想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

秋深し隣は何をする人ぞ

2009年11月26日 | インポート

 秋も深まり、紅葉が我が家にも少しずつやってきました。門の所に並べてある漆の山野草がきれいに赤く染まってきました。秋も深くなったんだなとしみじみ思います。また、大文字草の花もますます色がさえてきています。このぶんではまだまだ、咲き続けているでしょう。「大」という字の花弁の花が華やかな仏教文化を演出しているようです。毎朝、これらの植物を眺めながら身近な秋を体感しています。
  本来なら、この時期「目薬の木」の紅葉が見事ですが、今年は台風の影響で塩害からか、葉を痛め、きれいに紅葉してくれないのが残念です。自然は実に正直なようで、巧みに周りの変化を感じ取り自分を変身させているのです。

 

 

wgayano
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大文字草の花が咲いた

2009年11月14日 | インポート

 今年も、我が家では大文字草の花がきれいに咲きました。花の形が何となく「大」という字に似ている所から名前が付けられたようです。大文字というと京都の大文字焼きを思い出しますね。京都は私がまだ、20才になったばかりの頃仕事をしていた所です。なつかしい思い出がいっぱい詰まっています。
   西京極の寮から阪急電車で四条河原町まで、電車に乗り、後は歩きで京都御所の近くの事務所によく通ったものでした。御所にはよく行きました。給料は2万円弱だったように記憶しています。四条河原町通りや木屋町通りもよく通りました。少ない給料でしたが、当時の洋酒喫茶でミリオンダラ、ジンフィーズ、ハイボール等を飲んだことを思い出します。あまり飲めませんが、雰囲気が好きだったんですね。今となっては青春のいい思い出でした。
  同僚にジャズのハービーマンの好きな同じ高校出身のS君がいました。飲みに行くと、よく音楽を聴きながら床を足でたたいて、リズムを取っていたことを思い出します。彼は、フルートを吹くのが得意でした。私も彼の影響でハービーマンのレコードを買った記憶があります。京都は3ヶ月という短い期間でしたが、自分を成長させる同僚に恵まれ社会勉強が沢山できました。3ヶ月しかいなかったのですが、今、思うと、とても、長くいたように感じます。若いときは色々吸収することがいっぱいあるのですね。それで、長くいたように錯覚したのでしょう。沢田健二の曲もよく流れていました。ショウケンもいました。また、宇多田ヒカルの母親の藤桂子のブルースもよく流れていました。それから、布施明も…。楽器会社に就職していましたので、音楽好きが沢山いました。また、いつか、じっくり京都を訪れてみたいと思います。京都では祇王寺近辺がよかったように思います。
  ところで、資本の論理でしか動いていない会社の矛盾を感じ、ここを退職する決心をしたのが、大きな自分の転機だったように思います。やめる前、いつやめようかと、退職願いをポケットに入れていた事が懐かしく思い出します。寮に帰れば、京都ですので、地元の同志社や立命館大の大卒社員が沢山いました。高卒の自分に取って、大学ってどんな勉強をするのだろう。大学の勉強をしてみたい。でも、親にはそんな経済的余力はないし、勤労学生として通うしか、進学する道はありませんでした。自分にとって職業とは仕事とは?自問自答が始まり、文字通り「若いという字は苦しい字に似ている」という、歌謡曲がはやりましたが、その通りでした。結局社会福祉の方面、人でなければできない仕事、どんなに科学が進歩しても、人でなければできない仕事とはなんだろう。それが、自分に一番向いているのだろう。という結論に達し、わずか、京都転勤後3ヶ月で退職することになりました。熟慮断行という言葉がありますが、その通りだったと思います。
  それから、浜松に帰り半月就活の後、オートバイメーカーに就職し、自動車のエンジンの検査を現場でやり、2交代で勤務したこともありました。残業の時の凍った刺身定食は今でも思い出します。また、車好きの同僚が沢山いたことも思い出です。夜は公務員試験の勉強です。当時の自分の環境を考えると、公務員試験に合格して、夜学か、通信大学に通う方法が一番可能性がありました。結局どうにか事務官の試験に合格することができ、無事夜学に入ることになりました。そして、勤労学生として、昼間は仕事、夜は大学生という生活を4年間することになりました。今までの理数科から、文化系に変わったのも自分の能力をよくよく考えた結果でした。大学の勉強は毎日が楽しく、興味に充ち満ちていたものでした。当時、「大学院へ行きニュースキャスターになろう」と、夢を語ってくれた彼も警察官になり、今では、札幌で行政書士をしています。ところで、今の自分を考えると、このころの貯金で生きているような気がします。やはり若い頃は何でも挑戦して努力することだとつくづく思います。年を取れば取るほど記憶力は鈍ってくるように思います。若いときの心の貯金をどれだけ沢山してきたかが、この年になると問われているように思えてなりません。肉体は確実に老いて行きますが、精神はいつまでも若くありたいなと思うこのごろですが、なかなかむずかしいです。やはり、肉体と精神はある程度連動しているなと思うときもあるからです。自分史をいつか、振り返りじっくり取り組んで見たいと思います。

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ふれあい農園祭り

2009年11月09日 | インポート

 昨日、農園祭りが行われた。掛川の市長さんもお見えになり、祝辞をいただいた。

 

※私が出品した大根、根が虫に食われているが、どうにか大きな大根になった。早速みそ汁にして食べた。やはり、自分が作った物はおいしかった。周りの景色もいいごちそうになった。

※祝辞を述べる掛川市長 横に見える野菜は各自が育てた物

※地所を提供してくれた地主さん達がモチ焼き、甘酒、豚汁を振る舞ってくれた。薪をくべ、釜戸でできたメニューが子どもの頃を思い出させて、なつかしかった。子どもが、もっと来るかと思ったが、あまり来なかったのが、残念。

※農園を遠くから眺めてみた。

※ジャガイモの花が真っ白に咲いていた。純白の花嫁の様な感じ、こんなに白いとは認識を新たにした。後、1月ぐらいで収穫になりそう。

※久しぶりにイナゴを見た。稲にいるのでなく、ジャガイモの葉についていたのが、なんとも物珍しかった。昔は、フライパンでいってよく食べたものだ。

※収穫間近な子持ち甘藍 これを食べると子宝に恵まれる?

※同じくブロッコリーもまもなく収穫に入る。サラダにしたらおいしいだろうな。

※秋野菜が結構大きくなってきた。紫キャベツにはなぜか、虫がついていない。なぜだろう。

※おいしそうなジャガイモが沢山できそう。

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石蕗の花

2009年11月07日 | インポート

 石蕗の花が今年も咲きました。青い空や緑に黄色の花はよく似合います。我が家では秋にはなくてはならない花です。スギゴケや日本庭園にもよく似合います。水を打った庭石のそばに咲いていたりします。

 

※ちょうど、セセリチョウが蜜を吸いに来ていました。セセリチョウと言えば子どもの頃、捕まえて、雑草の茎でその体をしばり、チョウを動かせて、シオカラトンボを釣った思い出があります。まだ、小学校前の事だったように記憶しています。昔は結構自然を相手に色々な遊びをしていたのですね。

後方はナンキンハゼの木です。買ってきたときは、まだ、小指ぐらいの太さの木が今では直径15cm程の大きな木になっています。月日の立つのは早いものです。まさに光陰矢の如しです。

 天高く 石蕗の花 染まり行く
                    水萌

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