【ヨハネ福音書1章1-18機節】
徳島県松茂町のクリニック釈羅(フランシスコ D ぺニア記念病院)庭のブルー・エンジェルス機です。2022・4・17みんなで写真をとりました。青は藍色、青石、そして日本のサッカーチームのジャパンブルーですが、また大祭司が身につける聖なる装束色であり、聖霊のシンボルです。外国人観光客が日本の青いイルミネ―ションが素晴らしいと言っていました。大谷選手や山本投手が来季プレイするドジャースの名の由来はドッチボールにも充てられたドッジ、すなわち身を「よける」にあり、、ニューヨークブルックリンで歩行者が路面馬車などをを「ひらりとよける」ところからメジャーリーグの名がつけられ、東海岸から西海岸のロスアンジェルス(ザ・エンジェルス)に移ったのだそうです。
私が夜間の神学校時代、昼間、NHKホール建築の測量の助手のアルバイトをして、クリスマスの日に寂しい思いでぼんやりしていたところ 上空にアクロバット飛行隊が現れてMerry Christmas と見事な文字を描いたのをみて感動しました。 航空自衛隊はブルー・インパルス(青の衝撃)ですが米国海軍はブルー・エンジェルスですが松茂の教会墓地がある航空霊園近くにその本物の機体があるのに驚きました。
ところでクリスマスカラーの赤は主の血、白はその血によって清くされること、黄金は神の臨在、そしてグリーンは永遠のいのちを意味します。創世記にエデンの園の至聖所の「いのちの木」について記されています。
人類の父祖は、その木に目を向けることもせず、「善悪を知る木」(創世記3・5)に魅せられました。その実を食べれば自分が神のような主人公になり、神は必要でなくなれるという誘惑されたのです。「食べる」とは「受け入れて一体化する」ということを意味し、霊的なことを例えで表現しています。原罪とは創造主を無視し、被造物である自分やこの世のみに頼ることです。その結果人類と全被造物は霊的な闇の支配下に陥りました。
神の御子である主が、受肉して人になられた時、その人間の高ぶりが明るみにされました。
しかし御子を受け入れて信じて頼る時、人は神から生まれ、神の子にされる奇跡が起こると⒓節にあります。「受け入れる」とは「迎え入れる」「食べる」「いただく」と同意語で、「信じて頼る」ことです。
いのちの木のシンボルでもあるクリスマス・ツリーには博士が導かれたベツレヘムへの星が飾られます。赤や金色グリーンのオーナメントボールは満ち満ちた聖霊の実と賜物を指しています。
やがて十字架で流される主の血には、全ての罪が洗い清める力があります。主を信じてお頼りするとき、真っ黒な心が真っ白にされ、そこに聖霊なる神が宿られて、神の永遠の命の中に迎え入れられます。
パウロは「神が貧しくなられたのは、私たちを富ませるためです」と語り、アタナシオスは「神の御子が人になられたのは、人を神の子にするためであった」と語りました。
神がこの世に下られ、私たちの罪を負われ、その血によって罪の赦しをなしとげ、信仰を通して聖霊を注がれて、死んだ霊をよみがえらせ、永遠の解放をもたらされました。私たちは人間の子として生まれるだけでなく創造主の子として誕生するのです。
クリスマスの最大のプレゼントとは、神ご自身です。創造主の中にすべてが満ち溢れています。神は長い間、準備をしてプレゼントを用意されました。帰ってきた放蕩息子に父親が、喜びのあまり最善最高のものを惜しげなく与えたように、神は私たちに一番大切なものを用意されました。ごちそうを料理した者にとって、それを食べていただくことが大きな喜びなのです。
造られたこの世界にはない宝もの、永遠の神とそのいのちを幼子のような心で受けましょう。神が私たちの中に住まわれて、重荷を負って下さり、絶えず罪を清めてくださり、その全能の力を現わしてくださいます。私たちの創造主は、私たちにご自身のいのちを与えて永遠の恵みのなかを生きてほしいと願っておられます。