想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

山野草の魅力(趣味として)

2009年05月15日 | インポート

   名もない物に光を当てる。名もなく人知れず咲いている物に魅力を見いだす。そして、心が癒される。その周りにある自然に心をはせる。自分で生きているようで結果活かされている自分を知る。山野草の魅力とはそんなことかな。派手さはないが、私に大きな影響力を与える。それを眺めているとその対象物だけでなく、その周りにある物を感じ取る。もちつもたれつ微妙なバランス感覚の中でその良さを放っている。その物だけで生きているのではない世界、すべてが連鎖している。関わり合いをもっている。
 酸素と炭酸ガス、そのバランスが崩れ炭酸ガスが多くなったとき、温暖化が始まる。植物は酸素をはき出す。人間は炭酸ガスを排出する。自然は他との関わりの中で生きている。森羅万象すべてバランス感覚だと思う。一人で勝手に生きていると思っているのは、ちっぽけな自我の世界、生きているつもりが活かされている自分でもある。自分と周りとの関わりの大切さに気づかずにはいられない。森羅万象すべては繋がっているし、因果応報の世界なのだ。春夏秋冬、生物は自然の流れの中で、それに順応して生きている。栄枯盛衰、おごれる者久しからずである。これが自然の姿である。下がりすぎればいつかは上がる。生ある者はいつか滅ぶ、そして、地に帰りまた、命に宿り循環する。西洋文明もやがて、東洋文明と代わり循環していく。いわゆるマルクスのいう正反合、こうして、自然界は循環しながらバランスを取りつつ、動いていく。時々行きすぎを是正しながら…。山野草を見ているとそのような世界を見ているようでもある。人という字はもちつもたれつ、お互いが支え合って生きている。森羅万象すべてはそうなっているはずだ。大切なことは人間それに気づくか否かだ。
 昔、「名もなく貧しく美しく」という映画が上映されていたが、まさに、山野草はそんな映画のタイトルのような趣だ。

 家の入り口に、こうして、山野草を飾り、鑑賞する。こうして、時は流れ月日は過ぎてゆく。人もまた山野草と同じ時の流れに身を任せ、浮き世を流転して行く。よどみに浮かぶ泡沫のように、時は流れ私は残る。

コメント
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