想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

梅雨には薄紫色がよく似合う

2021年05月29日 | 我が家の庭
コロナ2年5月29日
 梅雨の季節に入りました。この時季になると不思議と心が落ち着きます。しとしと降る雨が何とも心地よいのです。
 そんな日は決まって、鼻歌混じりに出てくる歌があります。
「モナリザの微笑み」ジュリー沢田研二の歌です。
 雨がしとしと日曜日、僕は一人で君の帰りを待っていると、歌うくだりが自分の気持ちにとても当てはまるのです。何故だかわかりませんが、この年になっても自然に口ずさんでしまうのです。
 こんな季節には、やはり、紫色の色の華がまた、よく似合うのです。我が家でも見渡すともう咲き始めています。
 紫陽花、花菖蒲、野菊の花が梅雨空ととてもマッチしています。
 やはり、日本の季節に欠かせない時季ですね。










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甘露蜜を舐めに来る蜂から想う

2021年05月23日 | 我が家の庭
 なぜ、蜂がこの葉っぱに来ているのかと、観察していた所、その謎が分かりました。アブラムシが出した蜜を舐めているのです。

 アブラムシとかカイガラムシは樹液を吸ってお尻から甘い蜜を出すんです。蜂はそれを横取りするというか、その蜜を舐めているのです。ああ、知らなかった。自然の神秘ですね。

 まさに、アブラムシと蜂は共存共栄、win winの関係です。自然は凄いと思います。そこには、畏敬の念しかありません。見方によっては、アブラムシも蜂も神々しくさえ見えて来ます。便利さと効率を追求した結果が今の状況です。
 今、現代人にとって、一番失われているのが、感謝と畏敬の念だと想います。何でも科学で分かったつもりでも、実はちっとも分かっていないのです。そこに人類が気づき始めた時こそ、コロナ禍も無くなるだろうと想います。

 私は何事も、まず、このwin winをめざします。そして、なぜ、それが今、実在しているのかという、必然性を考えます。あるべくしてあるのが自然であり、なるべくしてなっているのです。その根源を考えるのが大切です。すべて、それらは自然の摂理の中で起こっている事なのです。

 自然は魅力がいっぱいです。自然から学ぶ事が多いです。自然は最高の教師です。

 コロナ禍もその辺の視点から観察して行くと新たな展開が見えて来るかも知れません。

Nature is the best teacher.  An aphid that produces denseness, a bee that comes to eat it.

甘露蜜をたっぷり吸いにくる足長蜂です。スズメバチもよく来ます。



下のはてんとう虫の幼虫です。アブラムシを食べに来ます。まさに彼にとっては天敵です。




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骨湯と親父との想い出

2021年05月13日 | エッセイ
コロナ2年5月13日
 
 一介の職人から最後は楽器会社でピアノ作りに励み、定年をむかえてリタイヤした大好きだった父の面影が時たま浮かんでくることがある。
 80歳で他界して、今、生きていれば、112歳になるのだろう。私も後、6年もすると父の鬼籍の年になると想うと感慨深い気もする。
 歌とお酒が大好きで会社で宴会があると「俺がいないと、座がしらける。」と、いっては、飲んで帰ってきた。母はそれが嫌でよく喧嘩になっていたことがあった。兄弟の多い父と、一人娘の母という事も影響しているのだろう。もうちょっと、母も会社人間としての父を理解していてくれても良かったのかなと、大人になって想ったことがあった。
 「お父さんは意志が弱い。お酒に飲まれてしまうから」と、よく言っていた。会社勤めを終え、家路に着くと母に謝っては、また、宴会があると懲りずに飲んで帰って来ていた。
 母の事を想うと、私が将来偉くなってお酒のない世界にしたらと想うこともあった。母に取ってはお酒を飲む父が許せないらしかったが、不思議と暴力をふるう事だけはなかった。まあ、子ども達には優しい父であった。
 朝になると、酒を飲み過ぎた医師の弱さを反省でもしているのか、決まって、仏前で般若心経を唱えていた。もっと、他にも何か意味もあったらしいが、そのことは、最近妹から聞いてわかった。父の人生も大変だったなと想う。
 そんなわけで、般若心経を横で聞いていて育ったので、いつの間にか、それを諳んじてしまい、今では、朝のウォーキングでは私も一人で歩きながら唱えるようになってしまった。
 酒に飲まれ、意志の弱い職人肌の父ではあったが、信仰心のあった父だったなとと、しみじみ想う。時にはこんなことも、私に行ったことがあった。「幸せはどこにあるか、分かるか、東にも西にもない。南にある。そう、皆の身だ。」なんて、言っていたことも懐かしく想う。
 退職してからは、般若心経の写経を毎日筆で書いていた。
 裕福な家庭で育ち、頭は父よりもよかった一人娘の母とは違うものを父の背中から沢山学んだ気がした。
 そんな父が晩酌をすると、決まって酒の肴にするのが、食べた後の骨だけになった魚にお湯を注ぎ、それをうまそうに飲む姿だ。
 実は、この魚の骨にお湯を注だスープのことを骨湯ということを、今、初めて知った。ある地方では郷土料理にもなっているそうだ。
 また、父は、お風呂の蓋を使ってそのうえで、よくうどんを作っていたこともあった。それから、すいとんが得意でよく私も食べたものだ。
 当時としては、誰でも、簡単にできる料理であったらしい。うどん粉さえあれば、それを醤油仕立てのスープに野菜と共に入れればいいのだから、簡単だ。今でいえば日本版ボルシチだったかも…。
 もともとは、家具職人で父の18番は芸者ワルツという歌でいつの間にか聞いていて、私も覚えてしまった。他にも、近所の友を集めてよく我が家で蓄音機でうたったりして飲むのが大好きだったようだ。今でも、でかんしょ節、ノーエ節、炭坑節が懐かしく想いだされる。蓄音機の針も鉄や竹のだったと記憶してるが…。
 今想うと単なる知識でなく、大切なことは、人間としてどれだけ経験を積んだか、その経験値の豊かさが、その人の魅力になるんだなと父から学んだ気がする。やがて、私もいずれあの世で父と再来することになるだろう。

 

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大きな苺ができた!

2021年05月11日 | 家庭菜園
コロナ2年5月11日
 苺の旬です。連日、沢山の苺がとれています。1kg/日という感じですかね。
 今年一番の大きな苺です。1円硬貨と比べると大きさが、よく分かると思います。小さなおむすびのような感じです。もちろん、食べてみましたが、甘くて美味しかったです。品種は紅ほっぺになります。
 今が一番美味しい時期ではないかと思います。







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コロナ禍転じて福となす

2021年05月07日 | エッセイ
コロナ2年5月7日
 毎朝、ウォーキングをした後、周りの草花に水をやるのが、日課になっています。その事が、1日の活動の源泉にもなっています。
 青々としたみずみずしい植物やけなげに咲く花を見ているだけで、心が和みます。
 今、ここにいるのも、自然によって生かされているな。自然の一員だな。と、日々感じて、感謝と畏敬の毎日です。
 こうして、自然と対峙し、眺めているだけで沢山の事をそこから学ばせてもらってます。まさに、自然は最高の師でもあります。
 小さな庭では、今、まさに四季おりおりの花が咲いています。それぞれが、それなりに自分の居場所を探すかの様に鎮座し咲いているのです。
 虫たちも沢山訪れます。そうです。虫たちと植物は友だちなんです。自然界の種はこうして繋がっているのです。もちつもたれつの関係で、これが共育なんです。
 自然界はバランスが崩れそうになると、それを修正するのです。大気も、水も、電気もその差が生まれれば、それを埋めていき流動してゆくのです。いっ時も同じ時は無いのです。それが時の流れであり、不易流行であり、諸行無常でもあるのです。だから、幸も不幸も、栄枯盛衰もあるのです。
 案外、コロナ禍もその視点から眺めると、今、まさに、その崩れかけたバランスを埋めようとして、必然的に出て来た自然現象かもしれません。
 ここらで、我ら人間も個として捉えるのでなく、広く人類としての視点から反省すべきかなと想います。
 産業革命以降、人類は急激に地球の資源を使い始め、人口も激増しました。
 地下水も汲み上げられ、プラごみも海に垂れ流し、大気も汚染させ、CO2の増加は益々温暖化を加速させています。借金がリボ払いの如く、気が付かない間に複利で増えて来ている感じです。ここ、10年が山場だと想っています。
 今、ポストコロナは、まさにこの難を転じて福となす大きなパラダイムシフトの点に来ているのではないかと考えています。

芝桜
一輪残し
けなげにも咲く

その輝きは
百花にも勝る

それを支える
十二単衣と
ブロック岩




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