想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

「ご破算で願いましては」

2017年02月28日 | エッセイ

震災7年2月28日

 

 「ご破算で願いましては」この言葉は私がまだ、小学3年生頃にそろばん塾に少し通ったときに聴いた言葉です。残念ながら1年ぐらいでやめてしまった思い出があります。どうも、そこにやっている意味を感じなかったのでしょう。少しは、計算や暗算がうまくは成ったのですが、当時の私にとっては、ただ、それ以上の感慨はなかったのかと思います。

 

 新しい自分に戻って、何かをやろうとするときには、「ご破算で願いましては」この言葉はしがらみもなく、さわやかでいいのですが、朝のウォーキングをしていましたら、ラジオから「人は毎朝生まれ変わる」という言葉が、流れて来ました。それは、そろばんを習った当時から遙か過ぎた60代に成ってからです。「人は、毎朝生まれ変わる」その言葉を聞いて、いい言葉だなと感銘を受けたことを昨日のように想い起こしています。

 人生には何度か、出会いがあります。「人生は邂逅の歴史である」この言葉も、私に影響を与えた大きな言葉です。邂逅とはめぐりあいであり、邂逅の連続が人生であります。この言葉はなお、私の中に流れています。「人は毎朝生まれ変わる」と意識改革をし、毎日を送っていますが、実の所、日々邂逅の連続で私があると思っています。

 「人生は芸術である」この言葉も、深い物があります。人生は理性でも感性でもありません。この両者を含み止揚した物が、芸術でもあります。ですので、私的には芸術を理解している人を深く尊敬しているのです。えせ芸術家は論外です。

 理性的でいて理性的でなく、感性的でいて感性的でない、それを超えるものが、芸術だと考えます。ある人は、物を作り出すときは、我が儘でなければできないといいました。成る程、心をあらゆるバイアスから解放した自由な人間にしか、芸術はできないのだと思い知らされた言葉です。素晴らしい考えだと思います。世界的に名高い芸術家と称せられる人たちには、そのような視点と深い思想的なバックボーンが溢れています。

 単に模倣するだけでなく、自分の中からわき出てくる物をできるだけ、自分の思想に基づいて、自由な広い心から、創造しているのです。だから、芸術となるのです。

 止揚という言葉は正反合止揚という変化の最後にあります。現実世界を見て見ますと、あらゆる所にその流れが見え隠れしています。三権分立の政治社会もそうでしょう。民主主義の世の中もこの流れてだいたいは説明がつきます。こうして、ダイナミックに現実世界は動いていってます。人間の体も同じようなものでしょう。絶えずその流れの中で、細胞は入れ替わっているのです。

 今回は難しい話になってしまいました。たまには、このようなことを考えることもいいかなと思います。また、色々なことをブログに残していきます。ごきげんよう!Bye see you.

 

 

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エンドウ豆の不思議

2017年02月25日 | 家庭菜園

震災7年2月25日

 昨年の秋にエンドウ豆の種を蒔きました。

 耕作してある畑と、雑草の生えている畑に種を蒔いて昨年の秋以来見届けて来たところですが、どういう訳か、最近になって気がついたことには、雑草の中に生えている苗はどれも、枯れた苗はないのに、耕作した畑へ蒔いた種は半分が腐ったり枯れたりしてきてしまいました。この違いは何だろうと疑問に思っているところですが、事実は雑草の中の方が俄然よく成長しています。

 来年も、もう一度やって確かめたいと思います。今の所は雑草の中に蒔いた苗が生長がいいので、結論がはっきり出るまではこの流れでいきたいと思っています。

①は耕作した畑に種を蒔いた。

②は雑草の中に種を蒔いた。

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無から有へ 路傍の石

2017年02月24日 | エッセイ

震災7年2月24日

 庭の石を見て想いました。よく考えれば、その石はもとは単なる岩であって、ただただ、そこに存在しているだけだったのです。しかし、その単なる石が人の手により、工夫して並べていくことにより、生きて来るのです。すなわち、命が与えられるのです。

 そうなんです。一見路傍の石だけだと思っていた物が、ある人の手により、俄然と生き物のように私たちに語りかけて来るのです。不思議と言えば不思議です。人を生かすとはそのようなことだなとつくずく思いました。

 今まで、路傍の石として見捨てられていた者が、その人の手にかかると生き物に変身していくのです。すごいことです。ですから、その石を生かすも殺すもそれを使う人の度量によるのだと思うのです。

 庭石をくんでいくことは、AとBとCの石をどう組み合わせるといいのか、考えていくことです。華道も同じようなものでしょう。同じ並べていくのなら、AもBもCも生かして使いたいですね。そうすれば、なんの役に立たなかったと思っていた無機質の石も有機質のように生きて来るのです。

 そう考えると、すべての素材を生かすも殺すもその上にいる人の裁量だなと思います。

 京都の有名な庭石もそんな感じになっているなと思って鑑賞すると、また、庭の観賞に奥行きが出てきます。庭といえば、石組みばかりでなく植物も沢山ありますので、それとまた、どう、組み合わせて植えていくかと言うことになります。そのようなことは結局は芸術的なセンスになると思います。

 だから、よけいに芸術は最高な物だと思います。文系も理系もありません。それを超えて芸術があるような気がしてなりません。すべては分かれているのでなく、どこかで接点があり繋がっているのです。

だから、人生は芸術であり、芸術こそ、最高なものだと思っています。

 

浜松市 金指 実相寺庭園より

前の三つの石が何かを語り合っているようです。まるで、生きているように感じます。こう感じるのは、わたしだけでしょうか。すごいことだと思います。まるで、生きているようです。

 

 

 

 

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let it go  ありのままに

2017年02月20日 | エッセイ

震災7年2月20日

 「人生成るようにしか成らない、成るようになる。」根底ではすべて物理の法則で動いているのですから、ある条件が整えばそうなります。因縁果の法則です。その条件が縁なんでです。生老病死も同じです。ですが、心だけは形や実態がないのですからどうにでも成ります。老病死がないのです。永遠の命にもなれます。その時、人はこの悩みから解放されます。

 人生色々な事が次々起こります。それをすべて受け入れます。受け入れてこそ心は自由になります。自分の都合のいいことだけは通りません。それを自覚し、幸せなこと、不幸せなことすべてありのままに受け入れてこそ、真に自由になれるのです。

 人生は苦があれば、必ず楽があります。だから、人生は波動だと言う人もいるのでしょう。無風状態の時も風が吹く時もあります。これは気圧の変化で説明できるでしょう。それは、時が流れているからです。諸行無常なのです。

 時が流れていると言うことは、同じ状態は一時もないと言うことです。気圧の変化が風をおこし、水蒸気の発生が雨を降らします。これは、厳粛なる事実ですので、その中で生きていることを自覚すると、今の自分が見えて来ます。

 驕る平家は久しからず、盛者必衰なのです。ですので、栄えていくことと衰えていくことは一体だと自覚することが大切です。そこに思いやりも生まれるのです。

 これはいいけど、これはいやだと思うのは人の常ですが、そうしているうちは心が堅くなっているのです。逃れたい逃れたいと思っても自分の力より大きな力が働いて今、そうなっているのです。自分で跳ね返せるものならいいのですが、そうでない物は受け入れるしか方法はないのです。

 let it go その中に真の自由があるのです。心ほど自由になれる世界はないのです。水は方円の器に従うといいます。器をかえるのでなく、自分の心を個体から液体に変えていくのです。それが、真に自由になる道だなと、最近ひしひしと思います。

 すべての悩みはその辺にあるようです。let it go! let it go!  声に出して歌ってみましょう。新しい世界が見えてくるでしょう。未来は永遠の命に向かって進んでいるのです。その日その日を夢を持って、精一杯生きましょう。それが、幸せへのロイヤルロードです。

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これはびっくり! 虹のトイレ

2017年02月20日 | 野山散策

震災7年2月20日

 わたしは飛行機が透き通るような青空の中を飛び去るのを見るのが好きで、ウォーキングを兼ねて、たまに、静岡富士山空港を訪れています。展望席があり、そこからの富士山はまた、富士山空港の名にふさわしく、冬の晴天の日には裾野までよく見えます。富士山はコニーデ式の代表的な山ですが、他にも秋田と山形の県境にある鳥海山が有名です。スイスのマッターホルンとこの富士山は対照的な存在だなと、思います。

 柔と剛の対照です。わたしは自然というものを考えるとき、いつも思い浮かべるのが、マッターホルンですが、富士山は日本の象徴としてまた、外せない存在です。

 

  さて、そこに、トイレがあるのですが、そこのトイレには秘密があって、虹が見えるのです。多分世界でも虹が見られるトイレはここにしかないのではないでしょうか。

 丁度、そこを利用しているとき、掃除のおじさんが見えていて「ここには虹がでるんですね。」と、談笑していましたら、「上を見て見るといいよ。そこには仕掛けがあって、プリズムが取り付けてあるんだよ。」と、教えてくれました。わたしは、どこかの窓から差し込む光が、どこかのガラスで屈折してできているくらいに考えていたのですが、その秘密が分かりました。随分いきなトイレがあるんだなと、驚いた次第です。

 何せ、PRを何一つしてないのですから、それも、珍しいなと思いました。ですので、ここで、皆さんにご紹介をしておきます。富士山静岡空港にお見えになった時には、是非、ご覧ください。小さな感動がありますよ。メルヘンの世界に舞い戻った気持ちになります。隠れた観光スポットです。

 

ふざけて、手で狐の影絵を作ってみました。虹の影絵も珍しいでしょう。

 白い光を分解すると七色になるも不思議な現象ですね。見えないけど、紫の外には紫外線があり、赤の外には赤外線があるんですね。理科の学習にもいい体験学習になります。自然は不思議でいっぱいです。

 プリズムの棒に秘密がありました。おじさんに言われなければ、気がつかなかったな。

 

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