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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

日増しに秋は深まって行く

2009年10月16日 | インポート

 朝の犬の散歩コースのおり、ふと目を横にそらすと、まっ赤なカラスウリが目に入った。あの朱色の色が澄み切った秋の空と周りのグリーンに映えて美しい、田舎の農家の庭に彩りを添えている。
  秋は日暮れが早まると共に彩りを添え深まって行く。
  ところで、我が家にもカラスウリが生えている。クーラーの側に生えてじゃまだったので、掘り起こした所サツマイモの様な球根が出てきた。カラスウリって球根からできているんだ。その時、初めてしった。その球根のデンプンをとったらどうなんだろう?と、思ったことを覚えている。一度取ってどんな性質があるか化学的な実験でもしてみようかな。食用にはなるだろうか。興味はある。夏休みの自由研究の課題にもなりそうだ。

 休耕田の側を通ると、がまの穂が出ていた。周りが湿っていて結構情緒があるじゃないと思った。がまの穂というと、いなばの白兎の神話を思い出す。昔、聞いたことがある話であるが、兎と共にがまの穂が出てきたような気がした。どういう関わりが兎とあったかは忘れた。古典的な植物である。生け花などのオブジェに時たま使われていることがある。沼地とか、古びた池を連想させる。牛蛙や蛇なども出てきそうだ。
  そういえば、子どもの頃よくあぜ道であそんでいると、蛇が蛙を飲み込む所に遭遇したことがある。あの子どもの時以来蛇が蛙を飲み込む風景はもう、50年余り見たことがない。時代も変わった物である。当時はまだ、環境などという今時の言葉はなかったように記憶している。環境は当たり前の事だったのである。考える対象と言うよりは、生活の一部だったように思う。人は皆なくなってみてそのことのありがたみを思う動物のような気がした。空気も水も周りの物がすべて有限となってきた現在になり初めてそのものの本来持っている価値に気付き初めている。もっと、早く気づかないといけないな。効率と便利さの影で、なくなって行くものへの淋しさはどうしたらいいのだろう。今後の課題だ。

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