想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

久しぶりのご対面、モウセンゴケ!

2018年05月25日 | 野山散策
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震災8年5月25日

 先日、野山を散策してましたら、モウセンゴケと紫蘭とを見つけました。紫蘭は山ではよく見かけていたのですが、モウセンゴケとは久しぶりの対面でした。


 モウエンゴケとは、はるか、私が中学生だった頃、その学校の付近の山で見つけてた食虫植物でした。蟻など昆虫を自分で出す粘膜で捕らえる植物が珍しくて、今でも鮮明に当時の状況を覚えています。

 そこは、いつもじめじめしていて、山につもった水が滲み出ている所でした。あれから、暫くたち、そういう自然環境の所に生息しているのだなと何となく分かりました。ですので、ちょっとした山などに入ると、そんな環境の所を見てみます。今回も、初めての所でしたが、案の定ありました。


 地味な植物ですので、誰にも発見されることなく、ひっそりと咲いていたのでしょう。そのひっそりさがまた、魅力の山野草です。また、そこへ行ったときには見てみたいと思います。

 

真ん中よりちょっと右上の楕円形の形をした植物がモウセンゴケです。

シランです。自然の中で咲いているのが一番きれいです。

 

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人間、摩訶不思議なこと

2018年05月12日 | エッセイ
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震災8年5月7日

 年齢を重ねていっても、衰えを見せないのが、感情の部分ではないでしょうか。その部分は心と密接に関連がある部分です。肉体ではないので、老化がないのです。肉体は年齢と共に老いてゆきます。

 ですので、認知症になり、衰えてゆくのは肉体と関連がある脳細胞の部分です。ですが、不思議なことにいくら記憶が衰えても、処理が遅くなっても、自分への好意や嫌悪はよく分かるといいます。

 それは、精神には肉体がありませんので、衰えがないからだと言えます。ですから、認知症患者に接するときには、もう、記憶も曖昧でなんにも分からないからいいやということでなく、その感情に留意する必要があります。そこがキーポイントです。

 介護者が発する声は感情そのものです。心を込めやさしくておもてなしをすることです。

 昔から心臓に心があると考えていた時がありました。先日も、今まで、脳が各所に指令を出すと聞いていましたが、最新の科学では頭が体に指令するばかりでなく、体から脳へ指令がいくなどというお話も出ていました。先日のNHKでの番組でも放映されていました。腸の状態が脳の情動形成にストレートに影響することが明らかになったということで、内蔵感覚という言葉もありました。

 このことは、明らかになったというだけで、事実としては解明以前に太古の昔から、あったわけで、何も新しいことでもありません。ただ、筋道たてて解明されていなかっただけです。

 年を取ると、確かに記憶力は衰えて来ます。昨日、やったことを忘れてしまうこともあるでしょう。あれ、玄関の鍵をしめたかなと、確認に戻る記憶は誰にもあると思います。なぜ、そうなるかと考えてみますと、あれは脳からの指令で戸を閉めるのでなく、体が覚えていて、無意識に閉める行為だと思います。ですから、記憶に留めるには、意識して閉めないといけません。長く同じ動作を繰り返ししているとそのような行為が沢山出てきます。それは、脳を通して司令がでるのでなく、体から直接司令がでるのではと、私なりに仮設を立てています。だから、同じ動作は脳の負担もへるのです。脳も鍛えられることもなくなるので、同じ動作の連続は余計に脳トレにならないのです。同じことでも、その都度意識した新しく脳から司令を出すようにすると、忘れることは減ると推測されます。不思議な事です。なんでも頭で考えて行動していたら同じことの連続は大変ですものね。ですので、自然にそうなっているのだと思います。

 学習をするということも、最初は脳で覚えるのもいいですが、身に付いてくると身に付いてという言葉通り、からだが自然に反応するように人の体はできているのだと思います。肉体に精神が加わって来ると、人体は益々不思議なもので、答えがないようなものです。それに、霊魂とかが入って来たり第六感などと言う言葉が入ってくれば、理解不可能です。だから、人間は奥の深い霊長類の頂点に立つ動物かもしれません。

 私の推測ですが、同じ動作は最初は脳に記憶されるのですが、何回もやっていると、脳が考えなくても、体に染みついていて、体がその条件になると、自然に動いてしまうような事が起きて来ます。私はそれは肉体の細胞が記憶すると考えています。ですから、記憶は脳だけでするのではないと言う事実も近いうちに解明されるのではと想われます。

 ですから、習い事は最初は頭で理解したり、考えたりすることはあるのだろうけれども、何回もやっているうちに無意識に体が動きそれを体が覚えているようなことになっていくのではと考えます。いわゆる昔からいう習うより慣れろです。

 脳に記憶されたことは忘れるのも早いですが、体にしみこませた記憶はその体の細胞がしっかり記憶しているので、長続きするのではという仮説を持っています。幼少の頃、覚え自転車乗りや水泳は昔とった杵柄づかで、いつまでたっても忘れないのと同じです。何でも日常でも使えるようにスムーズにやるには脳記憶ばかりでなく、体の細胞に染みこませてこそ、生活力に結びついていくのだと思います。

 単に記憶するということは、学校で学問として脳にしまっただけで、体の細胞にたたき込む体験があってこそ、現実に役立つ事になるのだと思います。

 ですから、自分で苦労して、獲得した体験こそ、現実に役立つ物だと思います。その辺と感情は、密接に関連しているのだと思います。いわゆる知識の感情化です。

 単に知識として、気億するのでなく、感情やそのときの状況と共に体に染み込ませたものは終生忘れません。単なる記憶は忘れてもそれに付随していた感情は最後まで残るものです。ですから、学問だけでなく、広く世間にもまれながらのOJT等が実際に役立つ事だろうと思います。

 それは、頭だけでなく、体を通して覚えるのです。為すことにより学ぶという経験主義に似ていると思います。今の様に頭だけでなくもっと職能教育が見直されてもいいのではと思います。処理能力は優秀でなくても体験が伴う料理人や宮大工の仕事などは、どんなに頭がよくっても、速くできる物ではありません。心を込めて職人さんが作ってくれているから価値もあるのです。それは時間の流れという英人をへて成り立っています。だから、尊いのです。

 また、直感力がいい人がいます。一瞬にして、すべてのことを総合して新しい答えを出してしまいます。ああなってこなってというデジタル思考でなく、時間の超越しての一瞬がすべてなのです。これには、精神が関連しているとしか言いようがありません。本の一瞬なのです。時間があってないような世界です。これが、教祖のひらめきというか信仰の本質を言い当てた根本教義に当たるのかもしれません。こういう思考をする人が世の中にいるのも解明されていないけれども事実だと思います。キリストや釈迦やマホメットなどです。

 その世界こそ、永遠に私達が求めている信仰の世界かもしれません。

 とにかく、人間の体は分かっているようで複雑怪奇なんだなと思いました。特に心の部分が入って来ますと、霊魂などとも関連があり、複雑怪奇であります。近年、分かって来たことも沢山ありますが、分かったといえ、分かった一部が見つかっただけです。すべてが解明されたわけではありません。

 人間は解明したいという意欲はあるのは認めますが、未来永劫心も含んだすべてが解明できると考えるのは人間としてのおごりそのものです。すべてが人の幸せにつながるのが肝要だという考えに立つのなら未知な部分があるからこそ、光る部分もあるのだと思います。すべてが分かってしまったら、人は幸せになるのでしょうか。いや、そうでないと想います。いつの時代でも未知数な領域があるからこそ、人間の尊厳がありますし、それを超えたらもう、神の領域です。

 ですから、宗教や信仰があるのです。人を信じるとか安らぎを求めることは、分かるできる事とは次元が違います。同列ではありません。人とは実に不思議であり不思議であるから尊厳される存在でもあります。すべてが白日にさらされたら、もう、個人の尊厳もありません。

 ですから、私は自分の寿命は自分が握っているのでなく、神に決めているのだと信じています。私が誕生したのも神様の意思があったからだと思います。そして、この世に誕生し今を生きながらえています。

 神様の御心を見つけようとするのが人生であります。神様がその人の肉体としての終焉を決めてくださるのですから、寿命というのです。

 一応私のいう神様とは自然の摂理を指します。自然の摂理そのものが神様なのです。森羅万象を司る大きな力といいますか、意思です。私はその意思により使命を持って生きると共に、今、こうして生かされています。ですのでその使命を今生でやり遂げるが私の人生です。

 今の医学はそれなりにがんばっていますが、人の幸せという観点と少しずれがあるのでしょう。健康保険のあり方、製薬業界と医者の関係など、その仕組みに問題がないかも、他で考えたいと思います。

 医学の進歩はとどまる所を知りませんが、今の高齢化を見てみても、単なる長生きより生き甲斐の医学であって欲しいです。その方面の統計も厚労省にに是非お願いしたいところです。製薬業界との癒着などあってはならないのです。ただ、年々増加している国民医療費ですが、40兆円を超えていることを考えると多すぎだと思います。一人あたりですと、平成27年度統計で33万ほどかかっています。莫大な金額が医療費に使われているのです。生きるとはどういう事なのか、週末医療を考えてしまいます。果たしてこの金額が人の幸せにつながっているだろうかを健康年齢も踏まえて、じっくり考えてみたいと思います。

 ですから、私は、病気なども症状を大切にします。その症状がどこから、何の原因で起こっているのかとよく考えます。因があるから症状が出てきているのです。その辺すぐ薬を飲むのんだり通院したりするのでなくなるべく自分なりに生活を反省したり、原因を考えたりするようにしています。今の医学を否定しているわけではないのですが、安易に医者や薬に頼りすぎる現況は心配しています。

 学習塾の問題も同じようなものです。勉強ができないと、すぐ何も考えないで塾に行こうとします。しかし、なぜ、学力がつかないのかをその前に十分に考える事が大切です。今の時代、すぐ塾へ行きたがりますが、それがすぐ風邪を引いただけで、毎日の生活習慣を何も反省しないで、通院をしようとする風潮があり、私はこのことを塾通いと共に憂慮してしています。もっと、熟慮する力はどこへ行ってしまったのかと、嘆かわしくなります。まだ、医学が今ほど発達してない昔の人が聞いたらびっくりすると思います。コンビニ感覚で薬や医者を頼りすぎです。医者や薬は最後の砦です。どうしようもなくなり万策尽きたとき感がえるのが私流です。

 はやく温まる金属は冷えるのもはやいですが、水はどうでしょう。温まりにくく冷えにくいのです。ですので、そこには人間的な葛藤や時間経過がありません心が入ってこないのです。苦節10年何て言葉も死語となりましたが、まだまだ、どこかには生きています。一朝一夕という言葉もありましたが、今では瞬時瞬改でしょうか。そんな言葉も聞こえてきそうです。スピードがすべての世の中ですから…。

 また、心臓を移植された人が移植元の人の夢を見るというお話も聞いた事があります。ということは、その人の肉体には脳とは違う記憶機能があると考えても間違えではないと思います。俗にいう体で覚えるということかもしれません。

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レタスの不思議発見、その生命力!

2018年05月12日 | 家庭菜園
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サントリー

震災8年5月12日

 レタスはサラダに重宝するので、今年も、サニーレタスを育てていますが、不思議なことを発見しました。

 例年ですと、一度できたレタスは葉の部分を切って、その株を抜いて捨てていたのですが、その切り口からカルスができて、全く新しい同じような野菜が切り口の周りにできて来ているのを見てびっくりしています。レタスの生命力の強さには感服しています。

 去年もそのカルスの縁から小さなレタスができていたのは知っていたのですが、それをしばらくほっておいたら、全く以前の完成した野菜と同じ物がそんなにも短期間でできてしまって、驚きです。

 こうしておけば、新しく種をまかなくても、同じ野菜が何度でも取れるんです。植物は摩訶不思議です。自然の神秘な秘密を知りました。皆さんにご紹介いたします。

 

 切り口の周りにカルスができ、その上から小さな芽が出ています。

芽がだんだん成長して来ています。

できている野菜の切り口を覗いて見ると、そこから茎が伸びていて、野菜が育っていました。

これが、切り口から育ってきた野菜の完成形です。見事なレタスになりました。

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義務教育へ一言

2018年05月06日 | エッセイ
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マイクロソフト

震災8年5月6日

  最近、社会に巣立ってから色々と難問にぶつかり困っている若者の話をよく聞きます。また、お年寄りを大事にしない若者も多く出ているというお話も聞きます。そのことに関して、義務教育を考えたときに、あまりにも現実からずれている教育がされているように感じています。前々から、これでいいのかなと、思っていたことが多々ありました。案の定、その問題が色々な所に出てきています。

1 高齢者の気持ちが分からない。

 団塊の世代が高齢者の仲間に加わり益々、高齢化社会を迎えています。しかし、学校教育を考えたとき過去に私もその一員だったわけですが、あまりにも、その理解共感が表面的であったように思います。高齢者の特性が子どもたちは分かっていないのです。それは、一般人でも同じです。高齢者の理解が進まない原因は案外このことにあるのではと私は思っているんです。それは二つあります。

 一つは、耳が段々遠くなってゆきますが、低音は割と聞こえます。問題は中低音の音が聞きにくくなっていくのです。そうすると、人の声の音程も千差万別ですので、人によっては、この中高音が含まれている促音のシャシュショのSの子音が音が高いので聞き取りにくいのです。そのため、しっかりしなさいのシが聞き取りにくいのです。また、小さいのチなども聞き取りにくい子音になります。

 実際に高齢者に聞き取りにくい音は、パ行、タ行、カ行、そしてサ行と言われています。そのPTKSなどの子音がうまく聞こえてこないのです。ですので、高齢者とお話をする人はそのことを理解してないとトラブルのもとになります。

 小さな低い声でしゃべる悪口は聞こえるのに、普通に言ったことは聞こえない。高齢者は自分勝手だと思わないでほしいのです。そのような理由があるのです。また、昔や高齢者というと好々爺を連想しましたが、随分お年寄りのわがままや不良のようなお年寄りも見られるようになりました。

2 他人への迷惑を考えない。

 憲法で保障されている基本的人権をたてに自分に都合のいいように考え行動をしている人が結構多いのです。
自分のやりたいことや権利は主張するのですが、義務は果たさない人です。それは、権利と義務のバランスが本来は必要なのに何でも褒められいいとこばかり指摘され、相手や周りのことを振り返ることが少なかったことに起因すると思っています。何でも大切なことは片方に偏らないでバランス感覚が大切です。

 振子と同じで左に振れれば次は右にふれるのが自然の理です。あまり、自分のことばかり考える人が出てくると、昔のように全体主義にいかないかと心配になります。せっかく掴み取った民主主義がわがままの代償として全体主義にいってしまったら大変です。気を付けたいものです。

 理想と現実、権利と義務、自己主張と思いやり、功利と利他、人工と自然、性急と悠長、威圧と懐柔、主観と客観などあげればいくらでも出てきます。これらは、片方に偏らないでバランスが大切ですね。このことを肝にに銘じておくべきです。

3 人の心の痛みが分からない。分かろうとしない。

 「男は黙って札幌ビール」「寡黙な人」何て言葉もはやりましたが、最近はしゃべり勝ちのようなところがあります。早くまくし立ててしゃべった方が勝ったように見えますが、ウサギとカメでのお話のように長い面で考えるとカメが勝ちなんて場面も多々出てきます。そうです、長いスパンで考えることをしない人間が増えたのです。寡黙児何て言葉も現場で使ったことがありました。でも、その子をよく見ると案外人間って寡黙が故に相手のことをよく観察しているものだと感心したことがありました。今の教育はおしゃべり上手な子を育てている感もありますね。

 「巧言令色少なし仁」も同様で、言葉ばかり立派で心がこもってない人が多くなったような気がします。この辺、詰込み主義の弊害が出ているのかなと思います。ITや処理問題は素早いのですが、いわゆる仁がないのです。人間として薄っぺらい人間が増えて来ているのです。

 慈しみや仁、お天道様などの言葉も最近はあまり聞かなくなりました。罰が当たるなどはもう、死語になっているような感じです。残念なことです。

 これからのITやAIの時代になれがなるほど、処理することは機械がやるようになります。残るものはハートの問題や感情の問題です。心が豊かな人間が求められてくるのです。これは未来永劫人間が人間らしく生きてゆくうえで特に大切なことです。

 この世界は処理速度を競うことと違って、万人が誰でも等しく同じ時間エイジングをしないと身につかないことです。だから、人が人たる所以です。人間は人と人の間と書きます。そうです。その辺に人たる秘密が隠されているのです。AI時代を迎えますます、このことがますます脚光を浴びてくるのでしょう。今後はAIとともに人間とは何かを考える時代を迎えていくことと思います。

4 自分一人で生きていると錯覚している。
 社会に出て、困ったことに出会って初めて、自分だけではやれないことがあるのに気づく人が多くいるのではと思います。

 特に今の時代は何でも自由に選択できる時代ですが、選択する前提には人間としての基礎基本が十分できていないと困ります。その前から選ぶ自由ばかりが与えられると、何でも自分の思い通りになるという自己中の人間をたくさん作ってしまいます。今の教育のマイナス面がこの辺のところに顕著に表れているような気がします。

 自分で選ぶ前提が大切なのです。基礎基本の根本が問われています。最初から選択ありきでなく、しっかりした自分を持ってから、自分の力で選ぶのです。自分で選ぶ力は、客観的な自己内省力でもあります。ですので、大切なことはその選択権を徐々に与えていくことが大切ことではないでしょうか。

 今の子は小さい時から物が有り余る時代に育っているので、やたらに何でも欲しがり何でも捨ててしまっているのです。自分をよく見つめ何が本当に大切なものかを見極めて選ぶ心眼がないまま、情報や物資の中に放り込まれている感じです。昔から、守破離は大切な言葉です。

 ですので、選択をさせるときの羅針盤となる大人の出番が重要です。子供の特性を見つけ、どう導いてゆくかの見通しを持った人がいないと将来を間違えてしまいます。

 家族の中を考えますと、お父さんとお母さんの考えにずれがありますと大変です。お互いが自分のエゴで子育てしてしまうと後で禍根をのこします。客観的にみて賢い方にかじ取りを任せなくてはいけません。その辺の謙虚さが親の方に必要になります。我儘な方がかじ取りを行うようになると、大変です。

5 感謝と畏敬の念がない

 感謝の気持ちがない人には有難味がわからないのではないでしょうか。今置かれている自分の状態が親や周りの人の支えでできていることをあまりにも忘れている人が多すぎます。これも、何でも自分中心のはき違えた人権思想がこうさせたように思います。

 こないだ韓国でピョンチャンオリンピックがありました。その中のアスリートの皆さんは誰もが、自分一人の力ではない、周りの人の力添えがあってメダルと取れたと述べていたのが、印象的でした。

 自分という人間は自らの分け前と書きます。神から与えらたその人の使命をもって自分というのです。また、自分と対局する向こうに必ず他人や周りの環境があるのです。そのことを忘れて好き勝手ことをすると、昔の人は天に唾する行為として戒めていたのです。必ずやその報いが自分に後で降りそそぐということです。

 また、世の中、あまりにも明るすぎて闇夜があるのも気づかず一生を終える人が出てくるのではと危惧しています。闇夜があるから、昼間の明るさがあるのです。電気があるのが当たり前の人が多すぎます。

 月夜のありがたさに気づいていない人もあるかと思います。月は太陽や電灯に比べて目立たないわけですが、満月の夜は事の他明るく感じます。なぜでしょうって、それは、明かりを感じるセンサーは相対的だからです。周りが暗ければ暗いほど、ふと見えた明かりのありがたさが倍増しますので、絶対値は暗くて明るく感じるのです。

 その辺に自分を生かしている、自分をこのように誕生させている自然の摂理のような神がいるのです。あまりにもそのことに気づかない人が多すぎます。

 生活科は気づきが重要な観点です。この連続が総合的な学習へと続いて行くのです。それにしても、教科が多すぎてそれも効率的にならざるをえない学習を余儀なくされている現場には厳しい状態が続いています。

 忙しくなると心を失い効率にすり替わります。その辺を考えてゆかないと、理想ばかりの偏ったものになってしまいます。前の方で理想と現実を挙げましたが、理想と現実の開きがますます広がってしまいます。結局知識偏重の教育になってしまいます。

 今の時代やることが多すぎますので、遠くを見つめる目をどこかで自分なりに持っていないと、ふらふらとベクトルの方向がずれて行ってしまいます。どちらにしてもベクトルの方向は今も昔も利他の幸せです。幸せというところを見つめて今の自分はどう生きたらいいか考えることが大切なことではないでしょうか。

 想いついたことを述べてみました。今後ますますITは世界の流れになってゆきます。今やスマホの普及率は日に日に伸びていっています。近いうちに世界がスマホでつながってしまいます。また、AIもますます生活に入ってきます。人間とは何なのかを問われる時代がもうすぐそこに来ています。

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