想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

あらさわふる里公園のアサギマダラ

2015年10月30日 | 野山散策

 

 

ひらひらと
ただ ひらひらと
舞う その姿

秋なんだなと
しみじみ 思う

数千キロも移動する
エネルギーは
どこにあるのか

また
会いに来るからな

 

 小高い山を散策すると、アサギマダラ蝶によく出会います。その飛び方が優雅で実にお人やかに飛び回ります。

  近くにフジバカマもあり、たくさんのアサギマダラが舞っていました。また、フジバカマに似ている植物にヒヨドリバエがあります。どちらも花も葉もそっくりで兄弟のようで見分けがつきません。唯一、葉先が三葉に分かれているのが、フジバカマ、葉が一枚の物がヒヨドリバエのようです。

 今まで、それをフジバカマだとばかり思っていました。他人のそら似という言葉があるように世の中には似たものがあることがよく分かりました。どちらも、アサギマダラの大好物で、よく蜜を吸っています。

木に止まって休むアサギマダラ

フジバカマの蜜をすうアサギマダラ

あらさわふる里公園のアサギマダラ

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コノマチョウ?~ノーベル賞迄

2015年10月29日 | エッセイ

 コノマチョウではないかと思いますが、正式名は分かりません。羽を開いた所を取りたかったのでのですが、残念ながら、カメラを向けた時には、もう、開きませんでした。撮れただけでも、ラッキーでした。

 昔は昆虫採集といいうのを夏休みになると宿題でやりましたが、今ではカメラで何でも撮れるので、自然にも優しいし便利になりました。

 

 ちょうちょで思い出すのですが、よく子どもの頃はちび蝶といっていましたが、セセリチョウを草のひもで縛って動かして塩からトンボをつったことが目に浮かんで来ます。魚釣りならず、とんぼつりです。あのころが、なつかしいですね。今の子はそんな遊びはしらないでしょう。それから、太いの花穂を揺らしながら蛙をつったことも今となっては楽しい思いでです。
 
 
先日、テレビで昔のことを思い出すことは認知症予防にもいいというようなことを言っていました。過去を振り返らないで前を向くポリシーでしたが、たまには過去に思いもはせることも今後はしたいなと思いました。

 それにしても、とどまることをしらないネット社会の未来はどうなることかと、興味はつきません。やがて、ハードでは、息をするバイオコンピュータの出現も視野に入ってくるのではと思います。

 ハイブリッドという言葉があります。異種接合とやくすらしいのですが、ますます、垣根が無くなって来ています。昔の自動車はメカだけで動いていたわけですが、最近ではデザイン、環境、エレクトロニクス、アメニティなど、色々な要素が絡み合って出来ています。やはり、それも、快適な生活道具ということからの手段の多様性というところでしょうか。益々、境目が無くなって来ている感じがします。

 

 先日は、連日ノーベル賞のことが話題になり、受賞者の経歴も随分現実的になってきたとびっくりした次第です。今迄ですと、ノーベル賞と言えば象牙の塔の中で理論を研究していた人が受賞していたことが当たり前でしたのに、今回のノーベル生理学・医学賞では大村先生が受賞され、ビジネスでも活躍されていると聞いてびっくりしました。

  結構、昔はあの人は理系だ文系だとステレオタイプ的に人を評価していた人がいましたが、大村さんを見ていて、やはり文系理系の別は無いんだなと我が意を強くした次第です。

 困った人がそこにいれば、どうアプローチしてもいいわけですし、人間の生身の生活に文系も理系無いわけですから、助ける為にどう、方法を考えるかが大事です。

 そのことを実践してきた素晴らしい方の受賞は、まさに今後の学生の生き方にも大いに影響を及ぼして来るのだろうと推察されます。私も大村智先生の生きた方にはすごく共感できました。今後も多いに御活躍して欲しいです。

 

 日本にとって、とっても明るい今回のノーベル賞だったと思います。土の中の微生物を発見という初歩的なところから先生の壮大な構想をとおして、人類に貢献する素晴らしい快挙となりました。久々の満塁HRと言うところでしょう。

 今後の日本の教育も各人の良さを多いに認めてその個性を十分に発揮させていく方向に行ってほしいです。学校では優等生でも社会ではだめでは何の為の教育かわかりません。

 特に今迄、不足していた考え方は、決められたパイの中での適応力ばかり求めていたように思います。今後はそのパイを打ち破ってゆく自主性溢れた人材の育成が大事です。起業家も育てるようにしないといけません。

 

 

コノマチョウ?

おきてがみ

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自分流!生きていると言うこと

2015年10月27日 | エッセイ

震災5年10月27日 

 生きていることとは、今、その瞬間の時間の中を流れていることです。自分が意識するかしないかに、関わらず、私たちはその刹那の中に今いるのです。今という刹那は未来に向かっていつもX軸を横に流れているのです。諸行無常も同じようなものでしょう。

 それは、いつもエネルギーとベクトルを持って流れているのです。まさに、私たちはその真っ只中にいるわけです。それを意識するかしないかの問題です。

 神がいるかいないかも同じような問題ではないでしょうか。いないと思えばいなし、いると思えばいます。ただ、その存在に気づいているかいないかの問題では無いかと思います。あまり、考えすぎると哲学の問題に入ってしまいます。単純に信ずるか信じないかの問題でもいいのではと思います。

 Simple Is Beautifulと言う言葉があります。そうです。物事は、単純に考えることが大切です。一見複雑に見えることも、基をただせば、シンプルに立ち返るのです。tabula rasaも一面、同じようなことかもしれません。もともと、人間はtabula rasaの状態で生まれてくるようです。

 もっとも、人間には遺伝子がありますので、生まれる前からある程度は素質を持って生まれて来ます。後は、環境との関連でその人の人生は決まってくるのでしょう。そう考えると、単純にtabula rasaの状態で生まれて来るというのは、ちょっと、考えられません。

 さて、複雑に絡まっている糸も基は一本の糸です。それをほぐして行けば、解決します。現在の世の中がITなどでどんなにか複雑で迷路のように思われるかもしれませんが、根本は今も昔も同じ単純なんだろうと思います。それに、惑わされている現代人がいるだけです。

 信仰も難しく考えたり理屈をこねても出来ません。単純に信ずるか信じないかだけなのです。ただ、神様も右から左まで色々いますので、おかしな宗教にはまると大変なことになります。私は神は存在するという考えに立っています。ただ、人はそれに気づく人と気づかない人がいるだけだと思っています。


 その神も色々あるでしょう。キリストやアラーなどの人格神といえるものから、日本のように万の神、または自然を神と考える人もいます。

 私はどちらかというと、自然を作っている根源的なものを神としています。置き換えると自然の摂理=神と考えています。多分、現世がつきるまで、この考えをよりどころにして来世に旅立ってゆくのでしょう。

 その後の世界がどうなるかはわかりません。ただ、ただ自分の価値を生かすことしか考えていません。素晴らしい価値があるからこそ、このように存在しているという自覚を持って生活しています。残された人生この考えにそって毎日息をしているようなものです。現世をどう生きるのが自分や人の為になるのかを考えている毎日です。

「人間到る処青山あり」まあ、そんな心境でしょうか。     ???       

 

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キノコとの遭遇

2015年10月26日 | 野山散策

 雨上がりに野原を散策すると、よく、キノコと出会います。毎年、秋になると、キノコを食べて大変になったという記事を多く見かけます。椎茸や松茸なら私でも分かりますが、他のキノコはおいしそうに見えても絶対口に入れないようにしています。食べられるキノコも実際にはたくさんあるでしょうが、素人療法は厳に戒めています。
 さて、先日も、おいしそうなキノコを見ました。

このキノコなんて、森のこびと達と一緒にでてきそうです。その脇にこびとの人形でも置くと雰囲気が出そうです。そうです。もう、そうなると心はメルヘンの世界です。♪♪♪ 森の木陰でドンジャラホイ、シャンシャン手拍子足拍子、太鼓たたいて笛吹いて……と、森の小人さんの歌が聞こえて来そうです。こんなキノコのおうちに住んでみたいです。こんなおうちがあったら子ども達が喜びそうですね。

 

キノコ三昧


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ハロウィンのカボチャ

2015年10月16日 | 日記

 先日、スーパーでこんなカボチャを見ました。かわいい色なので、種を取って来年、試しに植えてみようと考え、買ってみました。300円ほどでした。
 お店に人に聞くと食べるものでは無く、鑑賞用のカボチャだそうで、味のことは分からないようでした。最近テレビでもよくハロウィン話題がニュースに流れてきています。そういえば、ハロウィンも日本の行事になりつつあるような雰囲気です。多分若者を中心に日本でも定着してゆくのでしょう。クリスマスが行事になったようにね。マーケットがほっておかないのでしょう。

 そんな積もりもなく買ったカボチャですが、今、思うと、ハロウィン用に売っていたように思います。私の思惑も違っていましたが、今ではすっかりハロウィンようになってしまいました。英語のパンプキンといいう言葉と、オレンジ色がなぜか、ハロウィンの雰囲気に合っているから不思議です。

 ここ、一に週間はハロウィンがマスコミでもにぎやかになるのでしょう。

ところで、来年はこのかぼちゃと、冬至カボチャを育ててみたいと思っています。

 

入り口の飾って楽しんでいます。ハロウィンがもうすぐ、来そうな感じです。

ハロウィンのカボチャ

 

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