野口悠紀雄氏には「超勉強法」「超整理法」「クラウド超仕事法」などと超と言うタイトルの著書が多い。
インターネット、英語、数学、モデル(方程式)などのキーワードが目を引く。私なりに解釈すれば溢れる情報をいかにまとめて整理し、具体的な活用と発信能力が現代人に求められているといことになる。
これはまさしく神学のテーマでもある。歴史を聖書と言う物指しに依って解釈し、その定理を自分の生活に適用してゆくのが霊の学問だから。
野口氏はモデルは単純であるべきだと説かれる。確かに神学とは創造主と自分、そして他者との関係に集約される点で単純明快である。
すなわち私たちは創造主の自己贈与の愛の申し出の中に生かされていて、第一ステップの受肉と贖罪としての神の愛を受けいるるとき、同時に聖霊なる、いわば神の分身を、われわれの至聖所である霊に与えられ、創造主をもつという驚天動地の恵みにあずかる。
そして、創造主自らが私たちの内で祈り(永遠の三位一体の交わり)、歌い、語り、活動されるという生活体験をする。
主イエスが「すべて重荷を負っている者は、私のもとに来て、私に学び、私に倣えば荷が軽くなる。」と語られた通りに、聖霊にゆだねた生き方は4次元の力で生き、問題を自分の力を越えた創造主の能力で処理するのである。
文字通りの超仕事法でもある。
「主を恐れることは知識初めである」(箴言1の7)とあるように真の知識は創造主に起源がある。
被造物を認識することは、ある程度可能であったとしても、創造主ご自身を知り、この方と交わり理解するには同程度のいのちと能力が必要である。例えばペットである犬や猫は人間と同じ哺乳類であり
ある程度、分かりあえるところがある。しかし彼らの理解はその限界の範囲でしか我々を理解しえないのであって、遺伝子が違うということは、そこに越えられない絶対的ともいえる壁があるということである。
創造霊なる神と被造物である人間の間にはそれ以上の断絶が横たわっている。しかしこの壁を創造主の側から打ち破り、私たちのもとに来られたのが御子なる神であり、私たちの内に永遠に住まわれて神の永遠のいのちを供給されるのが聖霊なる神である。
「光に依って光を知る」とあるように、神のいのちを生きることに依って神を知るのである。
野口氏はパラシュート式数学学習法を推奨する。結論からプロセスを振り返る、頂上からふもとを眺めるという方法である。
神学的にいうと神の高みから世界と自分と人生を理解するということだ。内に住まわれる永遠の宝であられる聖霊なる神と共にいと高いところにおられる父なる神と復活の主と語らい、そこから全被造物を理解し対応することである。
あたかもモーツアルトがしたように天上の愛と喜びと平安から始めるのである。
哲学者の三木清は「幸福を武器とする者は敗れてもなお幸福である」と語った。
永遠のいのちは絶対的幸福であり勝利である。
この世を貫く永遠の方程式、それは創造主なる神は人間を愛し、人間の中に御自身を住まわせ
御自身と同じ至高のレベルのいのちで生きてほしいと願われていることである。
これは天使も預かり得ない驚くべき恵みである。