読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

NHKスペシャル『病の起源』第3集「うつ病 ~防衛本能がもたらす宿命~」

2013-10-20 23:40:00 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『病の起源』第3集「うつ病 ~防衛本能がもたらす宿命~」
初回放送=10月20日(日)午後9時00分~9時49分
音楽=羽毛田丈史 、ナビゲーター=橋爪功、語り=伊東敏恵

人類を苦しめ続ける病に、進化の視点から迫っていくシリーズ『病の起源』。個人的にはなかなか好きなこのシリーズ、待望の後半シリーズが始まりました。
第3集で取り上げられたのは、世界で3億5000万人もの患者数を数え、日本でもこの10年で100万人近くに患者が急増しているという、うつ病です。今回重要なキーワードとなるのは、脳の奥深くにある「扁桃体」です。

7年ものあいだ、うつ病に苦しんでいる東京の男性。かつて勤務していたIT企業で、大きなプロジェクトを任され続けたプレッシャーがもととなり、うつ病を発症したといいます。「鉛のよろいを着せられているような“ずっしり感”がある。とてもつらい」と男性は語ります。
医療機関で検査を受けたところ、男性の脳の一部が萎縮していることが判明
。それを引き起こしていたのは、脳の奥深くにある「扁桃体」でした。
扁桃体は、恐怖や不安、悲しみといった感情を受けて活動が強くなり、そのことが脳の一部が萎縮することに繋がっている、というのです。

その扁桃体が脳に備わるようになったのは、5億2000万年前に魚が誕生してからのことでした。
扁桃体ができたことにより、その働きでストレスホルモンが増加、それにより全身の神経が活性化されることで、魚は天敵から逃れ、生き延びることができるようになりました。しかし、その扁桃体が暴走した結果として引き起こされるようになったのが、うつ病だというのです。
アメリカでのゼブラフィッシュを使った実験では、天敵のリーフフィッシュと同じ水槽で1ヶ月間飼われ続け、強いストレスをかけられていたゼブラフィッシュは、水槽の底でじっとして動かないような「うつ病」状態になってしまいました。
扁桃体が暴走することで、ストレスホルモンにより神経細胞に栄養が行き渡らなくなってしまい、情報伝達がうまくいかなくなることが、うつ病を引き起こすメカニズムだ、といいます。

天敵から逃れるために備わるようになった扁桃体。それが働いてしまう新たな要因を背負い込んだのが、2億2000万年前に誕生した哺乳類、特に類人猿でした。
アメリカのチンパンジー保護施設には、外で他の個体と共に行動することもせず、檻の中でじっと「幽霊のように」うずくまっているばかりのメスの個体がいました。その個体は、感染症予防との名目で1年半のあいだ、群れから隔離されてしまい、それがうつ病につながった、といいます。
集団で生活することで飢えから免れるとともに、天敵からの安全も得られるようになった動物たち。そこから引き離されることによる「孤独」にも、扁桃体が反応するようになったのです。

そして、さらに扁桃体が暴走する要因を抱えることになったのが、700万年前に出現した現生人類の祖先でした。
当時の人類は、しばしば肉食動物の餌食になるような弱い存在でした。その中で扁桃体は、すぐそばに位置している記憶を司る「海馬」に強く作用することで、人類の脳には恐怖の「記憶」が刻み込まれていきました。それにより、人類は危険を回避できるようになったのです。
ところが、脳に「ブローカ野」ができたことで「言葉」を理解できるようになった人類は、他者から伝えられる恐怖に対しても、扁桃体が反応するようになっていきました。無論、そのことは危険回避にも役立ったでしょうが、結果的に扁桃体が暴走する要因がさらに増えることにもなってしまったのです。

とはいえ、太古の人類は、うつ病にならないような知恵を持っていました。それは「平等」だといいます。
今でも狩猟採集生活を営むアフリカはタンザニアの「ハッザ」という人びとに対するうつ病テストの結果は、アメリカや日本に比べて著しくうつ病になる人が少ないというものでした。ハッザの人びとは、現在でも獲物を皆で分け合うような平等な暮らしを続けており、それがうつ病を生まないのでは、といいます。
また、日本の研究による、お金を自分と他者で分ける実験では、自分が損をしたり得をしたりしたときには扁桃体が激しく反応したのに対し、平等だったときにはあまり反応しなかった、という結果が。「人と人との関係がより重要になってきた」と、実験にあたった研究者は言います。
かつては平等に集団生活を営んでいた人類。やがて文明が発達するとともに階級ごとに得られるものの量が違うという格差が生まれ、それに伴いストレスの種は増えていきました。
加えて、社会が複雑になるにつれ、職業や境遇の差により生まれるストレスなどを抱えるようになりました。かくして現代に生きるわれわれは、うつ病になる要因にたくさん取り囲まれつつ生きることになってしまいました。

そんな状況の中で、進化の歩みを辿ることで得られた知見をもとにして、うつ病を克服しようという治療法が模索されています。
ドイツでは昨年、頭に穴を開けて電極を差し込み、電気を流すことで扁桃体の活動を抑える「脳深部刺激(DBS)」によるうつ病治療が行われました。治療を受けた患者には、劇的な回復が見られたといいます。
また、かつての人類の知恵に学ぼう、という「生活改善療法(TLC)」という治療法も試みられてきています。社会的な結びつきを取り戻したり、定期的な運動をしたり(神経細胞の再生につながるとか)、規則正しい生活を過ごしたり(ストレスホルモンを正常化させるため)することで、うつ病を克服していこうとするものです。
冒頭に登場した東京の男性も、生活改善療法により徐々に回復し、今では福祉施設でアルバイトができるまでになったとか。
男性はこう語ります。
「人とのふれあいって、あいさつから大切だと思う。これで絶対、トンネルから抜けられるはずです」

後半、平等に分け与えることで成り立つ狩猟採集社会と、格差によるストレスが溢れる文明社会、との対比のしかたには、若干性急かつ図式的なものを感じるところがあったのは否めませんでした。
高度かつ複雑になっている現代社会。うつ病の要因をすべてなくそうと、一気に過去に戻ることには、やはり難しいものがあるでしょう。
とはいえ、かつて人類が持っていた知恵をあらためて辿り、見直していくことで、今よりも生きやすくなっていくことは可能なのではないか、とは感じました。
そういう知恵が、少しずつでも活かされていくような社会にしなければいけないな、そう思いました。

鹿児島・オトナの遠足 ~薩摩、火の国、灰かぶり旅~(第2回) 居酒屋ハシゴで身も心も酔いしれて

2013-10-20 18:05:33 | 旅のお噂
【おことわり】
このブログにおけるお店の記述は、閑古堂の主観的な感想であり、お店の価値を客観的に評価するものではありません。もし活用される場合は、あくまでも一つの参考としてご活用ください。 また、このブログの記述は、閑古堂が最後に訪問した2013年9月当時のものです。 内容、メニュー等が現在と異なる場合がありますので、訪問の際は必ず事前に電話等でご確認ください。


さあ、9月半ばに出かけてきた鹿児島へのオトナの遠足。その中でも個人的には最大のヤマ場と位置づけていた、夜の天文館の飲み歩きのときがやってまいりました!
鹿児島の美食と美酒を存分に味わうのが目的だったこの小旅行。天文館では、最低でも3軒の居酒屋を回るのが目標でありました。その首尾はいかなるものだったのか。第2回の今回は、そのあたりをじっくりご報告していきたいと思います!

最初に訪れるお店はすでに決めておりました。天文館のアーケード街の真ん中にある「味の四季」であります。

創業から60年を越えるという、おでんと郷土料理をメインにした老舗居酒屋であります。鹿児島に詳しい知人から、大衆酒場っぽい雰囲気だから行ってみては、と聞かされ、さればと最初に訪ねてみることにしたというわけなのです。
1階はカウンターのほかにテーブルが3つ。店内は一見渋くて落ち着いていながら、肩ひじ張らずに気楽にくつろげる雰囲気です。カウンターの中では、若い男女の店員さんがテキパキと仕事しておられました。
カウンターに腰掛けて目の前を見ると、おでんと鹿児島の郷土料理「豚骨」がなんとも旨そうに煮えておりまして、食欲はそそられ気持ちははやるのでありますよ。
おでんの種類が豊富で選ぶのに迷いましたが、はやる気持ちをなだめながらなんとか5つ選び、まずは生ビールとともに頂きました。

鹿児島のおでんは味噌仕立てが主流とのことですが、こちらのおでんは醤油仕立てのあっさりしたダシであります。口にしてみると、優しい味わいながらもしっかりと煮込まれていて、実に美味しかったですねえ。ロールキャベツの中身は、ひき肉ではなく刻んだ野菜類。これもまたヘルシーでよかったですね。
ちょっと変わりダネも一つ、と注文してみたトマトのおでんは別皿で出てまいりました。煮込まれることで旨味が増して、一味違うトマトの美味しさを味わうことができました。

そして、鹿児島郷土料理の「豚骨」。鹿児島特産の黒豚骨付き肉を、味噌などでじっくり煮込んだ料理であります。黒豚の濃厚な味わいが口いっぱいに広がって、焼酎のお供にピッタリなのでありますよ。
その焼酎も豊富な種類が揃っていて、これまた選ぶのに迷いました。最初に飲んだ「小鶴くろ」はオーソドックスな黒麹焼酎で、豊かな風味が口に広がりました。そして2杯目の「三岳」は、キリッとした味わいが好ましい感じがいたしましたね。鹿児島の焼酎は種類が豊富な上、味にもそれぞれ個性があるので、飲み比べてみるのがとても楽しいですね。
「寒くないですか?」
カウンターの中の若い女性の店員さんが、わたくしにそう訊いてこられました。エアコンの真下に座っていたので、気を遣ってくださったのでありましょう。暑がりのわたくしとしては丁度いいくらいだったのでありますが、その心配りがありがたかったですねえ。
お客さんはお店に入ったときにはまだ2人くらいだったのですが、気がつけば店内はたくさんの人で賑やかになっておりました。隣に座っていた2人組のおじさんは、後醍醐天皇がどうの秀吉がこうのと、歴史談義に花を咲かせておりました。このあたりも、さすが歴史ロマンの地・鹿児島という感じでいい感じでしたねえ。
いやー、のっけから大当たりのいいお店でありました。もっとゆっくりしたいくらいでしたが、あと2軒訪ねることを考え、名残惜しかったのですがお店を後にしました。そして、次のお店を探すべく天文館に踏み出したのでありました。

夜に入ってからも、桜島から流れてきた火山灰が天文館にパラパラと降っておりました。この日の噴火、思いのほか盛大だったようでありますね。いや、でも、これもまた鹿児島らしさのうち、なのでありますよ。
そんな火山灰もなんのその、土曜の夜の天文館は大にぎわいでありました。雑踏の間を縫いながら、電車通りを渡って城山の方角へ歩いていくと、さまざまな味の店が立ち並ぶ小路があります。

見て歩いていると気になるお店がいろいろあって、どこにしようかとしばらく迷いましたが、その中でもひときわ気になるお店がありました。

「はる日」という名のこのお店。「お食事」「焼酎」の文字が看板にありましたが、ぱっと見にはどんなお店かわからない感じもいたします。たぶん、シラフであれば入れないかもしれないのですが、おそらくは長きにわたって続いてきているのであろう雰囲気も感じられ、なんだか惹かれるものがありました。しばし逡巡したあげく、酔いにも後押しされながらエイヤッとドアを開け、中に入りました。
「あら、いらっしゃ~い」
カウンターの中に一人いたおかみさんが声をかけてこられました。そのおかみさんをグルリと囲む八角形のカウンターはずいぶん使い込まれていて、やはり年季を感じさせるものがありました。むむ、もしかしたらこれはいい感じかもしれないぞ。

とはいえ、どうやらわたくしがこの日最初の客のようでありまして•••若干緊張しつつお品書きに目をやりました。小さな黒板に書かれているお品書きは、サバの塩焼きやウインナー炒めなど、どれもいたって普通の家庭料理。わたくしは好物であるサバの塩焼きを注文し、焼酎お湯割りを飲み始めました。
「でも、またよくここに入れたねえ」
おかみさんがそう訊いてこられました。
「ほら、ウチは中の様子も外からはよくわかんないし、なかなか入りづらいという人も多いもんだから」
いやー、なんだか昔から続いているお店という感じがしたもんですから。長く続いてるお店って、それだけ地元の人にも親しまれていて間違いがないだろう、と思ったんです。けっこう好きなんすよ、こういう感じの飲み屋さんが。•••とわたくし。
それを聞いたおかみさんは、
「ふーん•••ちょっと変わってるところがあるかもしれないねえ」
と微笑みながらおっしゃいました。•••うん、図星であります。開店してからもう30年以上経っているそうで、お客さんの多くはやはり地元の常連さんとか。
店内には、酒場詩人・吉田類さんのテレビ番組『酒場放浪記』のDVD発売の告知ポスターが貼られておりました。これはひょっとしたら、と思い、おかみさんに訊いてみました。あのう•••もしかして吉田類さん、こちらに来られました?
すると、おかみさんはこうお答えになりました。
「うん、それこそテレビで紹介されたのよ。それからは鹿児島に来るたびに寄ってくれてて、そう•••もう5回は来てもらってるかなあ。今年はまだ来てないけど」
な、なんと!あの吉田類さんが来られていたお店だったとは!しかも5回も!これはスゴいことではないですか!
とはいえ、そうお答えになるおかみさんは、いたって淡々としていて気負いもございません。そういうところもなんだか粋な感じでありまして、類さんが好まれるというのもわかる気がいたしました。
「テレビで放送されてからは、県外から来てくれるお客さんも増えてきたねえ•••ありがたいよね、それは」
サバの塩焼きを突つきながら傾ける焼酎は「白金の露」。わたくしは初めて知った銘柄ですが、クセがなくて実に飲みやすく、スルスルと喉を通っていきます。よく見ると、店内に置かれている銘柄はこれ一種のみであります。
これしか置かないというのは、やはり何かこだわりがあるんですか?そう訊ねると、おかみさんはこうお答えになりましたね。
「ううん。前は別のやつを置いてたんだけど、メーカーの人が来て『これ置いてくれないか』って言われたから、それ以来ずーっとそれを」
うはは。なんだか拍子抜けするような理由なのでありましたが、おかみさんからそう聞かされると、なんだか実に自然な感じがするのでありますよ。
そう、おかみさんが醸し出す雰囲気は粋でありながらも、どことなくおっとり飄々としていて、それがとても心地よいのです。最初はちと緊張気味だったわたくしも、いつの間にかすっかり、このお店のトリコになっていたのであります。「白金の露」のお湯割りも5杯•••いや6杯だったかな•••と重ねておりました。
あと1軒だけ立ち寄っておこう、ということで2時間足らずでカウンターを立ちましたが、もっと長居しても良かったなあ、と思えるくらい、しみじみといいお店でありました。ここはまた、ぜひとも寄りたいですねえ。

3軒目は、数年前にふと立ち寄って以来すっかりお気に入りになり、鹿児島に行くたびに寄っているお店「龍泉」であります。

雑居ビルの奥まったところにある、5人がけのカウンターに小グループ向けの小上がりだけの小さなお店ながら、薩摩料理や家庭料理が豊富に揃い、しかもそのどれもが美味しいのであります。•••いや、まだ全てのメニューを頂いたワケでもないのでありますが、これまで食べた料理はどれもハズレがありません。こちらも創業から40年以上の、地元の人びとから愛されている老舗で、二代目となるはつらつママさんが頑張って切り盛りしておられます。
ここに来ると必ず注文するのが、「龍泉揚げ」と称する薩摩揚げであります。屋久島産のトビウオのすり身を使ったそれは、魚ならではの旨味に溢れていて絶品なのであります。このお店に入ってこれを頂くと、今年もここに帰ってきたという安心感がいたしますねえ。

「龍泉揚げ」とともに頂いた焼酎は、このお店イチ押しの銘柄「小鹿」。すっきりキリッとした飲み口が、魚の旨味を引き立たせるのでありますよ。
いやー、それにしてもきょうは桜島の噴火、すごいですねえ。ここのところ噴火活動が盛んだから大変でしょ?そうわたくしが訊ねると、ママさんは、
「そうそう。特に洗濯物が干せなかったり、車が汚れたりするのが大変やねえ」
と答えつつも、こう続けました。
「でもね、私たち地元の人はそこまで構えてもなくて、けっこう適当にやり過ごしてるのよ。それなのに、よそのマスコミだとかがやたら大袈裟に騒いだりするもんだから、それで観光客が宿泊をキャンセルしたりして•••。あまり変な騒ぎかたをしないでもらいたいよねえ」
そうなんですよね。ろくに現地のことを知らず、足を運んでもいないような外部のメディアや煽り屋、囃し屋さんたちが、センセーショナルな風評を無責任に垂れ流すことで、現地に迷惑を及ぼすというこの構図。至るところで見られますよね。今であれば福島県をはじめとする東北に対して、しばらく前には口蹄疫の影響を受けたわが宮崎に対して•••。
自分たちが発信することにより及ぼされる影響をよくわきまえて、現地の実情に即した正確な発信を心がけてもらいたいもんだなあ、と強く思うのでありますよ。
「龍泉」でもゆっくりしたかったのですが、25度の薩摩焼酎飲み続けはだいぶカラダに効いてまいりました。なにしろ、わが宮崎で飲み慣れているのは20度焼酎でありますから•••。そんなわけで、ほんのちょっとの時間だけで「龍泉」を後にしてホテルへと戻ったのでありました。
やはり軒数ばかり重ねようとするのはいけないなあ、と思いましたね。やはりわたくしは、一つのお店でじっくりと、腰を落ち着けて飲み食いするのが性に合っているようであります。ましてや、今回訪れたお店はいずれも、じっくり腰を落ち着けるのにふさわしいいいお店でしたからね。
次に鹿児島に来たら、もっとゆっくりゆったり飲むとしよう•••そう反省しつつ、鹿児島旅の初日を終えたのでありました。

さて、鹿児島旅の2日目は、歴史ロマンを辿るべく城山を散策してまいりました。そのお噂はまた次回に!