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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

「職人」という生き方について考える

2025年07月14日 | エッセイ

 最近、私はふと「職人」という言葉について思うことがありました。
「職人気質(しょくにんかたぎ)」など、よく耳にしますが、この言葉にはとても広くて深い意味があるように思います。

 私の父も、職人でした。
正確には、後年はサラリーマンとして働きましたが、その根っこには“職人気質”があったと思います。
真面目で丁寧で、仕事に誇りを持ち、納得いくまで手を抜かない姿勢――それが私の記憶に残っています。

 思えば、日本には法隆寺という世界最古の木造建築があります。
あれも、道具ではなく“組み合わせ”だけで建てられていると聞きます。
それを手がけたのもまた、職人たちでした。
何百年、何千年を超えて残るものをつくりあげる――それはまさに、究極の技と魂の結晶でしょう。

 そう考えていくうちに、私は気づいたのです。
この世にあるほとんどの職業は、突き詰めれば“職人”なのではないか、と。

 お医者さんも、学者も、教師も、演奏家も。
みな、最初は理論や知識を学びますが、そこから経験を積み、実践を重ね、自らの体で覚え、工夫し、鍛え、技を深めていきます。
やがて、無意識に手が動き、体が反応し、判断が直感になる――。
それはもう、「体で語る」域に入っていて、“職人”と呼べるものなのです。

 そしてその域に達した人には、自然と“光”が宿ります。
言葉にせずとも、見る人が見ればわかる。
その背中に漂う気配、手元の動き、佇まい――それがすべてを語っています。

 そして、もしそこに少しでも「芸術的な要素」が加われば、その仕事はさらに美しく、魅力を増していきます。
理屈を超えた世界。魂が宿る世界。
そうした仕事をしている人々を見ると、私はただただ「すごいなぁ」と思います。

 職人とは、学んだ知識を経験で磨き、身体に染み込ませ、血肉としたうえで表現する人。
つまり「表現者」なのだと思います。
その表現が、技術の中にあり、所作の中にあり、作品の中にあるのです。

 そんなことを考えているうちに、「職人」という言葉の意味が、ますます深く、重く、ありがたく感じられるようになりました。
今の時代だからこそ、もう一度「職人気質(しょくにんかたぎ)」の心を見直すことが必要なのかもしれません。
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