想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

幻想的な月夜

2010年05月28日 | インポート

 昨夜は満月に近い日だったようだ。時は太陽が西に傾き、夜のとばりが降り始めた頃、いつものようにウォーキングに行こうとして、外にでたら、余りにもきれいな満月が浮かんでいた。月の光に照らされている我が家もいいものだな、と、シャッターをきった。なかなか、このようなきれいな景色を見ることも少なくないが、特に今宵の月といい空といい、5月にしてはひんやりとする空気が気持ちよかった。まだ、午後7時をちょったすぎたあたりで、日中の明るさが少し、残っていた感じがした。この時期にしては珍しい乾いた空気が心地よかった。
 青を基調としたイメージの世界がなんともいいがたい雰囲気を醸し出していた。しばし、この光景に見とれてしまった。

※向かって右から2番目の茶色の家が我が家。

 

 

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麦秋の装い

2010年05月26日 | インポート

 麦秋という言葉を聞いたことがありますが、まさに、この時期をいうのだなと、今日しみじみ感じました。日本には自然を素直に受け止めるすばらしい言葉が沢山あるんだなと、あらためて、感じた時でした。朝、子どもを学校に送っていく帰りがけに、ウォーキングコースを見つけようと、前もって検討をつけた所へ寄ってみました。
 景色もすばらしく、自宅かもそんなに遠くなく、とても自然や野趣が溢れているところでもありました。私のウォーキングコースの一つに入れておこうと思いました。
 麦というと子どもの頃もよく見て育ちました。麦わら帽子、虫かご(キリギリスを入れた)ストローの代わり、麦踏みと色々と思い出します。
 麦秋、当たり一面黄金色いや少し茶色がかっていたかな。のどかなひとときでした。麦にとっては文字通りもう秋ですね。それにしてもいい響きを持った言葉です。そんな題の映画も昔あったように思います。一度見てみたいです。

麦秋 麦秋 麦秋 
何度もで いってみたくなる言葉

麦秋 麦秋 麦秋
この 美しい響き

麦秋 麦秋 麦秋
声に出して見るたびに
はるか 過ぎし日の 昔を 思い出す

麦秋 麦秋 麦秋
真っ青な 5月の空に
黄金の輝きを放つ 麦秋

麦秋 麦秋 麦秋
それは 過ぎし日の 思い出

麦畑の中で じっと息を潜めていると
キジの鳴く声が 遠くに聞こえる
初夏の太陽は 頭上をそっと 通り過ぎてゆく

 

 

 

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コミュニティのあり方

2010年05月22日 | インポート

 菊川市に全部で13のコミュニティセンターが出来たのが、4月1日だ。最後が嶺田地区コミュニティセンターになる。コミュニティというと、普通の感覚でとらえると、人と人との交流の場ということになるだろうが、よくよく現在の私たちがおかれている現状を考えると、嶺田地区の大地の上に立つコミュニティセンターであり、大地と共にあるセンターであると位置づけるのが正しいのではないかと思う。
 戦後、人権思想が盛んにいわれるようになり、「人の命は地球より重い」という言葉がはやった時期があった。また、21世紀は人権の時代だといわれてきた。
 しかし、最近の気象変化や温暖化に代表される環境問題がクローズアップされてからは、人権も地球の環境が機能していたからこそ、いえた言葉であり、地球生命体の危機が叫ばれている今日にあっては、この西洋主義的発想から出た言葉も、色あせてきた。
 これからの時代はやはり、環境の時代ではないか、人間も環境の一員であるという、謙虚な気持ちに立ち返り、人間ばかりでなく地域の自然環境もトータルに財産としてとらえていかないと、生きていけなくなった時代になったといえる。

 この話をすると、思い出すのが、コロンブスやマゼランが活躍して植民地時代を思い出すが、資源や領土が無限だと思われていた時代はこれでもやってこれたが、資源や領土の有限が分かった現在、もはやこれらの自己中な考え方は自然からの大きなしっぺい返しを覚悟せねばならないだろう。今、現在地球はこの洗礼を受けている。 
 いや、太古の昔から、人は天地の恵みの中で自然界のいち種(しゅ)として生活してきた。本来の姿に戻らざるをえなくなったと考えてよい。
 故に当然これからのコミュニティの考え方も、この、人間中心主義から脱却し、地域の自然(動植物)や文化施設も財産と考え、その中で地域はどう、人と環境とが共存していくかということに焦点を当てて、いかないと、とんでもないコミュニティになってしまう。   人だけが独立して種を増やしていくことができない。そのことが、自然の摂理であると認めて謙虚に環境と共存していく生き方が地域にも求められていると思う。
 生かしたい自然はいっぱいまだ残っていると思う。その辺の交流を今後も求めていかなくてはと、思う。めだかや、ザリガニ、かになどの生き物や水田風景などいっぱい残っている。
 今日の朝のウォーキングで出会った人などは、
「休耕田を利用してドジョウを飼ってみたい。情報を教えてくれないか。」
と、いっていた地元の方もいた。とても、よいことだと思う。
 昔の川にはタナゴやその宿主であるカラスガイも沢山いた。今でも、蛍の宿主であるカワニナも用水に結構生息している。蛍の環境は結構恵まれているようだ。外来種であるジャンボタニシの異常な繁殖は少し気にはなるが、こんご、蛍も飛び交うふるさとにしたら地域の価値も随分上がると思う。
 それから、休耕田の活用も知恵を働かせば、色々なアイデアが出てくるだろう。このことは、地域のまちおこしにも大いに貢献していくと思う。
 田んぼと、川と魚たちをはじめとする生き物の交流も昔はもっとあったはずだ。川と、田んぼが自由にいききできたからこそ、ドジョウやめだかも、たくさんいたではないか。行政もその辺のことも今後考えていかなくてはいけない。

※昔は田園だったが、最近は麦畑も増えた。麦秋の頃の麦も見事

※蓮池公園の裏山「砦」から嶺田地区を望む。ここからの夕日はまた、特別きれい。



※嶺田の西を流れる菊川、私の生まれ育った環境とよく似ている。実家も西に
馬込川が流れ、昔はよく魚釣りをした。カラスガイついりもやった。ヤツメウナギも
沢山にて捕まえた。あゆもいたように記憶している。ウナギはよくつった。



※菊川の南の方 



※この辺は水田が広がる。山側が嶺田地区、遠く南アルプスが見える。

※左にまっすぐな農道が広がる手前側にいくと、遠州灘にいく。国道150号線につながる。

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麦秋間近

2010年05月21日 | インポート

 私の畑では麦秋といわれる季節まで後わずかとなりました。
ほかの農家ではもう麦秋という感じです。麦の絵を流れるように
撮影したのが、下の絵です。なかなか色合いがいいと思います。


 麦の間から、青空をのぞいて見ました。5月ですが、秋の
ように天が高く感じました。稲穂の実るのもいいですが、麦も
味のあるものです。最近は、稲に変わって小麦を育てている
農家も随分あるようです。麦には麦の良さがありますね。

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雨蛙の変身

2010年05月15日 | インポート

 

 我が家ではよく雨蛙の鳴く声を聞くときがある。ふと、目をやると、「目薬の木」
に、1匹いた。遠くどこかを見つめている目だ。

 今日庭で草取りをしていると、やはり雨蛙がいた。今度の個体は色が変わっていた。グレーに変身していたのだ。この前の雨蛙と同じかどうかは分からないが、多分保護色になっていて、自分の身を守っていたのだろう。きっと、その個体も目薬の木の食いリーンのリーフのそばに行けば、その色に変身していただろう。

 こんな虫も、発見した。「やぶこうじ」の葉っぱの上で一休み 右上の植物は「富貴草」

 柚子の花が、今年はばかに沢山さいた。今年はゆずは豊作だろう。柚子ゼリーでも作ろう。その代わり、柿の花が今年はさっぱりのようだ。昨年沢山実をつけたので、今年はお休みの年だろう。

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