創造

創造主とセルフイメージの世界

カオス(混沌)からの創造

2012-03-29 22:08:16 | 創世

創世記1章1,2節によれば、創造主なる神は、混沌と無から、神の霊Spiritによって創造を開始されたとあります。

この世界の混沌、それは被災や失敗、挫折であり、その中で人生プランを見失った私たち自身でもあるといえます。

しかし、そこから新たな創造の働きを始めると創造主は語られます。

闇に光が、問題に解決がもたらされます。死があるところに復活が待っています。

その具体的なプロセスを担われるのは、聖霊なる神であります。創造霊(Spirit)は、ヴィジョン(想像)を与え、言葉に表現することによって創造力を発揮されます。

主イエスがまことの人の姿を現わされたのは、ヨルダン川でバプテスマを受け、聖霊を心に迎えた後でした。旧約聖書における油注ぎという現象ですが、主の場合、完全な清さをお持ちでしたから、聖霊は主の霊(至聖所)に内住されました。

その創造霊が主イエスの中で、主の口を通して主と共に祈られそして語られました。

創造時に「光あれ」という言葉によって光を創造し、そのエネルギーから万物を造られたように、主から発せられた言葉は、嵐を静め、悪霊を追い出し、病をいやし、死者を呼びおこしました。

聖霊なる神は、混沌の中にいる私たちの内に住まわれることを願われ、私たちの中で私たちと共に創造の働きをされたいのです。

カール・バルトはカオスを虚無ないし虚偽ととらえ、破壊の霊(サタン)に縛られた世界と語ります。

それは人類の創造の後に、アダムとイヴを誘惑して、再び被造物の中に侵入しました。

けれどもそのような世界に主は人として介入され、まことの人のあり方を回復され、十字架の贖いを通して、私たちへの聖霊の内住の道を開かれたのです。

創造霊は死の力をもつ悪霊を超越する復活の力によって人生を導かれます。

創造霊は永遠ですから、わたしたちも永遠のいのち(ゾーエー)に生きさせるのです。

そのいのちを生活のあらゆる分野に適用する時、勝利と奇跡の日々を体験することができます。

被造物としての自分の能力に頼らず、創造霊であるお方に頼ることによって、自己を越えたレベルの生活が可能になるからです。

旧約聖書の人物や歴史上の優れた人々の人生を学ぶ時、この油注ぎを体験していることが分かります。

こころに創造主を迎え、このお方に生きていただき、働いていただきましょう。

新創造と復活の日々がそこから始まります。

 

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