読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

宮崎キネマ館、東日本大震災ドキュメンタリー映画特集『祭の馬』

2014-03-09 23:48:42 | ドキュメンタリーのお噂

『祭の馬 相馬看花 第二部』(2013年)
監督・撮影・編集=松林要樹

千年の昔から受け継がれてきた伝統行事「相馬野馬追」で知られる福島県南相馬市のとある厩舎。東日本大震災で発生した大津波はそこにも押し寄せたが、38頭の馬たちは奇跡的にすべて生き残ることができた。
しかし、その後に起こった原発事故により、半径20km圏内に位置していたこの地の住民には避難指示が出され、馬たちはすべて置き去りにされる。馬主はありったけの食糧を残していったものの、9頭が餓死してしまった。
その後、馬を含むすべての家畜を殺処分するよう要請されるが、野馬追という伝統行事にも参加する馬ということで、特例により南相馬市の管理下のもとに避難することができた。だが、放射能汚染というレッテルを貼られた馬たちは移動を厳しく制限され、食肉用として売ることもできないまま避難先の厩舎に閉じ込められることを余儀なくされた。
そんな馬たちの中に、ケガをしたおちんちんが腫れ上がって大きくなってしまったオス馬がいた。ミラーズクエスト、4歳。4戦0勝、獲得賞金0円と、はなばなしさとは程遠い戦績の末に登録を抹消され、南相馬の厩舎にやってきて間もなく津波にのまれ、その時に負ったケガの後遺症が、おちんちんを腫らしていたのだ。
秋になり放牧が始まるが、放射性物質を含む草を食べてしまうということでほどなく放牧は中止され、馬たちは再び厩舎に閉じ込められる。劣悪な環境で病気になり、死んでしまう馬も出る中、北海道の日高市が馬たちの一時受け入れ支援を申し出る。ミラーズクエストをはじめとする馬たちは、北海道の自然の中でのびのびとした日々を過ごすことができた。
4ヶ月後、馬たちを迎えにきた馬主がミラーズクエストの股間を確認すると、腫れ上がっていたおちんちんはだいぶ小さくなっていた。これなら野馬追のときも邪魔にはならないだろう、と安心する馬主であった。
そして2012年の夏。古式ゆかしい鞍と衣装に身を固めたミラーズクエストら被災馬たちは、野馬追の会場へと堂々出陣していくのであった•••。

『311』(2011年、共同監督)に『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』(2012年)と、被災した地域に目を向けた作品を手がけてきた松林要樹監督が、とんでもない運命に直面してしまったミラーズクエストをはじめとした馬たちと人との関わりを、ユーモアとペーソスを交えた視点で記録してまとめたドキュメンタリー映画です。
言葉を発することができない馬たちは、そのぶん体を使ってさまざまなことを語りかけているかのようでした。
狭い馬房に閉じ込められてやせ衰え、生気のない瞳でじっとしているしかなかった姿と、北海道の大地で嬉しそうに駆け回る姿との対比は、馬たちにとって生きる意味とはどういうことなのかを雄弁に物語っていました。
馬たちを殺処分させまいとする馬主さんたちの姿勢にも心を打たれました。やがては食肉用としてされる(競走馬や行事用の馬であっても、その役目を終えれば食肉用に回されることになるのです)馬であっても、手塩にかけて一生懸命世話をした、大切な命であることに変わりはありません。合理性だけでは測ることができない、命の意義を考えさせられました。
相馬の歴史や文化に対して、作り手が最大限の敬意をもって分け入っていることも、映画の端々から感じとることができました。その意味では、はなはだ困難かつ異常な状況下においても、馬と人とにより脈々と織りなされていた、一つの民俗誌としても観ることができるように思いました。

どんなに困難な状況でも受け継がれていく、命と歴史の価値と重さを感じた作品でありました。







東日本大震災ドキュメンタリー映画特集『先祖になる』(あわせてNHKスペシャル『~“じじい部隊”』)

2014-03-09 00:08:26 | ドキュメンタリーのお噂
宮崎キネマ館の東日本大震災ドキュメンタリー映画特集、2本目に観たのは『先祖になる』でした。


『先祖になる』(2012年)
監督=池谷薫 出演=佐藤直志、菅野剛

東日本大震災の津波により大きな被害を受けた、岩手県陸前高田市の気仙町荒町地区。ここで長年、農林業を営んできた佐藤直志さん(77歳)は、多くの住民が仮設住宅で暮らす中、妻と長男の妻とともに2階まで水に浸かった自宅に住み続けていた。消防団員だった長男は、住民の一人をおぶって逃げる途中に波にのまれて亡くなってしまっていた。
自給自足の必要性を感じた直志さんは、震災から3日後には早々に米作りをすることに決め、やがて空いていた田んぼを借りて田植えを始める。さらに自宅近くにはそばの種をまいた。
多くの住民を失い、町内会の解散が相次ぐ中で、直志さんは元の場所に新たに家を建てて住み続けていくことを宣言する。町を守ることで亡くなった息子の霊に応え、さらに将来に向けて町の営みを取り戻していくために。
かくて、直志さんは新たな家を建てるべく山に入ってチェーンソーを振るい、木を伐り倒していくのであった•••。

ドキュメンタリー映画としては異例のヒットを記録した秀作『蟻の兵隊』(2006年)を手がけた池谷薫監督による本作は、かねてより観てみたかった作品でありました。池谷監督は、直志さんと彼を取り巻く町の人たちを、音楽やナレーションなどといった過剰な演出を一切排して、あくまでも淡々ととらえていきます。
映画が始まってすぐ、わたくしは直志さんの魅力に鷲掴みになりました。とてつもない苦難を経験しながらも、あくまでもユーモアを失わず、前を向いて道を切り拓いていこうとする直志さんの姿には、笑いを誘われつつ勇気も湧いてくるような気がしました。
また、チェーンソーを振るって木を伐っていく姿には、山で生きてきた男の矜恃が溢れていて、なんだかゾクっとするようなカッコ良さがありました。
言い出したらぜったいに後には引かない、ちょっと頑固なまでの態度で、元の場所に家を建てようとする直志さん。しかしその行動の根っこにある、生まれ育った故郷への限りない思い、そしてどんなに困難であろうとも、いくら時間がかかろうとも、絶対に故郷に人の営みを取り戻していきたいとの信念には、心を打つものがありました。
ただの頑固親父にとどまらない、直志さんの人間的な優しさにも打たれました。杓子定規に立ち退きを求める、市の若い職員にさんざん食ってかかったあと、その職員の手をしっかりと握り続けながら「息子の分まで頑張ってくれ」という場面には、不覚にも目頭が熱くなってしまいました。

そんな直志さんを慕い、サポートし続ける菅野剛さんという方もまた魅力的な方でした。
直志さんより一回り以上若い菅野さん。なぜそうまでして直志さんをサポートするのか、との池谷監督の問いに、菅野さんはキッパリと答えます。
「あたりまえのことをやっているからですよ」
続けて菅野さんは、あたりまえのことを人のためにやっている直志さんを孤立させないために、とも。この菅野さんという存在にも、なんだか胸が熱くなるものがありました。
もうひとつ胸が熱くなったのが、震災のあった夏になんとか開催できた、当地で昔から続く祭り「けんか七夕」の場面でした。そのフィナーレで、山車の上に乗っかっていた青年部の若者が、感極まってこう叫びます。
「町内会を解散するなんて冗談じゃねえよ!俺たちはあきらめたくないんだよ!ここで生きていきたいんだよ!」
故郷への思い、そしてその故郷の賑わいを取り戻していきたいという信念は、直志さん一人だけのものではなく、若い世代にも共有されているものだった、ということを知り、ここでも目頭が熱くなるのを覚えました。

困難な状況でも屈することなく、故郷の将来を見据えて動き続ける直志さんの姿に、人間として大切なことをたくさん教えられる映画でした。ぜひとも、多くの方々に観ていただけたらと願います。

本作を観ていて、ちょうど昨夜(7日夜)放送されたNHKスペシャル『無人の町の“じじい部隊”』と重なるものがありました。昨夜はブログを書けませんでしたので、ここであわせて触れておきたいと思います。

NHKスペシャル、3.11 あの日から3年『無人の町の“じじい部隊”』
初回放送=2014年3月7日(金)午後10時00分~10時49分
語り=平泉成

原発事故により、広大な面積が「帰還困難地域」に指定されている福島県大熊町。その大熊町を駆け回るのが、かつて町の要職にあった方々をはじめとした6人の自称“じじい部隊”。地域の防犯パトロール、一時帰宅する住民のサポート、放射性物質の計測、汚染水の出どころの調査などに駆け回る彼らは、将来の住民の帰還に支障がないようにと、無人と化した町を守っているのです。同時に彼らは、30年先を見据えた町の復興計画の青写真をも描いているのでした•••。

原発事故により町に住民がいなくなるという異常な事態。今も残る高濃度に汚染された場所(その一方で、確実に放射性物質の濃度が下がってきている場所も出てきていました)。長引く避難生活で故郷への気持ちが離れ、もう帰還したくないという住民が増えている現実•••。さまざまな厳しい状況に直面しつつも、“じじい部隊”の面々はけっして町の未来をあきらめず、いつかは賑わいを取り戻そうと地道に町を守っているのでした。一時帰宅する住民たちの希望を切らさないように、と。
“じじい部隊”の一人が語ったことばがとても印象に残りました。
「やはり、町に人が戻るための努力は続けたい。それは、いま生きている人の責任でもあると思う」

いかなる困難な状況であっても故郷の未来をあきらめずに、その将来を見据えて行動している点において、“じじい部隊”の面々と、『先祖になる』の佐藤直志さんは、まさしく同じ志と前向きさを共有していると感じます。
とはいえ、被災した方の中には今も、前向きな気持ちにはなれないという方も少なくないとお察しします。あれだけの苦難を経験していることを考えれば、それも当然過ぎるくらい当然でしょうし、前向きに生きることを一方的に押し付けるようなことがあってはならないとも考えます。
むしろ、直志さんや“じじい部隊”から学ばなければならないのは、被災地の外に住むわたしたちではないのか、と思うのです。
そう。わたしたちが「絶望」する必要も暇もないのではないか、と思います。。これからも被災した地域と人々の復興と再起を見届け、おせっかいにならない程度に手助けしていくためにも。




宮崎キネマ館、東日本大震災ドキュメンタリー映画特集『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』

2014-03-09 00:00:45 | ドキュメンタリーのお噂
まもなく東日本大震災から3年となるのを前に、宮崎市内の映画館、宮崎キネマ館にて、震災をテーマにしたドキュメンタリー映画4本の特集上映が、きょうから1週間にわたって行われます。
上映初日となったきょう、わたくしはまず2作品を鑑賞しました。まず最初に観たのが『逃げ遅れる人々』です。



『逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者』(2012年)
監督・撮影・編集・ナレーション=飯田基晴

身体的、精神的なハンディを持つ人びとが、大震災で直面した現実とはどのようなものだったのか•••。福島県を中心に、障がい者とその介護者・支援者に取材して綴られた証言ドキュメントです。監督と撮影、編集、ナレーションを兼任したのは、話題作『犬と猫と人間と』(2009年)を手がけた飯田基晴監督です。
原発事故から避難しようにも動くこともままならず、そのまま自宅に留まらざるを得なかった方。周りに迷惑をかけたくはないから、と避難所に行くことを諦めた方。避難所には行ったものの、自宅があるのなら障がい者は帰って欲しい、と言われてしまい「もう二度と避難所には行きたくない」という方•••。
震災による過酷な状況は、ハンディを持つ「災害弱者」にはさらに厳しく、辛い形で降りかかっていたということを、あらためて突きつけられました。県外へと避難した方々の負っている現状は、いわゆる「健常者」のそれ以上に深刻だということも伝わってきました。
支援に関わっている方が、「これは東北だけの問題ではない。起こり得る首都直下型地震や、東海・東南海・南海地震に備えるためにも、ぜひ教訓化していってほしい」という趣旨のことを語っておられました。まさに、これは東北だけのことではなく、ハンディを持つ人びとだけの問題でもありません。
ハンディのある人びとに優しい社会は、同時にすべての人びとにとっても優しいものとなるはずです。ハンディのある人びとの置かれた状況を、これからの社会や制度設計に活かしていくためにも、教訓として観られて欲しい作品だと思いました。

なお、本作は映画館以外に施設での上映も受けているそうです。お問い合わせ、お申し込みは宮崎キネマ館まで。

宮崎キネマ館 電話→ 0985-28-1162
HP→ http://www.bunkahonpo.or.jp/cinema/