想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

ばらの都苑”今、桃が満開"

2018年03月31日 | 野山散策

震災8年3月31日

 浜松市郊外の「ばらの都苑研究畑」はバラ以外の花も楽しめるオープンガーデン。個人の経営で、しかも、入場無料というから驚きです。オーナーの趣味もここまで来ると、半端ないスケールです。

 オーナー曰く、朝の景色が素晴らしく、風がないときがよく、日差しが変わる10時頃までが最高だそうです。最近、毎年、訪れています。

 初春のクリスマスローズや花桃から始まり、初夏のバラやユリへと花のリレーが楽しめます。近年では静岡県外から観光バスツアーも訪問するほど! 橋や花のトンネルなど工夫を凝らした花桃エリア見事です。

 これからは、バラ園が楽しみです。個人だけでここまで、やるかという感じです。一度、訪れてみると、その素晴らしさがわかります。趣味もここまで来るともうびっくり仰天です。公営と違って隅から隅までオーナーの思い入れがあふれているガーデンです。

 オーナー曰く、細々と飼っていた小鳥が蛇などに食べられてしまい、かわいそうなことをしたとお話していました。小屋に二つだけの卵がぽつんと取り残されているわけがよくわかりました。なんでも、下の方に穴を開けてそこから侵入してきたらしいです。そこまでやられたらお手上げですね。小鳥は小屋から逃げられないから、かわいそうなものです。

動画クリック→https://youtu.be/IH_EM2M3B7k

 

 

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初めての就職の頃

2018年03月21日 | エッセイ
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震災8年3月21日

 昭和41年3月高校を卒業して地元の河合楽器に採用が決まりました。そして、面接があり、最初は、プログラマーとして切磋琢磨する計算センターはどうかと、勧められました。

 そこにはIBMの電子計算機がたくさんあって、キーパンチャーの女性もたくさん働いていました。当時の計算機は穴のあいた紙が回っていたように思います。計算機も大人の背丈より大きな機械でした。

 今のノートパソコンも、もとは、あれだけ大きなマシンだったのですから驚きです。紙を巻いた輪が少しずつ動いて計算をしているようでした。それが、当時のコンピュータです。その穴を打つのがキーパンチャーです。

 最初、その部署の仕事はどうかと、お話がありましたが、内容を聞くと、当時、プログラマーになるには10年かかるといわれていました。家に帰り色々考えてみましたが、毎日、毎日プログラムという記号だけを眺めている自分を想像するだけで、嫌気がして、その仕事は向いていないとお断りしました。

 結局は、電子楽器事業部に配属されました。当時は父も同じ会社に勤めていました。父はもともとは家具職人でした。生産ラインにのる前の試作品としてのピアノを作る仕事をしていました。試作ですので、そこでOKが出れば生産ラインにのるわけです。

 父は明治42年生まれで、80歳で他界してもういませんが、彼との思い出は尽きません。根っからの木工職人で個人で家具職人をしていた時期もありました。自宅で家具を作ったり、ヤマハピアノやディアパソンピアノを作っていた時期もあったようです。

 私が幼少の頃は座卓や花台等を作り、ニスで塗ったり膠を使ったり、いろいろなかんなで削ったり、白いご飯を練って接着材ににしていたこともありました。

 電子楽器事業部では大卒と高卒が混じって1年間の実習をやりました。電子オルガンを組み立てたり、その仕組みを覚えたり、電子楽器の製造から、技術に関することを沢山学びました。

 この会社に定年までいても、高卒の私たちはせいぜい課長どまりだろうということも考えました。自然律と平均率などの理論は先輩が音楽理論の本を貸してくれて、概略覚えました。

 平均律だと、どの調にも移調できることも分かりました。電子オルガンのオクターブの関連が発信周波数の分割でできていることも分かりました。その後の教師になってからも、そこでのことは大いに役立ちました。

 また、半音が100セントと称することも知りました。職場の電子オルガンを気持ちよく弾いている先輩も見ました。私もあんなに上手に弾けたらいいなと思った時期もありました。

 その後、音楽教室に行き電子オルガンを少し学び、初めて弾けた曲が月の砂漠です。そこでは、ビギンのリズムでブンガワンソロを弾いたのも思い浮かんできます。右手と左手を別々に弾き足でベースを刻むことが初めてできた時のことも今思うと、昨日のような気がします。

 今、為すことにより学ぶという言葉が浮かんで参りますが、まさに、当時は体を通して色々学んだなと懐かしく思います。

 アフター5で学ぶこともたくさんありました。ダンスの同好会が社内であり、社交ダンスも学びました。近くに河合楽器音楽教室の講師養成所もあり、そこには音楽教室の講師になる方がたくさん学んでいました。彼女らともお話をする機会があったことも懐かしい思い出です。

 さて、やがて、本社での仕事も1年が過ぎてゆきました。そこで、大きな事件が起こりました。それは、関連会社を買収した影響で、同期の技術系社員は必要がなくなり、全員営業へ異動するというお話です。二年目は営業所へ転勤となりました。

 私は当時北海道か、京都なら行ってもいいと漠然と考えていました。旅行でもする気だったろうと思います。営業が自分に合うかどうかも分からないのですが、なんでも経験し見てやろうということでしょうか、興味津々の境地ではありました。

 その後はどうしようかと思案していましたが、結局、特販事業部京都営業支所に転勤になりました。そして、初めて、親元を離れ、寮生活が始まりました。宿舎は西京極にありました。そこにも、先輩たちもたくさんいました。大卒のお兄さんもたくさんいて、将来のことについて私なりに色々考えさせられました。京都の町も魅力的で色々な体験もしました。

 やめる時、先輩からも色々アドバイスがありました。"今迄に何人の人と会って来たの?この縁を大切にしたらどうかな…"結局、営業は幸せに繋がらないと結論付けて、わずか三か月で退職を決意しました。と、同時に、社会福祉関連に進み人様の為に働いてみたいと強く思うようになりました。そのためには、大学の資格が必要だということもよくわかりました。今となっては、自分の思う道を進んで来て、悔いはありません。

 また、同じ寮の大学生のお話を聞いているうちに心理学や論理学も学んでみたいという強い気持ちも高まってきました。今までは、勉強は苦学だと教え込まれて来た感がありましたが、自分で学びたいことが沢山あるということが、分かりました。そうだ、大学に行ってもう一度しっかり勉強したいという気持ちはどんどん強くなっていきました。

 ついに、辞表を提出することを決めました。わずか、3か月という短い期間でしたが、二十歳の私にとって大きな転機になりました。その3か月は心理的にはとても長く大きなインパクトのあるものでした。そして、退職し実家へ帰りました。帰るところがあったことは不幸中の幸いでした。そこから、新しい自分の未来が見えてきました。それ以来、想いを持つことの大切さを実感して来た気がいたします。

 また、じっくり自分史の中でいつか述べてゆきたいと思います。

 

 

  

 

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タクシー運転手と認知証

2018年03月19日 | 我が家の庭
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 震災8年3月19日

いつか、テレビで、タクシー運転手には認知症がいないと、言っていましたが、考えてみますと、確かに彼らは色々な機能をフルに使っていることに気づきます。

例を挙げれば

●空間認識を絶えず働かせて、場所を調べる。頭の中では抽象的は思考を絶えずしていると思われます。
●お客さんと接しているので、言葉遣いや表情など絶えず気配りをする。
●お客さんとよく談笑する。

まあ、この辺のことが、認知機能の維持に効果を発揮しているのだろうと、推測ができます。ですので、仮に運転手でなくても、常日ごろから同じようなことに関心を持ち、気づかいをしていれば、常人でも認知機能の維持にはよいと思います。客商売は自分のことだけでなく、結構気づかいや気苦労が多いと思いますが、このことが脳の血流を活発にさせているものと思います。

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桜咲く 詩

2018年03月19日 | 
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気と日本人

2018年03月12日 | エッセイ
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ヤマキイカイ

震災8年3月7日

 気という言葉は古来色々なところで使われてきました。今回はこのことについて考えてみましょう。日本には古来より気の付く言葉が、実に沢山使われています。
科学絶対主義人間が多くなった昨今、気などと言うのは迷信か加持祈祷の類のように思われる方も多いようですが、これほど多くの言葉に含まれている”気”とは日本人の”命”なのです。
  ”気”とは目に見えないもの、触る事も出来ないもの、それは”命”と同じなのです。
  ”命”も見ることも触る事も出来ません。”気”や”命”は、現代の科学を駆使しても質量を計測することも画像化するこも不可能ですが、物質として確認のする事が出来ない”気”や”命”には神意ともいうべき偉大な働きがあるのです。私たちが生かされているのは”気”の働き、すなわち”命”は”気”そのものであります。これだけ沢山の言葉で”気”を表現している日本語から推測しても、いかに日本人が目に見えない世界を大切にして”気”を生活の中に取り入れた、生き方をしていたかの裏付けとも言えるのです。

 強気、弱気、浮気、負けん気、勇気、勝ち気、やる気、活気、殺気、狂気、意気、多気、無気、陰気、陽気、妖気、眠気、呑気、暢気、雰囲気、平気、本気、惚気、和気、蒸気、上気、火気、水気、電気、豪気、短気、損気、毒気、気に障る。気遣い、気苦労、気安い等々、挙げれば切りがありません。それほど、その気の真っ直中で私たちは生活をしているのです。

 通常は意識していることは無いのですが、この中にいることだけははっきりといえます。言葉は悪いのですが、昔は精神が異常な人を気違いといっていた時代がありました。まさに、気が世間の常識と違っていたということでしょう。

 言葉を、詰めて行くと、古き昔日本人がどういう生活をしていたかが、伺いしれます。今は、IT全盛の時代に私たちは生きていますが、人が人たる根本的な所はこのような気の世界では無いでしょうか。この気という命の根源的な部分が今、おろそかになっているような気がしてなりません。

 最近、人は死ぬとどうなるのだろうと、考える事がありますが、まさに、気の世界こそ、現世と、来世をつなぐ世界の様な気がしてなりません。

 なぜなら、気の世界には質量が無いからです。私たちは肉体をもらって現世に誕生して来ますが、現世に別れを告げるときは肉体という質量を持つ衣を脱ぎ去って行くわけです。このことが、大事な事では無いでしょうか。

 この衣に必要以上なものをつけると、それは虚飾になります。ありのままに、Let it go 自然体で何事もいきたいものです。自然体とはその中に自分が生かされている使命を見つけることです。ありのまま、なすがまま、すべて自然に任せて悠久なる人生をゆったりとして過ごしていきたいものです。何かのスローガンではないですが、”そんなに急いでどこへゆく”です。

 神からいただいとこの肉体があるから、私たちはこの世界にいるのです。これを脱いでしまって捨て去ったときが、来世への旅立ちになる訳です。

 肉体という衣を捨て去った後に残った物はやはり、気という精神的は世界なのでしょう。

 ですので、この気を確かに持つ事が、現世来世共に、非常に大切になって来るのではないでしょうか。

 ですから、常日頃から、健やかな生き方をしていく必要があります。病気は気が病めると書きます。気は確かかと問われても、”確かだよ”と、いわれるような生き方をしていないと、永遠の命には行き着けない気がします。肉体はいつかは滅びてゆきますが、この気だけは限りが無いと思います。

 気高いという言葉もあります。この言葉からもいかに、気を高く持って生活することが大事なことがよく分かります。気高いというと、お高い感じがしますが、身分に関係なく誰でも心の問題ですので、心のありようとしてそういう気を持つことが大切です。身分に貴賤はないのですから誰でも、持つことのできる基本的人権のようなものと思います。

 昔、名もなく貧しく美しくという映画がはやりました。その根底に流れているのが、この気高さだと思います。

 後、長くても30年が現世の残りだと思います。この気を磨いて永遠の命に近づきたいと想います。

 

 

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