先日、御前崎の海岸に行って来ました。そこに、牡蠣の殻が落ちていましたので、そうだ、これに山あじさいを植えたら、海の幸と山の幸のコラボレーションとしておもしろいかもと考え、植えてみました。
一人眺めていると、波の音が聞こえ、吹いて来る風も何となく潮風っぽく感じたので不思議でした。早く花が咲かないかなと待ち遠しくなりました。その時にはもう、梅雨が始まっているだろうな……。
先日、御前崎の海岸に行って来ました。そこに、牡蠣の殻が落ちていましたので、そうだ、これに山あじさいを植えたら、海の幸と山の幸のコラボレーションとしておもしろいかもと考え、植えてみました。
一人眺めていると、波の音が聞こえ、吹いて来る風も何となく潮風っぽく感じたので不思議でした。早く花が咲かないかなと待ち遠しくなりました。その時にはもう、梅雨が始まっているだろうな……。
震災7年5月26日
桃栗3年柿8年と昔から言われています。渋柿ですが、種を撒いてから、いつ咲くかと楽しみにしていましたが、やっと、今年咲き始めました。残念なことに、殆ど、落ちてしまっています。理由はわかりませんが、これでは結実しないようです。
一応、来年に期待をかけてみます。
柿の花への想いを込めて詩にしてみました。
震災7年5月26日
現在、北朝鮮が話題にならないときは、ありません。それだけ、日本への影響が大きいということだろうと思います。日米韓中が協力して、阻止に圧力を加えても、核化をやめようとしません。それどころか、益々その勢いは強くなるばかりです。
核がこの世に存在する限り、もう、力ではそれを阻止できないところに来ているのだろうと思います。太平洋艦隊の主力を近辺に送り込み圧力を加えても、何らやめようともしません。むしろ、核には核をという発想です。米の足下が見られているのです。力で押し倒そうとすれば、北ばかりでなく、日米韓にも多大な影響が及ぶことが分かっているのです。人命を大切にするのなら、そういう選択はリスクが多過ぎます。そうこう、しているうちに時は過ぎ、北は益々加速度的に核化を進めて行ってしまっているのが現状です。最後は現状を認めざるをえません。
解決策はあるのだろうか。そうです。米ロ等がもっている核がある限り、世界には同じような問題が起こって来るのです。北の核を認めて、その中で世界平和を考えるしか選択がないのが実情です。核は保有するが、それを認めてどう平和を考えてゆくのかしか、選択肢はなくなっているのです。
自分は力を持っているが、相手には力を持たせない論理は通用しなくなっているのです。否応でも北を国際社会の一員として認めるしか仕方がないのでしょう。
いやなことですが、現実は核保有を認めてその中で世界平和をみんなで考えるしか道はないのです。残念ですが…。
そして、核は最終的には国連などの世界で認められた第三者機関が管理し、究極には廃絶の方向にもって行くのです。北の偏屈な気持ちを解きほぐしつつ、思いやりをもって国際社会に受け入れて行くのです。
最終的に現実世界は力の均衡で成り立っています。力の強い者の倫理観が正しければ、世界は平和になるでしょう。現状では北の倫理観の方向がどちらに向いているか、世界が不安がっているのです。
人の命を最大限に尊重するのが政治なら、世界の政治をそのベクトルの中に組み込んでいきたいものです。時間はかかると思いますが、北の問題は韓国との併合とも絡んで来ます。同じ民族が離反しているのもおかしな現実です。
東西ドイツが和合し、今、ECでも大きな力を持つようになりました。誰が、そのことを予想したのでしょう。東西冷戦が東欧の自由化であれほど、短期間に解決に向かって行ったのを覚えているでしょう。ベルリンの壁が壊される日がこんなにも早く来ると誰が思ったのでしょう。
諸行は無常です。刻々と変化していきます。この問題も大きくは時の流れとリーダーを信頼するしかないのでしょうか。どうか、世界の人たち誰もが幸せになって欲しいです。
<参考>
2009年現在、核実験を公式に成功させた国は8か国である。 そのうち核拡散防止条約 (NPT) で核兵器保有の資格を国際的に認められた核保有国はアメリカ、ロシア(ソ連からの継承)、イギリス、フランス、中国の5か国(いわゆる五大国)である。 それ以外(NPT非批准)の核保有国はインド、パキスタン、北朝鮮の3か国である。
2016年5月現在、世界に核兵器を持つ国は9カ国あります。
ここでは、推定される保有核弾頭数の少ない方から順番に紹介していきます。
以上に見てきたように、核兵器が誕生してから70年以上が経ち、冷戦も終わった現在(2016年3月時点)においても、世界には約15,350発の核兵器が存在しています。
それぞれの国と世界が安定した状態を保ちつつ、出来るだけ早く核兵器の数を0に近づけていくことが必要です。そのための努力が現在も続けられています。
<疑惑国>
イラン イラク
震災7年5月25日
人は誰でも目に見えているものに本能的に反応します。もし、アヒルが泳いでいるとすれば、その、表面の姿に目がいきます。しかし、それを支えている水面下を覗いて見てください。
そこでは、表面と対照的に小刻みにひれを動かしているのです。私たちは表面はよく見ますが、その内面や努力を見ようとしないところがあります。
このことは氷山の一角という例えでも言われます。昔、タイタニック号が氷山にぶつかり沈没した話はあまりにも有名です。ちょっと見えた氷山を甘く見ていたのです。その実、その氷山は残りの大半が海の中にあったのです。その質量たるや莫大です。残りをじっと海に沈めていたのです。
船は山のような氷山にぶつかってしまったものですから、たまりません。沈没してしまいました。本質をしっかりと見ていないと大変になるということです。
菜園をやってますと、農家の言葉に「上農は草を見ずして草を取り、中農は草も見て草を取り、下農は草を見ても草を取らず」と、いうのがあります。
※今年はPH調整をしましたので、たくさんのソラマメができました。中農位にはなったかな?
雑草が生えたな。そろそろ草を取らないといけないなと、考えるのが普通の人だと思いますが、農の達人になると草を実際に見なくても、そろそろ草を取らないと、雑草に苗が負けてしまうなと心の目で見ることができるのであります。トレンディーな言葉で見える化しているのです。
また、成長の家の言葉に唯神実相(ゆいしんじっそう)という言葉があります。
「実相」とは真理であり、唯一にして絶対の神がつくられた世界のことです。実相の世界は神の御徳が充満していて、人間は神の子であり、神と自然と人間とは大調和している世界です。
つまり、本当に存在するものは唯、神と神の作られた完全円満な世界だけであるという意味で「唯神実相」と呼んでいます。
一方、人間の感覚器官で捉える世界を「現象」と呼んでいます。現象の世界は、全体の膨大な情報量のうち、人間の肉体の目、耳、鼻、口、皮膚で濾(こ)し取ったごく一部の不完全な情報を、脳が組み立て直して仮に作り上げている世界です。
今でいう核の脅威や薬の大量消費は卑近な例として、現象そのものです。
ですから、世の中には戦争やテロがあったり、病気などの不完全な出来事があるように見えますが、それらはすべて「現象」であって、本当にある世界の「実相」ではないと説いています。
すなわち、成長の家の言葉を借りるまでもなく、目に入ってくる皮相の現象がアヒルの泳いでいる姿であり、見えている氷山の姿なのです。
それを支えている見えない部分が実相なのです。父母の恩は実相であり、なかなか、見えないのです。だから、親不孝がおこるのです。昔の人はうまい言葉を考えました。父の恩は山よりも高し、母の恩は海よりも深しとね。
現象に惑わされていると、いつまでも表面的なことに振り回されてしまいます。人間には智慧があるのです。その根底で現象を具現化している内面に目を向けなくてはいけません。そうしないと、人間、いつでも皮相な面に囚われてしまい、真の解決にはいたりません。一般に宗教はこのような目に見えない内面の状態を扱うものです。幸せや不幸の大半はある意味、心の陰であり、現象です。
現象に囚われずに物の本質をよく見極めて生活したいものです。真の幸せは内面から滲み出てくるものです。それが本物です。本物の世界で生きていきたいですね。
本物の世界で生きていきたいものだとつくずく思います。やがて、私の肉体も滅ぶ時がくるでしょう。しかし、見えないものの世界は永遠なのです。ですので、肉体は滅びても、精神はいつまでも残るのです。最後は心を浄化することが真に大切になるのです。
現実世界にいると、現象に惑わされてしまいます。たまには、このような見えない世界にも足を踏み入れ自己反省をしていかないと、ますます、混迷の現実世界に埋没してしまいます。この点、芸術の世界は凄いといつも思います。また、この辺をいつか、述べてみたいと思います。