珍しいカメムシを見つけました。早速ネットで名前を調べましたが同じ種の写真はありませんでした。典型的なカメムシと言うと、臭いが強くて、灰色をしているのをよく見たことがありました。ピーマンの茎についていたことを思い出しました。ネットで調べてみると、カメムシの仲間が結構沢山いたことを知ってびっくりしました。と、同時に、この地球にはまだまだ、私たちの知らない未知の世界が沢山あることを改めて知りました。青き地球、この美しい惑星大切にしたいです。
初馬農園は粘土質であり、土壌のPHを測定した所、約6.3位、千浜農園は砂地で6.8位あった。ちなみにPHと野菜の育ちの関連では次のリンクを参照したい。
http://homepage2.nifty.com/halu-nabana/tsuchi-ph.html#tsuchi-ph
いずれにせよ、野菜固有の性質や土壌の状態をしっかり知ることが大きな要素であることは間違いないようだ。このことも考えながら他諸々の要素とを総合的に考えながら栽培をしてゆきたいと思っている。自分の力は知れている。自然の力を上手に使うことが大切である。
初馬農園の方のキャベツが初収穫を迎えた。買えば1個200円ぐらいしそうである。虫にも結構食われたが、病気になることなく、どうにか直径20CMの大きな玉ができた。まあ、無農薬有機栽培として、どうにか合格である。
千浜農園の方にも畑があるが、そちらの方の収穫はまだまだである。台風の風と塩害と虫でだいぶやられてしまった。
とにかく、種から育てたので、虫の害がすごかった。白菜や青菜の葉っぱは集中的に虫の害に悩まされた。虫の為に作ったような感じになってしまった。このまま、無農薬でいけば、益虫も来年はだいぶ増えて来るはずだから、もう少しの辛抱である。会社経営も、最初は赤字から始め徐々に利益がでるようになるではないか。石の上にも3年と言う言葉もある。私の場合は楽しんでやれればいいから、気楽なものだ。
ところで、農園経営のスタンスをどうしようと色々考えていたのだが、自然栽培はもう畑を作り品種改良された種を使う限り無理がある。畑を作ること自体、もう自然でない訳なので、自然栽培法は無理な話である。結局、自称「里山的農業」がいいのではないかと思う。人間と自然がうまく共生しているのが里山である。農業もできるだけ農と自然が共生するような発想でいきたいと思っている。
おいしい野菜に虫が付くのはごく自然な現象、しかし、虫に全部野菜が食べられてしまえば、野菜はなくなってしまう。そうすれば、虫の食料も枯渇してしまい、結局虫にとってもよくない。だったら、ある程度野菜が大きくなるまで、虫から隔離して栽培して、食べられてもダメージのないような大きさになってから植えるのがいいのではないかと思う。
もう、一つはあまり虫が付かない種類の野菜を選ぶことである。白菜に比べてキャベツは虫があまりつかないようである。ジャガイモもあまり今のところは虫がついていない。
そのほかの方法としては、虫が少なくなってから育てるというものである。他には、害虫を食べる益虫や動物を保護して防ぐことである。色々な方法をこれからも考えて有機無農薬栽培、里山的農業を考えていこうと思う。
このことが、地球環境を守っていくことになり、温暖化防止にもなっていく。
※初収穫のキャベツ、現在冷蔵庫で眠っている
※手前が大根、虫に食われつつもこの分ではどうにかできそう。これは種から育てた。
※だいぶ大きくなってきたジャガイモ、この分では沢山できそうな気がする。
品種は農林1号、メイクイーンだったと思う。できれば、来年はインカの目覚めを作ってみたい。ジャガイモも結構色々な種類があるようである。メイクーインか男爵しか今までは知らなかった。
朝の犬の散歩コースのおり、ふと目を横にそらすと、まっ赤なカラスウリが目に入った。あの朱色の色が澄み切った秋の空と周りのグリーンに映えて美しい、田舎の農家の庭に彩りを添えている。
秋は日暮れが早まると共に彩りを添え深まって行く。
ところで、我が家にもカラスウリが生えている。クーラーの側に生えてじゃまだったので、掘り起こした所サツマイモの様な球根が出てきた。カラスウリって球根からできているんだ。その時、初めてしった。その球根のデンプンをとったらどうなんだろう?と、思ったことを覚えている。一度取ってどんな性質があるか化学的な実験でもしてみようかな。食用にはなるだろうか。興味はある。夏休みの自由研究の課題にもなりそうだ。
休耕田の側を通ると、がまの穂が出ていた。周りが湿っていて結構情緒があるじゃないと思った。がまの穂というと、いなばの白兎の神話を思い出す。昔、聞いたことがある話であるが、兎と共にがまの穂が出てきたような気がした。どういう関わりが兎とあったかは忘れた。古典的な植物である。生け花などのオブジェに時たま使われていることがある。沼地とか、古びた池を連想させる。牛蛙や蛇なども出てきそうだ。
そういえば、子どもの頃よくあぜ道であそんでいると、蛇が蛙を飲み込む所に遭遇したことがある。あの子どもの時以来蛇が蛙を飲み込む風景はもう、50年余り見たことがない。時代も変わった物である。当時はまだ、環境などという今時の言葉はなかったように記憶している。環境は当たり前の事だったのである。考える対象と言うよりは、生活の一部だったように思う。人は皆なくなってみてそのことのありがたみを思う動物のような気がした。空気も水も周りの物がすべて有限となってきた現在になり初めてそのものの本来持っている価値に気付き初めている。もっと、早く気づかないといけないな。効率と便利さの影で、なくなって行くものへの淋しさはどうしたらいいのだろう。今後の課題だ。
毎年紫蘇が自然に我が家に生える。紫蘇は10月頃実がなる。それが紫蘇の実である。昔、紫蘇巻きという黒(赤)味噌を紫蘇の葉でくるんだ物をよく食べたものである。その中に実が入っていて食べるとその実がカリッと音がして口の中で割れる。紫蘇はその割れるときの感触がたまらなくいい。そこで、私はここ3,4年毎年この時期になると、紫蘇の実の佃煮のようなものを作っている。
『漬け物風紫蘇の実の佃煮』
<材料>
紫蘇の実 なす キューリ ショウガ 梅干し ちりめんじゃこ
<作り方>
①紫蘇の実を熱湯消毒する。(暑い湯を紫蘇の実にかける。)
②なす、ショウガ、キューリはさいの目に細かく切る。
③なすはよく手で圧縮して水気を絞っておく。
④紫蘇の実、なす、キューリ、ショウガ、梅干しの果肉、ちりめんじゃこを一緒に入れ、よくこねる。中に、鰹節等はお好みで入れる。
あたたかい御飯にかけて頂くと、とても食が進む。おかずがないときはこれだけでも私はいいぐらい。家族にも好評である。紫蘇の実の割れる感触が何とも言えない。私の創作レシピである。するめを入れてもおいしいかも知れない。