想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

この頃のいちご

2012年01月23日 | インポート

震災2年1月23日

 この頃の露地上のいちごの様子ですが、紅葉して地面にべたっと張り付いています。いわゆるロゼット状というのかな。ゆふになるとたんぽぽもこのような状態になります。
 最近は露地の苺を見たことがないので、地面にそのままにして植えてみましたが、昨年は少しだけ苺が採れました。今年はちょっとふえたのでもっととれるのではないかと思います。収穫時期が待ち遠しいです。

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思いがけない電話

2012年01月09日 | インポート

震災2年1月9日 

私のいない時に思いがけない人から電話があった。私が19才の頃一緒に会社勤めをしていた頃の同僚(年も私と一緒)の奥さんからの電話であった。妻が受け取ったのであるが、最初は彼の親でも亡くなったのかと思っていたが、聞いていくとそうではなく、彼本人が亡くなったということであった。携帯電話の番号を聞いていたので、早速奥さんに電話をしてみると、昨年の3月30日になくなったそうだ。パンを喉に詰まらせたらしい。加齢に伴う嚥下障害かららしい。いわゆる餅を喉に詰まらせるようなものらしい。
 夫を亡くした奥さんの痛みはお話していても痛々しかった。お墓はもう決まっていて納骨されているが、仏壇の整理はまだ、ついていないらしい。もう、子どもは皆成人して嫁いでいるので、その心配はないらしいが、これからの夫亡き後の生活が大変らしい。一応関東の息子宅にすむらしいが心の寂しさは大変なもののようである。慰めの言葉もなかった。何十分話していてもきりがないので、電話を切ったがこれからはこのようなことが私の周りでも色々とでてくると思う。仏壇の整理がついたらまた、連絡をしてくれるということなので、その時は、お経をあげてこようと思う。人生諸行無常だなとつくずく思う。どんな人間でも生まれてくるときと死ぬときは淋しいかな一人である。私もだんだんその年に近づいていくので覚悟はしておく必要がある。まあ、すべては天に任してあるからしかたはないか……。人生なるようにある。なるようにしかならない。これしかないか。

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「改元」 元号:震災2年

2012年01月09日 | インポート

 震災2年1月9日

 日本には元号を使う習慣がある。天皇を中心にして元号が決められているのが通常であるが、3月11日の大震災は戦後という考え方を大きく変えたような気がする。
 よく、昔から、戦前・戦中・戦後という言葉を聞いて私たち団塊の世代は育ってきた。しかし、戦後も70年になろうとし、明治時代生まれの人も段々いなくなり、節目がなくなって来ているところで、大きな災害に昨年は遭遇した。まさに未知との遭遇であった。世の中が諸行無常である限り、このような変化は必然ではある。その中をどうやって私たちは生きて行くかが今後もずっと問われているのだ。
 私はこの1000年に一度といわれる未曾有の大震災は年号を決める意味でも、とても大きな転換点になったのではないかと思う。世界がグローバル化し地球が益々狭くなってきている現在、もう、地球の生命もこのまま行けば末期に近づいているのではないかと思うようになってきた。地球に負荷がかかりすぎているのだ。
 そこで、大きな大きな地震が起きた。原発もはぜた。そうだ、戦後に匹敵する大きな事件が勃発したのである。日本だけの問題でなく世界的な問題、地球的な問題でもあったのだ。そこを、境に今後は私なりに震災元年の年と呼ぶことにする。
 今年はお正月を迎えた訳だから、震災2年になった。この未曾有の出来事を神からの警鐘ととらへ、今後の生きたかに変えていかないでどうするということだ。
 さて、戦後の大改革を私なりに考えて見ると、太平洋戦争が終わって日本は帝国憲法から民主的な基本的人権を主体とし、戦争を放棄した日本国憲法になった。性別を超え男女が法の下に平等となり、学校では学級会が行われ、何事も話し合い多数決できめられるようになった。また、農地改革が行われ小作民が皆、農地を所有するようになり農業も大きくかわった。基本的人権がうたわれるようになり個人としての価値が格段に上がった。そのため、ややもするとその行き過ぎの為に自己中なる言葉も生まれ、郷土や国、伝統や歴史、家族に対する公への尊敬の念が薄れてきた面もいなめない。公を優先する良さ、個人を優先する良さ、良さには本来その2面があるのだ。どちらに傾いてもいけない。軍国主義や全体主義の行き過ぎが日本の暴走を許し、第二次世界大戦へと日本を追い込み、そのため、日本古来の国学などに影響を及ぼし、その勉強がおろそかになったのも否めない。日本の美しい雅な奥ゆかしい良さが消えかけてしまっているような気もする。速いばかり効率ばかりがいいわけがない。悠久な時の流れ、ゆとりある空間があるからこそ効率や実物も存在する。その相反するように見える二つも独立に存在するのでなく陰になり日向になり素は同一なのである。日向があるから陰ができる。相反するものでなく根本では繋がっているのである。人間の男女とて、別々でなく、胎児の初期では性の判別はないのである。不易流行もまた、しかり、どちらも独立しているのでなく、根本で一緒のものである。科学も万能でなく、ある一面だけ見ている。宇宙の命はとてつもなく長い、永遠といってもほぼ、間違いない。しかし、たかが人間の生涯は長くて100年。このちっぽけな存在の人間が少しばかり科学を勉強したって広大の宇宙の意思が分かる訳がない。このようなことを忘れ人間が増長したその先に人間では制御できない原発事故が発生、反面、震災を境に絆が叫ばれ個人だけでは生きてゆけない人間の側面もクローズアップされた。これから私たち日本人はどこへゆくのだろう。心配な面も多々ある。しかし、すべては、諸行無常である。時は流れ、形あるものは変化して行くのである。人生の本質はある面その変化の刹那にあると行ってもいい。
 震災元年を境に諸々の問題点を整理し、新たに震災元年として、再出発するためにも、ここに日本国民は震災元年を新たに銘記し新たな旅立ちをすべきだと考えたい。その中には世界戦争へ導いた全体主義、国家至上主義を改め、また、戦後の基本的人権の弊害である自己中心主義を改め、地球的規模で生物を含む人間の幸せを再考し、どう生きたら私たち人間はこの青き惑星、地球と共存しながら地球生物の一員として、生きていけるのか、その辺にビジョンを定め、そこへエネルギーを向けて行く方策を考えなくてはと思う。分からないことはそのままにしておく方がよい場合もある。分かろうとするエネルギーはまた、それなりにすばらしい。どちらにしても本質はいつの時代も諸行無常な世の中である。

 

 

 

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干し芋

2012年01月08日 | インポート

 寒さが厳しくなり乾燥した日が続くと、毎年、干し芋を作るのが最近は恒例になってきています。大根も沢山できましたので、これも切り干しにしようかと思っています。今年は残念ながら、干し柿はできませんでした。

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成人式

2012年01月08日 | インポート

  平成24年の成人式が実施されました。来賓として毎年参加してますが、例年この日はいつも新たな気持ちになり、自分の二十歳の頃を思い出します。参加するのが楽しみな行事です。

 

会場はきれいな振り袖でにぎやかになります。着物姿はいいですね。こういう時期でないと着物を段々着なくなって来ているのが残念です。せめて、この日だけでも着物でという気持ちは分かります。

毎年小笠高校吹奏楽部が演奏してくれます。

 

 

 

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