読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【食欲の秋に読むおいしい一冊】『小泉武夫のミラクル食文化論』 縦横無尽に語られる食文化の奥深さ

2013-10-14 21:52:00 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂

『小泉武夫のミラクル食文化論』
小泉武夫著、亜紀書房、2013年


農学博士にして食文化論者である小泉武夫さんは、わたくしが尊敬してやまない方であります。
日本全国、世界各地を飛び回っては、なかなか口にできないようなスゴい食べ物(あるいは、一見とても食べ物には思えないようなモノ)を食べてくる行動力と鉄の胃袋に驚嘆し、ユーモラスで愛嬌のあるキャラクターに笑いを誘われ、幅広くも奥深い学識に、食にまつわるさまざまなことを教えてもらっております。
この『小泉武夫のミラクル食文化論』は、長らく教鞭をとってきた東京農業大学で最後に行った講義を、講義の口調を活かしながら再構成して書籍化したものです。
ヒトは何をどのように食べてきたのかという概説から始まって、食を支えた道具と知恵、食の分配から誕生していった原始国家、酒の誕生と歴史、干物や燻製、発酵といった食品保存の技術、毒とそれを解毒する知恵について、など、自らの見聞をたっぷり交えながら語られている内容は多岐にわたります。加えて、講義口調ゆえとてもわかりやすい語り口となっていて、小泉流食文化論を知るための格好の入門書ともなっています。

これまで、さまざまな奇食珍食を胃の腑に収めてきた小泉さん。第1章からさっそく、カンボジアで食した「焼きクモ」の話が写真つきで語られます。焼いたクモは「口のなかでシャリシャリという感じ」がして、沢蟹の唐揚げのような味わいで美味しかったとか。
約450万年前に誕生した原生人類が、最初に食料にしたのが虫でした。体の約40パーセントがタンパク質なのでエネルギー効率がよく、ビタミンも多く含んでいるという虫は、食料としても優れたものなんですね。それゆえ今でも、一部の地域では虫食が「捨てがたい食文化」として大事に受け継がれているわけなのです。

日本における縄文時代の食をめぐる話にも、驚かされるようなことが多々ありました。この時代には大豆の栽培のほか、稲作も始められていたというのです。さらに、きちんとした甑(こしき)、すなわち蒸し器が使われていたりするなど、蒸す、焼く、煮るといった調理法が定着していたという話にも目を見張りました。
さらには、濁った酒を濾過して、注ぎ口からはきれいな酒が出てくるような「現代でも通用しますし、逆に現代人の発想では作れなくなった」ような見事な酒器まであったというのです。あらためて、縄文時代というのが実は想像していた以上に豊かで進んでいた時代だったんだなあ、ということを感じました。また縄文時代に対する関心が呼び起こされたような。

そして、小泉さんの本領発揮といえる、さまざまな「発酵」についての話には、発酵によりもたらされる不思議なはたらきや、それをうまく利用する人間の知恵に唸らされます。
「近江の鮒寿司」に代表される、微生物の熟成を利用して作られる「熟鮓(なれずし)」。魚や豚肉といった動物を使ったものが主流ですが、青森県では山ブドウとご飯を合わせてアケビの皮に詰め込んで作られる、原料がすべて植物という熟鮓があるとか。これにはさまざまなビタミンが豊富に含まれていて、雪に閉ざされる冬の間のビタミン補給源となっていたとか。
同じように、イヌイットのビタミン補給源となっているのが、ウミツバメの一種をアザラシの皮の中に詰め込み、土に埋めて3年熟成させて作る「キビヤック」。植村直己さんの大好物だったというこの発酵食品、ものすごく臭いそうですが「この世のものとは思えないくらいうまい」とか。これは一度だけでいいから口にしてみたい、ような気がする食べ物なのでありますが•••実際目の前にすると躊躇してしまうんだろうなあ。
臭いといえば、伊豆諸島の名産として名高い魚の干物「くさや」。その漬け汁には天然の抗生物質がいっぱいで、それで病気やケガも治していたんだとか。やはり「臭い」ということは「偉い」ことでもあるんだなあ、と再認識いたしました。
極めつけは、石川県で作られる「フグの卵巣の糠漬け」。糠味噌の中に3年漬け込むことで、乳酸菌をはじめとする発酵菌のはたらきにより、フグ毒のテトロドトキシンを解毒して食用にしてしまうというもの。それを生み出した知恵と食への執念の凄まじさには、ある種の感動すら覚えます。

•••とまあ、本書にこれでもかとてんこ盛りにされた、食をめぐる驚きの見聞や蘊蓄を紹介していったらキリがなくなるくらいであります。
食をめぐる話題があっちへ飛んだりこっちへ戻ったりと、小泉さんの語り口は文字通り「ミラクル」で、「味覚人飛行物体」の名にふさわしい縦横無尽さ。実に楽しく読み進めることができます。
とはいえ、楽しい語り口の裏には、食をめぐる日本の現状に対する強い危機感があります。
世界的に食べ物が不足傾向にある中、「先進国」の中で一番低い食料自給率。どんどん上がるだろうといわれる食べ物の値段。食品偽装などで脅かされる食の安全。そして食と健康の関連についての意識の低下•••。「まえがき」では、それらへの懸念がシリアスに語られています。
さらには、本書の中で紹介されている伝統的な食べ物や、それを生み出した知恵にも、消えていく危機に瀕しているものがあります。青森県のアケビの熟鮓もその一つです。
日本各地、そして世界各国に残る素晴らしい食の知恵を、次の世代へと受け継いでいって欲しい•••。熱っぽい語り口には、そんな小泉さんの思いや願いが込められてもいるのです。

実際、食のことをいろいろと知ることで、より楽しく、かつ豊かに食べることを楽しむことができるのではないか、とわたくしは思います。そのための入り口になる一冊として、多くの人に読んで頂きたい本であります。
本書をきっかけにしながら、小泉さんの他の著書をはじめとする食文化関連の本を読んでいくこともオススメしたいですね。そうすることで、食の世界はもっと深く面白くなるはずですから。


【関連オススメ本】
小泉さんの著書はとにかくいっぱいありますが、手に取りやすくて面白く読める以下の2冊をひとまずオススメいたします。

『奇食珍食』
小泉武夫著、中央公論新社(中公文庫)、1994年(元本は1987年、中央公論社から刊行)
昆虫はもちろん、爬虫類や両生類、さらには奇酒珍酒の数々まで。世界の異な食べ物を語り尽くした、小泉流アクティブ食文化論の真髄といえる名著です。



『不味い!』
小泉武夫著、新潮社(新潮文庫)、2006年(元本は2003年、新潮社から刊行)
観光地のお膳、病院の食事、不味い学校給食、不味いビールなどなど。不味いものの正体を突き詰めることで、美味しさの本質に迫るという、逆説的美味いもの論であります。抱腹絶倒の語り口で大いに楽しめます。