創造

創造主とセルフイメージの世界

父と子と聖霊の同時協働

2013-07-25 09:54:23 | ゴスペル

単音的文化は単神的信仰世界から生まれると思います。創造神(エロヒ-ム)は唯一ですが単独神でなく、複数形で表現されます。我々というファミリ-系です。

ソプラノやアルトというメロディは分析的には別の旋律ですが常に同時的にかなでられます。かつては光は波動説と粒子説で論争されたましたが相補正という概念で決着したそうです。電磁波という電磁相互作用であることが実証されました。

私たちの信仰もあれかこれかという単一思考によるのでなく同時協働的に働かれる神のみ業を知る必要があります。共観福音書とヨハネ福音書は同じではありませんが相互補正的に真実を語ります。聖霊を宿す唯一のお方、受肉された神である御子ですが、受肉された以上まことの人であります。創造主にして被造物であることがこの世界にただ一度起こりました。

それは被造物を創造主のもとに引き上げて下さるためでした。人になられた御子が、聖霊を心に迎え、神の力を示されただけでなく、その聖霊を私たちに住まわせるために十字架で血による贖罪を成し遂げられました。

このようにして神は人類に御自身の永遠のいのちを分与されるのです。

罪の赦しと除去は霊的次元から見るとサタンの支配から聖霊のご支配への解放であり、同時的になされます。

「血と聖霊と水は一つである」とヨハネが語るように、永遠の神の血の贖罪の力は信仰を呼び起こす神の御霊と共に働きます。「真の信仰とは人間の信仰でなく神の信仰であり奇跡である」とカ-ルバルトが述べたように、超越者とそのみ業への依存自体が信仰の霊である聖霊の働きであります。

創造主は歴史のただ中に自らを投じられてその偉大な犠牲と痛みによって、私たちを罪と死と滅びから解放されました。経綸的帰納的三位一体の働きとも表現されます。そして私たちに永遠のいのちを与え天の高いところ(至聖所)に引き上げて永遠の父と子と聖霊の交わりに加えてくださいました。本質的演繹的三位一体論です。

初代教会の中から多くの霊的運動がおこり、同時にカルト的問題も生じたようです。自らが霊能者となり、時には不思議なしるしを現わしました。聖霊が御子の血の贖いの範囲で働かれる事を忘れ、異なる霊に惑わされていったのです。西方教会は「フェリオケ」(父と子からの聖霊の注ぎ)を加えることに依って逸脱から守ろうとしたのだと思います。それは聖霊を注がれた人としての御子の人性を危うくするという東方教会の反発を買い、東西大分裂が生じました。

西と東のはざまに位置する東洋の一国において、二つの潮流に遭遇させられています。

まことの人となられた、まことの神である主を思います。主の流された永遠の血は今も私たちの日々犯す罪を洗いきよめておられます。同時に私たちの内側に住まわれて共に祈り共に働いておられる聖霊なる神を思います。二つの働きは神御自身のなかの協働的同時的新創造の業です。

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