想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

日々に気づきを大切に!後1週間で76歳に突入します。

2023年03月26日 | エッセイ
コロナ4年3月26日(ウクライナ、ロシア戦争2年)
 75歳という年齢の1年間が最近の中でなぜか、長く感じた。なぜだろうか。多分、肉体の変化と共に、色々考えさせられることが多い年だったからだと想う。毎日何か想って生きていたように想う。この歳になり、色々想うことが多くなってきているなと想う。それが、後期高齢者というものか。
 4月3日が誕生日なので、後、1週間後には76歳に突入することになる。精神は益々充実して来ているが、肉体的には日に日に衰えを感じている。最近、気づいたことであるが、どうも、ラ行の発音がしづらくなったように想う。
 いつも、いっている早口言葉はスムーズに出るが、新しい初めてしゃべる早口言葉を言おうとすると、なかなか、スムーズにはいかない。それが、嚥下障害の始まりのような気がする。食べ物の呑み込みが悪くなったというのが高齢者の通常らしいが、喋りが流暢でなくなるのも同じようなことが影響していると考えられる。
 若い頃、アナウンス教室で学んだり、教師として、子どもに話しかけたり、歌も好きで合唱団にも入っていたりして、声に出す時に気を付けていたので、そうでない人よりはまだまだ、話はしっかりできるのだが、やはり、たまに舌がうまく回っていないなと感じることが最近あった。
 そんなこともあり、今後も努めて、口の体操やお話には気を配り、努めて口を動かすことをしなくてはと想っている。また、お話も早口で聞く能力が劣って来ているようなので、これも、努めて2倍速でも動画が聞けるように努めたいと想う。
 後期高齢者ともなると、知らず知らずのうちに機能の衰えは速度を増してくるので、それに、早めに気づき私なりの対処を考えないといけないなと想う毎日である。
 学校にいる時では先生が何でも教えてくれるので、その通りやっていれば事足りるが、社会にでると、自ら気づく力がすべてだと想う。その気付きを自分の血肉にできた人が独立した人生を啓蒙してきているなと、いやという程経験してきた。羅針盤の無い世界を自分の力で切り開く人こそが、新しい時代を生きる人である。
 何も気づかずに、ただのほほんとしていては老化の速度は日増しに累加していく。高齢者という言葉に甘えずにフロンティア精神で自ら切り開く努力なくして老後はないと、自分を厳しく見つめなおしている最中である。早めに気づいて実践する力が今の私には一番大切だと想う。牛の歩みもよし、千里の道も一歩一歩だ。

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感謝と畏敬の念、私がお墓を作る訳?

2023年03月16日 | エッセイ
コロナ4年3月16日(ウクライナ、ロシア戦争2年)
 
 人はオギャーと産声を上げて、この世に誕生してから、今日まで、生きながらえてはいるが、肉体としてのわたしは確実にその限りをいつかむかえる。それが宇宙の真理なのだ。
 そこからは、誰も逃げられない。肉体としてのともしびは、確実に終えるのだ。それは厳然たる事実として受け止めなくてはならない。
 長く生きて115歳ぐらいが限界だろう。まあ、現実は100歳までと考えるのが妥当だ。
 だとすれば、その間、どう生きるが問題だ。今はその方向に向かっている。
 その裏で、諸行は無常に時は流れていく、一瞬たりとも、その流れは、止まることがない。連綿として宇宙が誕生する以前から、続いていたのだろう。
 個としての肉体も、物資であるが故にやがて、色褪せ、物質としての生命を終わる。これは真理である。真理は誰もが覆せない物だから、受け入れるしかない。人類はこうして今まで連綿として続いて来た。
 光輝いていた肉体もいつしか、色褪せその終焉を迎える。それが俗にいうこの世に死である。この世があるなら、あの世もある。これが黄泉の世界なのだ。
 人間を個で捉えれば、この世であり、宇宙から捉えれば永遠の生命の中で生かされている。
 なあんだ、死とは宇宙の生命の中に戻るだけなんだ。と、捉える事もできる。そう、母なる自然の懐に帰るのだ。
 死んだら、この肉体はどこに葬るのがいいのか、後期高齢者ともなると、その事は切実になる。海に散骨にしようか、と、考えたときもあった。いや、樹木葬にしようかとも考えた。結論として、やはりお墓を作るのが妥当かなと考えるようになった。ならば、なぜ、お墓なのか、人は具体物がないと神を意識するのが難しい。その入り口がお墓なのだ。その裏には自然という永遠に広がりのある宇宙がある。その入り口がお墓であると私は思っている。
 だから、そこに手を合わせ合掌礼拝してくれれば、大いなる意志である神に近づけるのである。大いなる永遠の生命の中で誕生した私が、一瞬この世に誕生し、生きながらえて100年、その使命を終え、今また、広大な世界に帰るのだ。
 この世で物質としての肉体は滅びても、その精神というか霊感は不滅であり、そこに戻るのだ。だから、肉体としての死は、霊魂としては永遠の旅立ちなのだ。宇宙から眺めれば、肉体と霊感が合体したこの世は、ほんの瞬時のこと。
 私にはいつも個としての自分と宇宙から頂いた大いなる意志の自分が共に現存している。この世を離れるとは、肉体から離脱し魂が元の世界に戻る事だ。だから、感謝と畏敬の念なのだ。墓石にはそう刻むことにしている。
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水はぬるみ春がやって来た 詩

2023年03月11日 | 
コロナ4年3月11日(ウクライナ、ロシア戦争2年)

   もう、春ですね♪味噌汁に菜の花を添えてみました。何か自然の一員になった気がします。



もう春ですね
菜の花が咲き
蜜蜂が飛び交い
桃の花の蕾も
大きく息をして
花の咲くのを
待ってます

遠くから
鶯も春を告げています

天を仰げば
その声も
蕾も花も
青空に溶けてしまいそう

まもなく来るぞ
春爛漫

雪は溶け
水はぬるみ
生命の躍動する春

虫たちは
土から這い出で
若芽を食し
猫柳の蕾も
まもなく
燻銀が黄金に変わる
春春春

どれだけ叫んでもいい
希望の春は
確実にやって来ている












もう春ですね
菜の花が咲き
蜜蜂が飛び交い
桃の花の蕾も
大きく息をして
花の咲くのを
待ってます

遠くから
鶯も春を告げています

天を仰げば
その声も
蕾も花も
青空に溶けてしまいそう

まもなく来るぞ
春爛漫

雪は溶け
水はぬるみ
生命の躍動する春

虫たちは
土から這い出で
若芽を食し
猫柳の蕾も
まもなく
燻銀が黄金に変わる
春春春

どれだけ叫んでもいい
希望の春は
確実にやって来ている

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