想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

絶対評価

2013年02月22日 | インポート

震災3年2月22日

 今日も寒波が日本を襲っています。今年の冬はことのほか寒い日が続いているようです。朝のいつものウォーキングが終わり顔を洗っていました。そこで、不思議なことに気づきました。外は1℃ほどの寒さですが、いつもならこの時期の水道の水が冷たく感ずるのに全然冷たくないのです。そうです。顔の方が外気に当たって冷たかったからです。このように絶対温度で水温を測ると多分5~6℃あったのではないかと思いますが、全然冷たいどころが頬に水が当たると温かささえ感じました。不思議だなと思うと同時に外気で冷えていた頬はその水を冷たいどころか温かいとさえ感じたのですから、いかに人間は相対的な感覚で生活しているのだなと思わざるをえませんでした。苦労は買ってでもせよ。と、いいます。苦労をすることにより、より幸せ感が強くなるということです。
 そういうこともあり、学校当時相対評価から絶対評価に評価が変わった時期がありました。文部省の要請に従わなければなりません。学校全体が絶対評価の通信簿に変わりました。そのとき、人間って相対的なところで幸せを感ずるのにおかしいなと感じたことを思い出しました。そうです。人間の感覚的な心の動きはなるほど相対的な物だったのです。心理的な距離、心理的な時間という物があります。親しくなると誰とでも心理的な距離は縮まります。また、忙しくなると時間も短く感じます。苦労した後の喜びはまた、人一倍になります。空間があるから絵が引き立ちます。休符があるので次の音が生きてきます。休息を間に入れることにより能率は上がります。間があるので次が生きてくるのです。このように物理的(絶対)な物は同じでも、人が感ずる心は違います。好きになればあばたもえくぼに見えます。これが人間の心なんです。心はころころ変わるから心なんです。人間とはまか不思議なものです。ない物が見えたり見える物が見えなくなったりします。これが業であり煩悩の仕業です。水を自分の方に引き寄せようとすればするほど水は逃げていきます。地球を中心に太陽を見れば太陽が動いています。太陽を中心に見れば地球が動いています。科学的には物理現象としては太陽の周りを惑星である地球が回っているのがいわゆる真理であります。しかし、日常人が暮らしていく上にはむしろ、お天道様が東にでて西に沈むと考えた方が理にかなっています。これが世相です。科学で大切なことは真理は真理ですがそれをふまえた上で人様の幸せになるように考えるのがより確かな考えなのでしょう。そこに、信仰があるのではないでしょうか。科学は所詮科学です。それを感情を持った人間にどう取り入れるかが大切だとおもいます。

 

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アベノミクスの功罪

2013年02月21日 | インポート

震災3年2月21日

 巷では今アベノミクスという言葉が大流行のようです。ミクロにとらえれば一時的にはよくなるでしょうが、それはやがて自分に降りかかって来ます。いわゆる天につばするようなものです。アベノミクスは原発よりももっと早く天に向けたつばが地上に落ちてきます。だって、地球という上での負荷がもう、自然生態系をより超えている状態ですので、これ以上やったら大変なことになるのです。中国のPpm2.5も同じようなものです。後は水と空気の問題です。これについてはまた、述べたいと思います。

    原発がおなじだったのではないでしょうか。近視眼的にはコストが安くクリーンだといっていましたが、長い目で見ると大変なつけを人類はおったようです。放射のがなくなるまで10万年の歳月がかかるそうです。気の遠くなるような話です。アベノミクスの場合はきっともっと早くその功罪が現れてくるでしょう。物理の世界では物質は早く温まるほど早く冷えます。比熱が水は1ですが金属はそれより遙か小さいわけです。ですから、熱しやすく冷めやすい金属のような世界でアベノミクスの理論は実践されるのです。古今東西、諸々のことは効果が早くです物はその罪科も早く現れる物です。すべては物理現象で成り立っている自然界の掟のようなものです。ですので、その辺のことを考えながらアベノミクスとつきあっていかないと大やけどを負います。国債発行額が1000兆円を超えるのも間近に迫っているのですから。

 

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自由とは

2013年02月20日 | インポート

 

 震災3年2月20日

 自由について昔から色々と考えていた時期がありました。自由と規律の関係、放縦の自由、規律の中の自由など…。最近になってどうも自由とはわがままに通じ、心を雑念から解放して、仏教でいえば業にとらわれることなく自由奔放に考えられる心の有り様をいうのだなと確信するようになりました。地位や名誉からの自由、学歴や経済力からの自由、とらわれる心からの自由ほどフレキシブルで広い空間を行き来します。そういう自由を今後は手に入れすべてに柔軟に対処できたらと想います。特に芸術の世界ではこれがないといい作品はできません。とらわれることのない心こそ永遠なるいのちにつながります。自分があって自我がない。いわゆる諸法無我の境地でしょう。新しい物を企画したり作り出していく場合はこの境地がないとできません。だから、芸術家はわがままでなければなりません。そういう心を取り戻せたらと想いますが凡人にはなかなか無理でしょうね。

 

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みねだ雪祭り開催

2013年02月17日 | インポート

震災3年2月17日

昨日みねだ雪祭りが開催され、たくさんの人でにぎわい大成功でした。
私は事務局をやりましたので、朝5時起きでした。私も初めての体験でぼけている
暇がありませんでした。


中日新聞にも掲載があり、楽しそうな子供の姿がのっていました。

 

 

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