想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

この時期の我が家の庭

2014年10月30日 | 野山散策

この時期我が家ではコマユミ?だろうか、赤い実をつける。とても、かわいい。紅葉もきれいな植物である。毎年、ぐっと朝晩冷え込んでくるこの時期に実がなる。
 また、秋を彩る花にツワブキがある。黄色い花で、庭が華やぐ、花ではどうも、黄色の花が一番多いように思う。庭のあちこちに自然に生えている。大きさもほどよくあちこちに生えてもじゃまにならない。和風の庭に風情を添える花である。

 

 秋は実もなり花も咲き、紅葉となりなかなかにぎやかになる。この時期になるといてもたってもいられなくなり、おむすびと水筒を持ってドライブにも行きたくなる。山も寒くなるほど空が澄んでくる。残念なことに最近は黄砂や中国のスモッグで空が汚れていることが多い。山紫水明そんな言葉がなつかしい。そんなときは、雨上がりのドライブが最高だ。白砂青松そんな言葉も聞かなくなった。また、昔の美しい自然に戻ってほしい。

※この時期になるとのぞいて見たくなるコマユミの実です。今年も、朱色のかわいい実をつけました。槇の木とサザンカの垣根の間に植えてありますので、窮屈そうです。もうちょっと広い場所に移したいのですが、何せ63坪の土地ですね、難しいですね。でも、楽しませてくれたありがとうコマユミさん。そんな感じですかね。もっと、秋もふかまれば、葉も紅葉しますね。我が家では貴重な植木です。

※秋になると何となくセンチメンタルになるのですが、このツワブキは咲き始めると庭がぱっと明るくなるから不思議です。心も明るく凛としてきます。

秋深し ツワブキの花 凛と咲く

凛とした 言葉が似合う ツワブキは
          我が家の庭を 明るく染める 

凛々と 咲き乱れるる ツワブキを
周りで支える 緑葉は 縁の下の力なり
もちつもたれつ支え合う
共生こそ 生き物の 知恵なり   

この時期の我が家の庭

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秋風にそよぐアキノゲシ

2014年10月29日 | 野山散策

 

ふと、足を止め、傍らに芽を注ぐと、秋風にゆれ、気持ちよさそう首を左右にゆらしている薄黄色の花が目に入った。コスモスのような華やかさはないが、なぜか、私の心をとらえたのだろう。そこを歩くたびに、その花が気になりだした。きれいだな。どんななまえなのだろう。そんな感触を持ちながら数回その近辺を歩いていたものだった。ネットでしらべたところ、アキノゲシだろうということになった。フォトチャンネルとYOUTUBEの動画でご覧いただきたい。コスモスとは違った秋が私のハートを虜にした。

下の写真をクリックするとYOUTUBEにつながります。

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雨上がりの楽しみ

2014年10月27日 | 野山散策

震災4年10月27日

雨上がりにウォーキングすると、よくキノコに出会います。どんなキノコと会えるかなと思うと足も軽やかになります。先日も下の写真のキノコがありました。とにかく、キノコについて知識はあまりありませんので、食べないようにしています。

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起業から想う 適応と創造

2014年10月25日 | エッセイ

震災4年10月25日

  日本の教育は適応能力ばかりつけ、理解に重点が置かれすぎていると思います。そして、その理解も自分以外の事象を理解し適応しようとするだけで、自己改革や企画力想像力という面で弱かったと思います。いわゆる素直な子がいいという論理できました。私も自称素直な子で育ってきましたが、それだけでは駄目だなと成長していくにつれ、自然と気づくようになりました。幸い次男でもありましたので、しがらみも少なく、自分の人生はおおかた自分で選ぶことができました。ただ、生きていく上では妥協は必要です。多種多様な人がいるわけですので妥協なくしては生きてゆけないと思います。その辺とのバランスを取りながらやってきました。いわゆる適応と自立の狭間で生きてきたともいえます。人は与えられた自分の環境の中でものを考えます。そういう意味では生まれ育った環境や両親に感謝してます。土地もなく、財産もなくです。

 最近の教育では、やっと、生活科や総合的な学習ができ、教科の枠を超え、気づき追求し体験する中で自分なりに課題を見つけ、それを解決する能力、いわゆる自立への基礎が培われるようになりました。
 先生が分かるのでなく、生徒自らが、それをやろうとする力やエネルギーが大切であるという方向へ来るようになりました。その力は戦後の憲法を民衆が支える根幹になるものと思います。いい方向だと思いますが、依然として自分から起業するという面では日本の教育は旧態依然としていると思います。就職ができないなら自分から起業しようとするベンチャー的な発想があってもいいのではと思います。

 私も、今まで小学校の教師をしてまいりましたが、この起業と言う観点からものを考えたり教育をしたりという経験がありませんでした。文科省が決めた学習指導要領を基に学習を進めるのが務めの自分としてはいたしかたないのかもしれません。
 今後は適応ばかりでなく自ら発信していく、起業していく、自発的な面をもっと、勉強していきたいと思います。ましてや、義務教育の中ではこのような教育は受けて来ませんでした。これは国の責任でもあります。総合的な学習の根幹はこの辺にあるのではと思うところです。

 最近の動きとして、政府は道徳を教科にすると決めたようですが、道徳は内面の問題でもありますし、評価が難しく、評価すること自体大きな問題があります。今まで通り教科にしない方がよいではないでしょうか。
 それよりは、総合的な学習の集大成として、企画科とか創造科とか、自立科とかいうものを教科として取り入れ体系的に指導していった方がいいように思います。

 適応するばかりが人生ではありません。自分から切り開くことも大いに大切です。適応する客体がおかしくなれば適応しても無意味になる時代ですから、今後は若者は大いに反省し自分から育て、作り上げるという面を磨く必要があります。歴史や伝統はあるのではなく作り上げてゆくものです。その足跡が歴史であり、伝統となるものです。すべては諸行無常でうつろいでいくものなのです。
 
 適応と創造の調和は永遠のテーマでもあります。どちらが上下でもなく、うまくバランスが取れているのが理想です。そうです。バランス感覚が大切です。そのバランス感覚ほど現代人には必要ではないでしょうか。

 事象の真実を色眼鏡でなく、しかと見つめる目が平和な社会を育てるのだと思います。バランス感覚も結果としてのものであり、そこに至るまでには正反合のダイナミズムな世界があるのも事実でしょう。それらの運動を正しくとらえてゆきたいものです。極端にならないという意味ではバランス感覚は大切なものです。

 

今日の我が家の庭 

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秋の風景

2014年10月24日 | 野山散策

震災4年10月24日

 どこもかしこも秋の風景になりました。こんな穏やかな秋がもっと続いて欲しいです。最近は寒暖の差があまりにも多すぎます。一日のうちでも違うし、昨日今日でもずいぶんと温度差があります。そのためか、最近は紅葉がきれいなようです。

 

秋の風景

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