今年は10月3日(土)が中秋の名月だそうです。しかし、その日は満月でなく次の日が満月になるのだそうです。私は丁度、農園にて3,4日とも、天気もよかったので、眺めることができました。農作業をしていると、5時を過ぎ、少し暗くなったかなと思うと、すぐ、お天道様は沈んでしまいます。秋の日はつるべ落としとは昔の人はよく言ったものです。東の空を見ると大きな満月が出ているではありませんか。これが中秋の名月というのだな、と、心の中で思わずつぶやいてしまいました。月明かりに浮かぶ農園の周りは幽玄かつ情趣に溢れ周りの野菜達の寝息さえ聞こえてくるようでした。草木も眠った後は丁度真上からお月様が下界を眺めているだろうなとも思うとうれしくなりました。
まだ、6時ちょっと過ぎた頃でしょうか。月光の灯りが、やけにまぶしく感じました。照度的にはたいした灯りではないのに、なぜか、まぶしく感じました。心の働きというものは科学ではなかなかはかれないものだと思いました。と、同時に若い頃、読んだ経済の本に出ていた「限界効用低減の法則」を思い出しました。1個目のおまんじゅうと5,6個と食べた後のおまんじゅうでは、同じおまんじゅうでも1個の価値がだんだん下がっていくというような事が書いてありました。
そうです。1個そのものにすべて同じ価値があるのでなく、沢山食べていくほど、飽きてしまい、最後にはどんどん苦痛にさえなっていくという考え方でした。絶対的な量ではない。絶対的な明るさではない。人それぞれがそれが明るいと思えれば明るいし、いくら照度が高くとも、量が多くあったといえども満足しなかったらその人に取って意味のないことだと思わずにはいられませんでした。人の心の働きは相対的なものなのです。最近、学校では相対評価に変わり絶対評価でみようという考え方が出てきていますが、やはり人の幸せというものは相対的なものだと思います。絶対評価をしたほうがいい部分もありますが、評価の客観性にも問題があり、大きくとらえて相対的な評価が妥当だと思っています。
ところで、悠久の昔から人はどんな想いで月を眺めてきたのだろうか。その時の情景はどんなだろうか、かぐや姫のお話もいつ頃どんな人がどんな想いで作ったのだろうか。想いは果てしなく広がっていく。秋の夜長は長い。人工的な灯りに慣れた私たちも、時にはこのような気分を味わって欲しいと思う。そのことから、新たな自分が生まれること請け合いである。だから、人は毎朝生まれ変わる。その通りである。
月天心貧しき町を通りけり 蕪村 ※私の大好きな詩である。