想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

庭の草花で秋を活けてみた(詩)

2021年10月16日 | 
コロナ2年10月19日 

コロナ2年10月19日

吾亦紅、ウド、フジバカマの花を使い
庭に咲いているもので花を活けてみました。

その一瞬に
美を感じる幸せ
その一瞬だから美しい
一瞬はいくら重なっても
一瞬
そこに感性の全てがある
侘びと錆
その裏側に
宇宙の意思が
垣間見える
宇宙の意思と
共に歩む幸せ

その一瞬は
永遠に連なる

Today's flower arrangement
Agatsuma, udo, fujibakama
I made this arrangement from the flowers in my garden.

In that one moment.
Happiness of feeling beauty
It's a beautiful moment.
No matter how many moments overlap.
moment
That's where all the sensitivity is.
Apologies and Rust
On the other side.
The will of the universe.
catch a glimpse of
The will of the universe and
Happiness to walk together

That one moment.
They are forever linked.










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山柿と秋の風情から宇宙の意志へ

2021年10月14日 | エッセイ
コロナ2年10月14日
 今年も、この時期になりますと、庭が秋の風情でにぎわい始めます。今年は柿が豊作のようで、たわわに色づいて来ています。残念ながら渋柿ですので、観賞用として植えてありますが、たまに、干し柿にして食することもあります。
 そんなときは、秋そのものを頂く気持ちで喉を通します。自然はどれだけ長く見ていても飽きることがありません。そうですよね。それも、先史の時代から人と関わりがあったからでしょうね。まさに人間は自然の子どもでもあります。
 齢も74歳になりました。後半年で後期高齢者となります。益々、自然や雑草が好きになって来ています。1秒たりとも同じではない自然に畏敬の念を頂き感謝の連続です。
 自然と共に残りの人生を極自然体で過ごすことができたらどんなにか幸せだと想います。今、ここで息をしているのも自然、風邪をひくのも自然、鬼籍を見るのも自然、週3回の卓球で仲間と汗をかくのも自然、そうですね。自然とは切っても切れ放せないののも自然かな…。
 水は高きから低きに流れ、気流とて同じ高きから低きに流れます。時とて止まることなくとうとうと流れてゆきます。若き美貌もやがて衰えて行くのです。人智を超えたところの理(ことわり)にて今の自分がここに存しています。とわにかわらないのが宇宙の意志(自然の摂理)なのです。
 自然は偉大、そこで生かされている自分にも感謝しつつ、今の自分は何ができるか問いながら毎日を過ごしています。気力の続く限り今の刹那を精一杯生きて、新しい世代にバトンを繋ごうかと想う毎日です。
 人は自分一人で生きているのではありません。人類という大きなくくりの中で、また、地球という惑星の中で生かされ生きているのです。もっと、広くとらえれば宇宙の意志の中で生かされているのが人間なんです。
 with coronaの問題も間もなく宇宙の意志により、win winで解決されてゆくでしょう。そして、ずっと、両者は共存していくはずです。インフルエンザ2として…。そうです。すべては宇宙の意志で創造されているからです。
 世の中に不必要なものはありません。すべてが何処かで関わりを持って繋がっているのです。日本には茶道に由来する一期一会という素晴らしい言葉があります。宗教の話ではなく、身近な所にある話なんです。だから、私たちは生きるベクトルを宇宙の意志に向けるんです。
 コロナとて一期一会の出会いです。その裏には宇宙の意志(神)があるのです。私たちは所詮その掌の中で動いているのに過ぎないのです。このことを理解すれば、コロナとの関わりも分かってきます。
 自然と関わることで私たちは何となく意中の意志に触れているのです。だから、自然は最大の教師であり、我以外皆師という事になるのです。
 今回のコロナ騒動でいかに医学がまだまだ未知のものに対しては無力かを示しました。科学万能ではありません。日本の医療の貧困の大元に東洋医学の鍼灸や整体などを医師と同等にしてこなかった制度の貧困があります。もっと、医学も広くとらえ宇宙の意志に近づけなければなりません。人間はもっと、奥の深い神秘的な存在なのです。宇宙の意志にまで繋がってこそ、人間の尊厳が理解できるのです。
 我以外の生物はみは宇宙の意志のもとにあるのです。だから、我以外は師であり、自然は最大の教師なのです。もっと、神の前に謙虚ならなくてはなりません。宗教で争うなんて最低だと想うのです。宇宙の意志の前にお互いを尊重して生きてゆく定めなのです。
 幸せは東にも北にもありません。南(皆身)にあるのです?これからも、感謝と畏敬の念を大切に生きたいものです。私の墓石には感謝と畏敬の念を刻むつもりでいます。









白い花はヒヨドリバナ?(フジバカマの仲間)アサギマダラが好む花です。



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蓼の花色々

2021年10月12日 | 野山散策
コロナ2年10月12日
 毎朝起床してから近くの川沿いにウォーキングをするのが、ここ7-8年からの日課になっています。私は植物が好きですので、道すがら、堤防沿いの植物をよく見ます。歳をとるにつれなぜか、普通の花より雑草に惹かれるようにもなりました。四季折々に色々な雑草が見られますので、それを見るのも楽しみの一つです。
 また、その朝のウォーキングでは必ず1回は般若心経も唱えながら歩きます。そして、一日に一度は自分を無にして周りに自分を同化させるように意識的にしています。
 さて、歩いていて、今回はふと、白い花に目を奪われました。5-6ミリの小さな白い花ですが、なぜか気になり、色々調べてゆくと蓼の仲間で、どうも、シロバナサクラタデではないかという結論になりました。
 似ている仲間には、他にもサクラタデやヤナギタデなどがありましたが、私なりに花の大きさなどからシロバナサクラタデと結論づけました。
 そうこうしていると、他でも同じ花が咲いているのを発見し、蓼と人との関わりの深さをあらためて実感している所です。
 「蓼食う虫も好き好き」という言葉もありますし、何よりも、私が栽培している「青は藍より出でて藍より青し」のタデアイという植物も蓼の仲間だという事を知りました。
 そうそう、ミズビキも蓼の仲間のようです。だから、昔から、私たちの生活と深くかかわってきた植物だということが分かります。
 そうです。昔から人とどこかで繋がっている植物だったんだなとあらためて思いました。アユの塩焼きにかける蓼酢も蓼の葉を使った酢だという事が分かりました。この年になっても新しい発見がよくあるものだと自分で感心をしています。ぼけてはいれないなと想う次第です。

※シロバナサクラタデ、今日は咲いているかな、と想いながら歩きます。

索漠とした雑草の中でひときわ目を惹きました。



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