジロが蜜を吸っています。我が家にもよくメジロ、ホオジロなど小鳥がやって来ます。その動きを見ているだけでいやされます。

 

 今は三寒四温の時期で、これから本格的な春本番というところでしょう。先日も春一番が吹き荒れました。日一日一日確実に春に向かっています。

 

 余談ですが、ジャガイモをいつ植えようかと思っています。それも、昨年は早く植えすぎで、芽が出たところを遅霜にやられてしまい、うまく育たなかったからです。今年は、その辺を考慮において植え付けをしていきたいと思っています。インカのメザメ(ポテトの種類の一つ)の種も今年は仕入れました。昨年の秋は種が入らなくて困りました。

 


 


 

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もうすぐ春ですね!

2016年02月18日 | 

 昨年のブログでこの時期、こんな詩を作っていました。こんなこともあったなと、1年前を思い出しました。

 1年が過ぎるのは早いなと益々思うようになりました。前にも述べたと思いますが、1年の心理的な長さは生まれたときを1とすると、分子が1年分、分母が生きてきた年数で私は考えるので、1歳が1/1、10歳になると1/10、二十歳になると、1/20、70になると、もっと、分母が増えて1/70の長さに感じるようです。これは、私の仮説です、なんか、そんな感じで1年が過ぎていっているようです。もう、誕生日が来たのか、もう、お正月かっていう感じがこのごろの私です。

 やっぱり、最近は春が一番好きですね。春は勢いというかエネルギーを感じます。それから、やはり若さですね。また、春の詩でも書いてみたいです。

  

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結果として目的を達成する!

2016年02月13日 | エッセイ

震災6年2月13日


 

 

 一般に人は何かを為そうとしたとき、目的そのものを狙って行動をしてしまいますが、結果的に、これは、かなり、無理なことがあるなと思います。たとえば、卑近な例として、幸せになりたいと思う人がいたとします。幸せという目的は誰もが望むことですが、なかなか、それを目的とすると、ハードルを高くしてしまい、結果、そうならないことが結構多いような気がします。

 

 こんな時、肩の力を抜いて、ほっとほほえんでみる。十の説教より1つの笑顔という言葉があるではありませんか。軽い気持ちで毎日楽しく過ごしていると、結果気づいてみると、毎日が幸せな気分になっていました。なんて、いうことがおこるような気がします。そうして、過ごす毎日の方がストレスもなく、幸せでは無いでしょうか。

 

 よかれと思って、いくら子どもをがみがみ叱っても、子どもはいやがるだけで、そこから、目を背けてしまいます。そんなとき、ふと、笑顔を見せ、子どもを見つめるだけで、子どもは素直に親の言うことを受け入れるでしょう。受け容れてもらいたい、もらいたいと思うほど、人はそれを避けてしまいます。目的は最終の到達点ではありますが、もっと、おうようにに考えると、結果うまくいくことが多かったように思います。

 

 健康になろうと思って、色々、スポーツに挑戦しますが、あまり、がんばりすぎるとけがをしたり、ストレスにさいなまれることがあります。そんなとき、ふと肩の力を抜いて、息抜きの積もりで体を動かしてみる。もともと、体を適度に運動するように出来ているのです。そのことを忘れ、鍛えることが目的となると、楽しんでできなくなります。楽しんでいる連続が結果的に、体の鍛練になっているという考え方が一番自然でいいように思います。

 

 富士山の頂上を目指すのも同じでしょう。今8合目、今9合目といつも頂上と比べて登るより、周りの景色を楽しんだり、友との会話を楽しんで歩いたり、きれいな高原植物に感動しながら、いつの間にか、頂上についていたというほうが、ストレス無く、結果的に目標を達成することになるでしょう。

 

 このように、◯◯すると、結果、こうなる式に、毎日を過ごす術を身につけることが、急がば回れでうまくいくように思います。


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得小失大から想う

2016年02月11日 | エッセイ

震災6年2月11日

 いつもの日課で朝のウォーキングを楽しんでいました。毎朝、堤防の上を2キロ程、歩いていて、雪を被った遠くの明石連山と富士山を見るのが楽しみなんですが、今日は東を見ても富士山がさっぱり見えません。快晴なのですが、どうしたことでしょう。

 
 吐く息は白く、冷気が頬をなで、北の遠方の方にはかすかに雪を被った明石連峰が見えます。これを見ると、毎日、生きているという感覚を覚えます。そして、人は毎朝生まれ変わります。やがて、今日という新しい日が始まります。

 我が家を出て、堤防に上がると、私はいつも、遙か北の方、遠くに目線を向けます。そこには、明石連山が白く雪を被って厳然として連なっているのが、かすかに見えます。今朝は見えることは見えるのですが、いつもより、ぼやけています。東に顔を向け富士山はどうかなと見ますと、通常なら見えるはずですが、今日は見えません。快晴なのに、とても、残念です。

 このことから、こんな言葉が浮かんできました。私の造語ですが、得小失大です。積小為大という言葉から連想して作ってみました。なぜか、人は小さいものを得ようとして、知らず知らずか、知っていてか、小さなものを得る代償として大きなものを失っているんだなと思います。これを、自分なりの言葉で得小失大と綴ってみたのです。

 言葉の遊びなんですが…。中国のPM2.5の影響なんでしょう。人はなんと浅はかなことをしているのでしょう。目の前の小なる利益を得ようとして、きれいな自然を汚し、どういう考えなんだろうと、考えてしまいます。明日生き伸びる為なのか…。もっと、思慮深くてもよさそうなものなのに…。もっと、大きな偉大な畏敬ある自然を汚してどうするのだろう。天罰があたってしまいそうです。そんな、思いにさせられます。

 ところで、「得小失大」そんな言葉があるかと思い、ネットで調べてみました。すると、どうでしょう。やっぱりありませんでした。その言葉は私だけの造語でした。でも、似たような言葉があり、びっくりしました。

 古来、このようにして、言葉は育まれてきたのかと思うと人間の営みは今も昔も根底では一緒だなとつくずく思います。   

 その四字熟語は

因小失大 意味

  • 小さな利益にこだわり、かえって大きな損失を招くこと。▽「小しょうに因りて大だいを失うしなう」と訓読する。

為小失大(いしょうしつだい)

小を為して大を失う。
目先の利益を追って大事なものを失うこと

貪小失大 たんしょうしつだい  
小さい利益ばかりをむさぼって、結局は大きい利益を失うこと。
「貪小」は、小をむさぼる、「失大」は、大を失うの意。

似たようなことが、昔から、色々あったと言うことでしょう。言葉の歴史は人間の生身の歴史でもありますね。

 

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ハロウィンカボチャから想う

2016年02月10日 | エッセイ

 昨年のハロイン用に集めたかぼちゃが、まだ、玄関に飾ってあります。カラフルで、色とりどりで結構鑑賞価値があります。今年の春には種を取り、ハロイン用に収穫しようと思ってそのままにしてあります。果たして、かわいいカボチャができるかはお楽しみです。

 ハロインというと、今では、すっかり日本にも定着した感がありあます。昔のクリスマスもこんな感じで日本に入ってきたのかなと思いました。バレンタインがもうすぐですが、これなどは、いつ頃から入ってきたのでしょう。


 私が教員に成り立ての頃から、だんだんはやってきたように思います。学校には持ってこないとか…、そんな話もでたように思います。こっそり、靴の中に入れたり、机の中に入れたりと、色々と工夫されていたように思います。今となっては、誰にも、ほろ苦い想い出となったでしょう。

 青春とは当時を思い出すと、ほんとに、カルピスの味だったかもしれません。傷つきやすいガラスの器だったのかもしれません。それぞれが、色々な想い出を持って過ごした貴重な日々だったでしょう。何事も初めての体験が一番心に残るものです。そんな日々の連続も年と共に、色あせて行くのが、年齢をかさねることでしょう。部活に明け暮れ汗を流した人もいたでしょう。

 さて、これからは、益々ハロウィンの勢いが強くなって来ると思います。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったそうですが、10月31日の都会はハロウィンを盛り上げようと、大変な若者でにぎわうようになりました。

 その勢いは12月のクリスマスへと続き、それから、お正月、バレンタインデーと続いてゆきます。要は消費者に沢山お金を使ってもらいたいために、業者サイドが広めたのでしょう。それに、大衆が乗っかかっている状態が現実かなと思います。

 お祭りやイベントが沢山増えれば消費も増えますものね。そういえば、休日も多くなって、庶民には出費が多くなって来ています。どこへ、お金を使うのが賢明かを、よく考えて行動しないと、コマーシャリズムにいつの間にか踊らされてしまいます。適度にお付き合いしながらバランス感覚を持って生活しないとお金すぐに逃げて行ってしまします。お金はお足ですものね。

 これからは、益々、お金の意味とその付き合い方を学んで行く必要がありますね。お金はもともとは、物々交換からの発展形ですよね。その辺の意味もしっかり押さえておかないと、お金さえ出せば、金さえあればという変な拝金思想になってしまします。

 本当のお金持ちはその辺のことをしっかり、わきまえているんでしょうね。逃げて行くことなく、大事に使われていると思います。

 今回は、ハロウィンのカボチャの話から、飛んでもない方に話が流れてしましました。お後がよろしいようで、この辺で終わりにします。

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