想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

尾畠さんに会った!

2019年02月24日 | エッセイ

震災9222

先日、やっと、3回探し回ってスーパーボランティアの尾畠さんにお会い出来ました。丁度、こちら方面に来ていると聞いて、大井川の橋桁の下でお会い出来ました。天候も良くなかったせいか、昨日の夕方から、まる1日こちらにいたようです。

夕方、午後5時頃で、雨模様の曇り空だったので写真の写りが良くなかったのが、残念でした。噂通りの素晴らしい方で、サービス精神旺盛な方でした。

丁度「坊がつる讃歌」を歌ってくれました。気持ちも込もっていて、情感がよく伝わって来ました。聴いていて、かっての山男ぶりが伺えました。

私より8つ先輩ですが、79歳という年齢を感じさせないバイタリティ溢れる方でした。彼からは学ぶ事が多く、生きる勇気と力をいっぱい貰えました。

丁度、3、4年前に来日して、ブームをおこした赤貧の大統領、ウルグァイのムヒカさんを彷彿させる様なお方でした。

いつのまにか日本は赤貧の思想が彼方に置き去られ、浪費へと置き換わってしまいました。有り余るごみの問題はその最たるものだと思います。もともと、この世には無かったプラごみの問題は地球規模で起こり生態系への大きな問題となっています。

大事なことは自然のサイクルの中で生産も消費も行う事です。そうすれば、ごみなども発生しません。自然の営みの中に戻してあげることです。

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昨夜は橋の下の河川敷で寝たようです。
 
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ITの進歩は人を幸せにするか?

2019年02月17日 | エッセイ

震災9年2月17日

   世は正にITが世界を闊歩しているといっても過言ではありません。自由な社会も放縦な自由にならない様に、資本主義社会にもそれなりの倫理があるわけですが、また、それがゆきすぎた場合、法規制が課せられますが、どうも、この世界は、力が全ての世界になっているなとも感じています。ITの進歩に法規制が追いついていかないのです。立法のシステムが遅すぎるのです。法規制ができた頃には、もう、遅いのです。早い者勝ちな世界がITの世界なのです。

   通販の世界でも、企業のやりたい放題です。次から次へと企業本位に規則の改定があります。庶民はそれを利用する限り、その流れに乗るしかないのです。さもなくば、利用しなければいいのですが、時代の流れに乗るには、か弱い庶民にはそれしか選択肢はないのです。誰が作ったのか、メールは双方向だとばかり思っていたのですが、いつのまにか、メールも企業からの一方通行になってしまいました。「このメールには返信ができません。」が当然の事となって、最近は疑問も持たない風潮です。この辺のところは、おかしいなという疑問を持つべきです。SNSの世界で、どこがそんなメールの仕組みを考ええたのか知らないのですが、どうも企業の言いなりになっている様です。私は、双方向でやりとりできる会社を選ぶ様にはしてますが、多勢に無勢、相手が一方的にやってくると、大手のIT企業のやり方にはかないません。それが現実です。

 どこの企業も今、ビックデータを集め分析に余念がありません。ITを制するものが世界を支配する世の中なんです。AIを駆使してデータを読み取っているのです。位置情報も分析していて、何を買って、どこでどんなことをしていたかの情報も集めていると推測されます。全てのデータは国家より先に先端企業が握っているのです。今の経済も、このビックデータを握ったところが、将来の勝ち組になるのです。その為に、必死になっているのが実情ではないかと想います。

 中国の勢いが今は益々、強くなっているのです。私らの世代ですと、あに人民服で、文化大革命の頃が懐かしく感じます。最近の中国の変貌には驚愕してしまいます。当時から、誰が今日の中国の姿を想像できたでしょうか?あの国は最近まで、法律らしきものがなかったことを逆手に、電子マネー王国になって来ています。法律に縛られることなく新しい事に迅速に対応できる素地があったのです。もともと、歩きながら考える国ですから…。このテンポの速い時代には歩く前に考えていたらその進歩に取り残されるのです。この時代のキーワードは歩きながら考えるのです。思考も変えていかないとついてゆけません。ベンチャー企業もきっと、同じ思考方法でしょう。計画を立てて歩く前に考えているようではおぼつかないのです。変化の激しい時代は、何がどう変わっていくか、わからないですね。世界の警察、アメリカも最近の中国の勢いには手焼いていてファーウェイの事件などはその焦りがあったのでしょう。

 IT社会は、恐ろしいと言えば、そうですが、便利だといえばそうでもあるのです。AI社会はITの使い方が問題なのです。そこに、何とか無機質ではない人間らしい温かいハートを♥️付け加えて欲しいのです。マーケティングの世界では、主導権を企業に奪われてしまう様な仕組みが至る所で作られている様に感じます。こちらの意見を対等に言えないのです。すべて、IT企業の掌の上です。枠組みは、企業が決めてしまっています。困った社会が出来上がりつつあります。最先端のIT技術を持っているところが一番強くなっているのです。自然界同様、弱肉強食の世界が出来上がっているのです。また、世界を眺めれば、フェイクニュースが溢れているのです。FXや株、原油価格なども、経済力のあるもののフェイクで動いているといっても過言ではないかと推察されます。

 情報格差と言われて久しいのですが、ITリテラシーがあるかないかで、これだけの格差が生まれて来ている時代になったなと最近つくづく思います。読み書きそろばんから、読み書きITの時代になりました。IT技術やビックデータを持った国家が世界を支配する時代になりつつあります。

 IT社会の倫理のあり方について、もっと議論があってもいい世の中になったなと思います。ITの技術進歩の方が先に一人歩きしてしまっているのです。その速度の速さに法制度や人間教育が追いついていかないのです。変化の激しいIT社会の法も後追いするしか手立てが無い状態です。法を作る側の知識が追いついていかないのです。困ったものです。法を作る知識はあっても、ITの知識がないのです。ややもすると、民主主義もITの勢いに呑まれてしまいそうな気もして心配になります。

 ITの技術は若者の方が圧倒的に優れているのです。シニア世代が理解するには余りにもハードルが高すぎるのです。オリンピック憲章も読まない当該大臣ではもう論外です。団塊の世代におもねっている今の政治状況ではインターネット投票すらまだ、出来ていないのです。このまま、ITやAIが一人歩きして行くと、大変な事になります。変化に即対応した法の仕組みをや若者たちのアイデアを取り入れてゆく必要もあります。それから、従来からの成文化によらない自然法的な考えも大事だと思います。なかなか、難しい時代になってきました。法も変化にいかに速く対応できるかがより重要になってきました。法の制定迄の仕組みの見直しも大切です。

 さて、庶民の幸せあってのIT社会です。無機質なITと幸せという論理では割り切れない生物である人間との接点をどう構築していくかが益々問われる社会になってきています。私たち国民が、もっともっと賢くなっていかないと大変な世界になってしまいます。今後のITが国民と共に幸せな世界に向かってベクトルを向けて行って欲しいと願わずにはいられません。目先の事にとらわれてはいけません。ITの進歩とて自然界の大きな枠組みの中にあるのです。

 今、プラごみや温暖化が大きな問題になってきています。かのIT社会も同じ様な轍を踏まないとは限りません。技術進歩の前に人間の幸せをまずベクトルの方向にして行き、手段としてITを捉えていって欲しいです。

Viva Nature!

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食べ物と運動で健康に!サプリメントなんていらない!

2019年02月13日 | エッセイ

震災9年2月13日

最近のサプリメントブームには閉口しています。宣伝も聞かない日は無いぐらいです。どこもかしこも、この分野に参入してきています。また、飲む人がたくさん増えているのには驚きです。企業にとって、この分野は、よっぽど甘いお話なんでしょうね。

特にサントリーはお酒のメーカーと思っていましたが、最近たくさんのサプリメントも売るようになりました。セサミンやロコモアなどで攻勢ををかけています。また、こぞって、割引で初回のお客さんを獲得しようと狙っています。しかも、一度契約すると、これらは継続して使ってくれるので、売る方としては、初回安くしても確実に売上げにプラスになるようなビジネスモデルです。

テレビでも連日、健康をうたった番組が放映されています。健康には誰も関心がありますので、私もよく見ますが、そのおかげで、最近は健康知識がだいぶついてきました。

最近は、すぐ、薬やサプリメントを服用する代わりに、食事の工夫と体操をしたり上手に体を動かしたりすれば健康寿命もだいぶ延びるのではと考えるようになりました。

血圧を下げる運動や食事療法も見つかってきています。テレビでも、先日、珈琲を飲みながらバナナを食べることで血圧が相当下がって来ることを喧伝していました。それから、手足の先端をぶらぶらさせているだけでも、血圧が下がって来るらしいのです。毎日やらない手はないですね。自分で健康は作り出していく態度を作れば医者いらずですね。

腰痛改善も、数々の体操があるらしいです。私も、菜園でスコップや鍬を使うとだいぶ腰に来ます。そのときには腰痛改善の運動を取り入れています。昔に比べると格段に私たちの栄養や健康生活の知識は増えてきているのです。これらの知識を使わない手はありません。栄養面を考え、食事と健康体操をばっちりやればそれで十分なような気がします。それでだめなら、そこが寿命と受け止めなくてはいけません。

そのことこそが、今、一番忘れ去られている神(自然の摂理)への感謝と畏敬の念ではないでしょうか。

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昨日の常識は今日の非常識

2019年02月10日 | エッセイ

震災9年2月10日

NHK特集「人体シリーズ」を見て、まさに現代の医学の常識が大きく変化しているなと感じました。今までは、脳が中心で各臓器に指令を出していることが常識でした。しかし、最近分かってきたことに、各臓器がメッセージ物質を出しながら各臓器と連携を取っていることが分かってきたのです。まさに、パラダダイムシフトというべきことが医学の世界でも起こってきたのです。今までの常識が今まさに非常識なことになってしまったのです。

腎臓なども単に尿を作っているだけだと思われていたことが、それ以外に浮かび上がってきたのは、腎臓が体中に情報を発信しながら、様々な臓器の働きをコントロールしているという驚きの姿です。腎臓を操れば、脳卒中や心筋梗塞の原因となる重症の高血圧を一挙に改善したり、多臓器不全を未然に防いだりという驚きの成果も報告されています。

また、体内の赤ちゃんがメッセージ物質を使って、母親とまるで会話をするように情報をやり取りしていうことが明らかになりました。

腸は毎日の食事から栄養や水分を大量に取り込む消化、吸収の要ですが、何と7割もの免疫細胞が腸に集結し、今話題の腸内細菌たちとメッセージのやり取りをしていることも分かってきました。

骨には、骨芽細胞が出すメッセージ物質が血管を通じて全身に届けられ、記憶力、筋力、さらには生殖力まで若く保つ力があることや、骨を作り若さを生み出す驚きのパワーを持っていることが、最新の研究で明らかになっているのです。

ここで、医学から経済に目を転じてみますと、これまた、お金の流通面において、仮想通貨なるものが登場し、銀行を通さずともお金のやり取りができるようです。銀行業界も戦々恐々で見守っていることでしょう。特にブロックチェーンというもので、過去にお金の流れを管理できてしまうようです。ですので、今後の銀行の在り方に大きな変化を及ぼしていくでしょう。

また、英語学習などでよく使うテレビ電話のスカイプの発明で知られるエストニアは世界のIT大国として、最近では電子国家などを標ぼうしています。人口は130万人しかいなくて青森県と同じぐらいの規模ですが、要注目の国です。時の流れは栄枯盛衰と共にあるのですね。数十年前迄は、文化大革命の嵐が吹き荒れていた中国も今正にアメリカを抜いて世界1のIT大国になろうとしてます。法整備がされていなかった過去が幸いしたようですね。そのことが新しい物を生み出す下地になったとなると、何が幸いするか分からない世の中のような気もします。正にこれからの世界は中国を中心にして動いて行くのでしょう。アメリカ危うしの時代が今そこに来ているような気もしますね。日本も今後は労働者不足から多文化共生しか道がないかも知れません。

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恵方巻きから想う

2019年02月04日 | エッセイ

震災9年2月4日

 お寿司は私の大好物です。よく女房とスシローにいってます。寿司は最近、そのおいしさが案外酢飯にあるように想うようになりました。おいしい所とそうでない所の差はすし飯の酢と塩の加減にあるのではと想うところです。また、この辺の所はページを改めてブログしたいと思います。

 ところで、昨日は恵方巻きを食べる日でした。我が家でも寿司好きですので、この時期は必ず食べるようになっています。結構ボリュームがあるので、少ないようでお腹が張ります。

 恵方巻きはハローインのようなもので、コマーシャリズムに乗っていつの間にか定着しつつあります。クリスマスが来ないとお正月がこないようなものです。クリスマスもバレンタインも商売繁盛を掲げた業者がしかけたものだと理解してますが、このようにして増えて来た行事がいつの間にかたくさん日本の風土にも定着して来ています。

 まあ、竹は節あってこそのしなやかな竹ですから、行事は竹の節に当たり毎日の単調な生活にリズムや活を与えるものだと思います。そうして、竹も人もしなやかに成長してゆくと考えれば納得もできます。上手にその行事は利用していきたいと思います。

 ただ、最近では、和洋の行事が重なり、節だらけの様相になってきています。2月3日は昔は豆まきの日と決まっていましたが、最近は、恵方巻を食べる日と重なり、恵方巻の方が豆まきよりエネルギーを増して来ているように感じます。

 また、週休二日制もあり休みもたくさん増えて来した。今年のゴールデンウィークは10連休と聞いています。年号も変わりますし、休みが増えるのはいいのですが、なんとなくせわしく忙しい年になりそうです。出費もかさみますので、どう過ごそうかと今から心配をしています。来年はオリンピックの年にもなります。

 労働環境も過労死の問題もあり、改善され、自由時間が増えて来ています。自由を得るとそれをどう使うかでその人の人生が決まります。自由になると、差が大きくなることは明白です。自由というと放縦の自由を考えてしまいますが、本当はそれは、天に唾するのと同じでその付けは自分にいつか降りかかってきます。心の中にしっかりした規範を持ってのぞまないと、結局それは不自由な世界になってしまいます。自然界も自由にしているように見えてもその中に必ず法則や規範があるのが分かります。放縦の自由など本来ないのです。そこに気づかないで、今、ブラごみの問題で世界がつまづいています。当たり前です。地球環境のサイクルに本来乗らないものものを作っているのですから、これは、作り出した時点でその功罪が分かっていたはずです。即刻これは生産中止にしないと大変なことになります。自由を主体的に使うことの難しさとそれに気づかない人の愚かさを近年感じ始めています。

 自分とは自らの分け前と書きます。その人生を決めるのは最終的にはその自分です。天から与えられたその自分の良さを見つけ、気づき、自分で主体的に取り組んで行ける人が求められる時代です。そういう、自己肯定感の強い精神を作っていくしか方法はありません。

 人は生来その人が持つらしさと良さがあります。それに気づき周りの騒音にもぶれずにその道を進むしかありません。私も好奇心旺盛ですので、色々とやりたがりますが、しっかりしてないとぶれそうになります。しかし、本来の自分に戻り微調整しつつ、一歩後退二歩前進で思考錯誤しながら進んでいます。

 

 さて、今回の恵方巻きを食べる習慣がいつ始まったのかをちょっと調べてみました。私が若かった頃はこういうものは無かったと思います。クリスマスは幼少からありましたが、その後、バレンタインができてハローウィンになり最近恵方巻きを食べる日ができたのでは無いかと思っています。

 恵方巻きとは、節分に恵方を向いて無言で食すると縁起が良いとされる巻寿司のことです。 「恵方巻」という名称は1989年にセブン-イレブン広島県広島市中区舟入店の野田靜眞が「大阪には節分に太巻き寿司を食べる風習がある」と聴いて仕掛けたことにより、1998年から全国へ広がり、2000年代以降に急速に広まりました。

 最近問題となるのが、その食品ロスから出る大量の廃棄食品です。今日のニュースでも豚の飼料になっているという話もあります。食品は人が生きてゆくために最も大切なものですので、気を付けていきたいです。

 昨日、イオンにいき我が家でも買いましたが、店内にはブースを設け次から次へと恵方巻きが並べられていました。私は黒光りする海苔に目を奪われながら、そこに並べられてゆくたくさんの恵方巻にを見ていました。、そこにはたくさんのお客さんも群がり一種のブームという感じでした。しかし、それも、その日が過ぎれば一種のブームですので、誰も見向きもしません。後は廃棄の山となります。もったないと言えばもったないのですが、仕方が無いのかなとも思います。

 最近、マスコミでもその食品ロスが叫ばれています。何かいい方法でもあれがいいのですが、妙案はないようです。世界を見渡すと食糧不足で困っている国もたくさんあるのにどうしたものかと、胸がいたみます。今年もたくさんのものが捨てられているのです。

 何をやるには、無理、むら、無駄はつきものです。若いときからこれを3だらりの法則といっていました。これらは極力少なくするように努力するしかありません。できるだけゼロに近づくようにベクトルを向けるしかありません。そのベクトルの持つエネルギーを増やすことが大切です。私はよくベクトルという言葉をよく使いますが、物理の世界の言葉です。物を分析する手法としてその刹那に持つエネルギーと方向性がそこにはあるのです。そこには未来に続くエネルギーが溢れているのです。

 いつも想うのですが、ベクトルの向きは表面的には人様と自分の幸せの為にあると想っています。その幸せは最終的には地球環境の保全です。本来の地球の上に私たち生物である自分も乗っているのです。ベクトルの向きを間違えないようにすべての人民が過ごすことができれば、最高だなと想います。

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