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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

私の ふるさと農法三原則 詩

2025年01月31日 | 家庭菜園
 
 地産地消の 里の恵み
 採れたばかりを 食卓に
 土の香りを 手に抱いて
 命を紡ぐ 大地の輪

 身土不二の 理(ことわり)よ
 土と我らは ひとつなる
 自然と共に 生きる道
 揺るがぬ富士が 教えたり

 医食同源 食の道
 医(い)の力とは 食にあり
 病も癒して 体作る
 命の糧は 我が手から

 三つの言葉を 胸に抱き
 ふるさと農法 生きる道
 土も人もが ひとつなる
 未来へ続け この誓い

下は移植を待ち侘びるそら豆です。
"早く広いところに行って、のびのびしたいな"
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現在、医療、ここがおかしい

2025年01月31日 | 健康
コロナ6年1月31日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 現在の医療は、原因の追求よりも処方が優先されているように感じます。たとえば、喉が痛いと訴えた場合、なぜ喉が痛くなったのか、生活習慣にどのような問題があったのか、といった根本的な話は避けられがちです。ただ「喉が赤いですね」「喉を和らげる薬があります」と現状の説明や処方が行われるだけで、原因を突き止めて根本的に治す方法の提案はほとんどありません。しかし、本来の診断とは、そこに踏み込むものであり、そこからこそ医療が進化し始めるのではないでしょうか。

 現在の病院経営は、どうしても薬の処方に依存していると言えます。薬を処方するのが最も効率的で利益にもつながるからです。患者が薬に適応しなければ、再度来院を促し、違う薬を試す。これが一般的な流れです。しかし、特にがん治療のような場合、その薬が患者に合うかどうかで効果が大きく変わります。同じ抗がん剤でも人によって適合するか否かが異なるのです。こういった薬の選択が、お医者さんを通じて試されているようにも見えます。

 本来であれば、患者ごとに合う薬や治療法の研究がもっと進むべきです。しかし、今の医療体制では根本原因の追求に重点を置かず、薬の処方が中心となる仕組みになっています。この背景には病院経営の課題があり、薬の処方で利益を上げなければ、看護師やスタッフの給与を支払えない現実があります。

 この問題を考える上で、日本の医療保険制度にも触れる必要があります。この制度は一見非常に優れていますが、製薬会社や医療機関の利益を優先しすぎている面も否めません。その結果、病気の根本原因を突き止めるための研究や治療に資金が十分に回らない仕組みになっているのではないでしょうか。

 また、日本には東洋医学をもっと活用する余地があると感じます。しかし、医師会の反対などもあり、東洋医学が国家資格として認められていない現状があります。この点を改善することが、日本の医療の未来をより明るくする鍵となるのではないかと思います。

 さらに、食品業界にも課題が山積しています。添加物の多さや食品表示の曖昧さには、私たち消費者がもっと敏感になるべきです。たとえば、マグロ缶詰に「マグロ油漬け」と書かれていても、実際にはサラダ油漬けであることが多い。しかし、「サラダ油漬け」と正直に記載されることはほとんどありません。こうした問題が放置されているのは、日本が食品添加物の規制に関して、先進国の中でも非常に緩い基準であることに起因しています。

 これからの医療や食品業界の在り方について、私たち一人ひとりが考えていく必要があると強く感じます。
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私の野菜の育て方、自然農法から里山農法へ

2025年01月30日 | 家庭菜園
コロナ6年1月30日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 私の野菜の育て方は、自然農法から里山農法へと移り変わってきました。

 退職後の人生をどのように生きるか考えたとき、「自然」というテーマが私の中心にありました。現職時代から「自然の摂理」という言葉に感動し、その考え方に基づいて生きていこうと決めていたのです。

 植物に触れたのは子どもの頃が最初です。五つ年上の姉が植物好きだったことが大きな影響を与えました。今でも覚えていますが、姉が見せてくれた「ネズミの糞」という面白い名前の種がありました。調べると、それは「ルコウソウ」という植物の種だったようです。家にはさくらんぼやはっさく、柿の木が植えられていて、実を楽しむ機会もありました。

 また、兄が朝顔の花弁にお酢を塗り、その部分だけ花の色を変える実験をして見せてくれたことも記憶に残っています。こうした幼い頃の体験を通じて、私は自然に植物を好きになっていきました。

 その後、教員として勤め、定年を迎えましたが、心の中に植物への愛着は常にありました。畑の青々とした白菜や大根を見たとき、自然と「畑をやりたい!」という気持ちが湧き上がり、海に近い砂地の畑を借りることにしました。砂地は耕しやすく、野菜もよく育ちます。

 最初は「自然農法」を試みました。肥料を使わず、自然の力だけで野菜を育てることに挑戦したのですが、ほとんど放置に近い状態では雑草が伸び放題になり、野菜も思うように育たないことがわかりました。

 そこで次に、自然と人の知恵を融合させた「里山農法」を試すことにしました。有機肥料を少し加え、人間の手を加えつつも自然を尊重する方法です。自然と人間の共存を目指すこのやり方により、自然を感じながら野菜作りを楽しんでいます。

 畑では昆虫や鳥、時には動物が訪れ、自然の営みを間近で観察できます。例えば、トンボが雨水のたまった場所に産卵している姿や、カラスが野菜を狙っている光景を見ると、自然の生命力とつながりを感じます。

 私は「自然の摂理」に従いながら、無理をせず自分の体や心の状態を見つめて生きていきたいと考えています。薬もなるべく使わず、自分の体に備わった力を信じています。77歳になりましたが、大きな病気もなく元気で過ごせていることに感謝しています。

 自然とともにある生活は、私に学びと喜びを与えてくれます。これからもこの豊かな時間を大切にしながら、自分らしい生き方を続けていきたいと思います。


大根、各種

チンゲンサイ、水菜、レタス

チンゲンサイ

九条太ネギ

インゲン豆


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今日いち-2025年1月29日

2025年01月29日 | 野山散策
水を飲む白鳥
海で拾ってきた木片です。
なんとなく白鳥に似ていませんか?

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今の時代、心が動いた瞬間に刻まれる記憶こそ重要

2025年01月28日 | エッセイ
コロナ6年1月28日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 最近、私は「記憶」について考えることがありました。人間にとって大事な記憶とは何か――それは感覚や感情を伴った記憶ではないでしょうか。論理的に考えたことや単なる言葉の羅列ではなく、その瞬間に感じた情景や感情が一体となった記憶。それこそが、本当に大切な記憶なのだと思うのです。

 今の時代、私たちはコンピューターを使って多くの仕事をこなしています。ディープラーニング(深層学習)の進化も目覚ましく、膨大な情報を記憶し、処理する能力において、コンピューターはすでに人間を凌駕しています。しかし、これからの時代、私たち人間が持つべき「記憶力」とは、ただ情報を蓄える能力ではないと思うのです。

 感覚が覚えている記憶。感情を伴った記憶。つまり、心が動いた瞬間に刻まれる記憶です。例えば、美しい景色を見たときの感動や、人との触れ合いから生まれる温かさ。それらは情報ではなく、血の通った人間だからこそ持ち得る記憶です。そして、そうした感性豊かな記憶力を持つ人こそ、これからの社会をリードしていくのではないかと思います。
 
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