想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

卓球、シェイクとペンの両刀使い

2021年06月30日 | 日記
コロナ2年6月30日
 今日は、卓球が休みの日になり、少し、ゆとりができましたので、ブログを書いています。今は、卓球ももう6年ぐらいやっているかなとおもいます。ラケットもペンとシェイクと両方を揃えて、試合の時には相手によりラケットを変えています。
 新しいペンホルダーのラケットはメルカリで、ラバーはアマゾンより購入しました。ラバーは明日、到着予定です。早速裏に貼りペンは両面を攻撃用に使うつもりです。普通は裏はペンホルダーの場合は単に板だけです。
 ラバーの新品は想ったより値段が高いのにびっくりしました。結構、ぴんきりの値段ですが、中古品があったのでコスト的には随分助かりました。
 シェイクは息子のお古で、ペンは新品ですが、メルカリから買いました。
まだまだ、技術を磨いて行こうと想っています。

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青から朱の花に変化した庭の花

2021年06月30日 | 我が家の庭
コロナ2年7月10日
 先日まで、紫陽花が咲いていましたが、今は、その青の庭から朱色の庭に変わってきています。その主役は、鬼百合とヤブカンゾウです。自然な移ろいは日々変化してやみません。
 見ていても、毎日毎日飽きませんね。やがて、女郎花が咲き出しますので、今度は黄色の花が咲きます。、











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一人の血管は地球二回り半になります。その流れをいかにスムーズにするか。

2021年06月30日 | エッセイ
コロナ2年6月30日 
 ところで、朝、折角スマホで書いていたブログが突然消えてしまい、内容も少し変更して書いています。さすが、がっくりしてしまいましたが、心を入れ替えてやり直しです。ご破算で願いましてはの精神で新しく書き始めました。
 毎日、やっている私なりの朝のルーティンをご紹介します。毎朝、6時前後に目覚めます。そして、まず、ベットの上で柔軟体操です。痛くなりそうなところは、念入りに筋肉を温め、血流をよくするように努めます。特に腰回りと足の関節には気を配ります。歩けなくなったら終わりですから。
 他に、毎朝、血行を良くするためにパンツ一丁で乾布摩擦も続けています。乾布摩擦はもう十年くらいになりますかね。実施して以来、殆ど風邪ひいていません。
 なぜなら、すべての身体の不調はこの体液の流れがどこかで滞っているために起こるからです。この流れをスムーズにすることが何よりも大切だと考えています。
 それはとりもなおせず酸素や栄養を隅々まで運ぶ通路の血管を大切にすることです。血管といえば一人だけで、毛細血管も入れると、成人の場合で約10万キロメートルもあり、地球を2周半するのと同じくらいの長さに匹敵するというから驚きます。ですから、この通り道を確保することこそ最も大事なことです。
 もし、スエズ運河が閉鎖されたらどうでしょう。物流が途絶え日本は死んでしまいます。まさに、体液の流れは人に取って死活問題です。

 人は想っている程、体の隅々や部位を使っていないようです。人間の身体はおそよ200個の骨で作られています。また、これらを支えているのが筋肉、腱、靭帯です。ですから、筋肉だけでも大変な数があることになります。この複雑な仕組みを理解するだけでも大変なことです。ましてやこれに神経を入れればより複雑なのが身体の仕組みです。これらの動きの中核をになっているのが、体液の正常な流れそのものなのです。身体には沢山の神経が通っていてが痛みと大いに繋がってくるのですが、この神経についてはまた、どこかで詳しく述べてみたいと想います。
 これからは老いを迎え、身体と頭脳をどう鍛えるかです。ほっておいては、衰えていくばかりのシニアですので、その流れを少しでもとめなくてはいけません。歩けなくてはどこへも行けません。これからは、まず、健脚と益々柔軟な思考が求められます。経験値だけは若者以上のものがあるのですから、その辺から切り開いてゆこうと想っています。
 今の所、好調な状態が続いていますが、肉体はやがて衰えていくわけです。そのスピードを少しでも遅らせ、身体を動かし、智慧を使って行動する自分をイメージしながら、旺盛な好奇心をいつまでも持ち続け、新しいものに取り組むでいきたいものです。歳だからできないでなく、歳だからできることを見つけることです。歳をマイナスからプラスに転換してゆく力が今以上に大切な世代なのですね。

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誰もやっていない事を誰よりも早くやる、先行経験こそ時代を動かす

2021年06月29日 | エッセイ
コロナ2年6月29日

 ネット時代の今日、次々と新しいものが出てきています。それは、毎日が変化しているからです。変化こそ、世界の本質です。
 それは、遥か昔、仏教で諸行無常という言葉で語られていました。また、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなしの鴨長明の方丈記や 芭蕉が不易流行という言葉で語っている中にも変化がみられます。私はこれらの言葉が好きでよく使います
 先史の時代から、世の中は絶えず変化して動いていたわけです。だから、言葉で語らなくても、史実に残らなくても多分過去の人の中にも、このことに気づいていた人は沢山いたと想います。
 アナログ時計の長い針が腕時計の中では動いて見えないけども、それを、1Mくらいに延ばせば誰でも、その瞬間には動いていることが肉眼でも分るはずです。
 最近はネット環境も格段に進歩し大量のデータが瞬時に移動するようにもなりました。それに伴いノマドとかネット起業、DX、ブロックチェーン、暗号資産などが注目されてきています。これも、世の中の変化の現れです。世界は一時もじっとしていません。絶えず、新陳代謝を繰り返しています。この新陳代謝こそ変化の本質です。
 そして、その変化の速度は今日益々早くなって来ています。ですから、今日、誰よりも早く変化を感じ取り、新しいことを経験することが、この時代を動かしていく源になるのです。
 フロントライン(最前線)という言葉を使っているのが、ネット時代の寵児といわれる小玉歩その人です。この激動の時代にビジネスで生き残るためには、何よりも「最先端の情報」が必要不可欠です。流れがめまぐるしいIT業界において、常に最新のソリューションを提供し、時代のフロントラインを走り続けています。
    そんな彼の会社名がFrontline Marketingです。まさに時代を先取りした会社名ですね。これからも常に歩みを止めることなく、時代の流れの真っ只中で、IT業界の最前線(フロントライン)を駆け抜けているのです。まさに、先行経験を誰よりも早くやるのが彼なんですね。ホリエモン、zozotownを立ち上げた前澤友作なども、この時代を作り上げている時代の寵児です。
 国でも行政のデジタル化を推進する「デジタル庁」を2021年秋までに新設する方針です。各省庁にある関連組織を一元化し、強力な司令塔機能を持たせる。新型コロナウイルス禍で露呈した行政手続きの遅さや連携不足に対応しワンストップで行政を改革します。
 とにかく、コロナ禍の中怒涛のような速さで変化が進みます。私たちもこの流れの中でどう生きていくかが問われていくでしょう。生き残るか、取り残されるかです。まさに、私の好きな キルケゴールの『あれか、これか』の時代です。流れに乗る方に行きたいですね。 
 
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恋と愛の違い

2021年06月17日 | エッセイ

 震災6年6月12日

 巷では恋と愛の言葉が氾濫してしています。安易に誰もがどこでも使っています。情報や物は大量で出回ると価値が下がります。これは経済学でいう限界効用逓減の法則でも明らかです。すべてがパッションで語られがちな今日、ちょっと、この恋と愛の違いについて私なりに考えてみました。

 

 現在は情報が溢れている時代ですから、人の言葉を借りるのは簡単です。しかし、ここで、大切なことは、自分の言葉で考えることです。人は考える葦といったのはパスカルです。そうです。考える葦になって自分の力で考えてみます。今までの価値観、経験値から考えてみたいと思います。

 

 恋とは一時的なものであり、熱病のようなものです。恋はとかく一方的なものであり、盲目にもなります。恋には倫理的な方向感がありません。線香花火のように四方八方飛び散るようなものです。相手のことより、自分の気持ちの高ぶりが優先します。ややもすると利己的です。恋は燃えやすく消えやすいものです。恋には嫉妬、我欲など、仏教でいう煩悩がついうて回ります。恋では好きになった方が負けです。余裕がなくなるからです。

 

 きっかけは恋であってもそれが長く持続して行くうちに、やがて、それは深い愛につながっていく場合があります。それが究極的には永遠の愛につながっていけば最高です。例えば、クリスチャンになるということはキリスト教徒にとっては最高の愛なのかも知れません。愛には思いやりがあります。愛には上下も偏見も利害もありません。それを、超えているのです。愛は深く静かで深遠です。愛は奪ったり奪われたりするものではありません。愛は究極的には真理そのものかもしれません。

 

 愛は遠くを見つめます。愛は永遠を求めます。仏教で言えば仏様に帰依するようなものです。愛は人ばかりでなくすべてあまねく自分以外のものへいきます。生きとし生けるものへの愛です

 

 植物の好きな人はそれに愛を注ぎます。音楽の好きな人はクラシックの名曲を聴いて涙することもあるでしょう。愛は、高まると利己を離れ利他に向かうようになります。

 

 愛は惜しみなく、与えても与えても減ることはありません。愛には質量がありません。愛は無限なのです。愛は静かに進行していきます。愛は相手に負担をかけません。巷に漂っている感じです。愛ある生活とはとは平熱の感じです。

 

 恋が燃え上がり、表面的なものに対して、愛は思慮深く思いやりや慈愛に満ちちています。ですので、恋が愛に向かうベクトル線上にあれば、それは最高な恋です。そうなれば恋も本物です。

 

 愛はパッションから恋に始まり愛に至るもあり、愛は愛に始まり愛に至るもあります。愛に満ちた地上こそ我々が究極もとめるものでしょう。そこにベクトルの流れを作りましょう。

 

 そういえば、こんな時もあったなこんな曲も愛といえるのかなシューベルトのセレナーデシューベルトのアベマリアグノーのアベマリア……。

 

クラシックは奥が深い、まるで天の声を聞いているようだ。心までもが浄化してゆく。


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