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2010.02.28 阪神大震災の日、香港に居た私(その8)

(その8)
この一連の話では、前章(その7)が、中核だと思います。
(それ以前の章は、このことを述べる為の長い序章でした。)

私は、今迄、この出来事を、殆ど、人には語ったことはありませんでした。親友達にさえも。
一度だけ、震災直後に長兄に話したことは覚えています。それを聞いた長兄は、深く目を閉じていました。

私は、何故、今迄、このことを人に語ることが出来なかったのか?
理由は、それを語れば、まさしく自分が生き延びたことを何か意味あることの様にとらえ、それどころか、
自分の善行(?)へのご褒美だと言う風な、思い上がった尊大な話になってしまうことを恐れたからです。

だったら、あの時亡くなった、多くの方々は、どうなるのか?
私などとは、比べ物にならない素晴らしい人々が、大勢亡くなっています。前途のある若い人々も。

長らく、固く口を閉ざしていた私でしたが、今年になって、このブログで、迎春用品の話からスワロスキー
の小物の話になり、それを買って来たいきさつに話が及び、やがて香港の話にどんどん繋がって流れが出来
て行くに至り、もはや、私には止め様のない流れになったことを感じて、とうとう、この話を書く時が来た
のだと思いました。

できたら、避けて通りたい、書きたくない話題でした。
ついに、その話をするのか、という気持ちでした。
この不思議な出来事を信じてもらえるか、又、それを私の筆力で著し得るものか、その不安もありました。
 
特に、前章(その7)を載せるについては、文章は出来上がっても、UPする勇気がなくて悩んでいました。

すると、クリスチャンの友人が、こう言って励ましてくれました。
「<何事にも時がある>と言う言葉が、聖書にあるのよ。コヘレトの言葉3章に、書いてある。今、貴女は、
書く時なのよ。震災から、もう15年経ったのだから、もう書いたって良いのよ。今がその時なのよ。」と。

確かに、震災から15年経った今、話しても良い時かも知れません。
自分は、その時、こんな経験をしたと言う、ありのままのことを、一人の被災者として語る訳ですから…。

そして又、ここで、今、書いておかなければ、もう忘れてしまいます。
今が限度です。今でさえ、記憶は薄れかけていますから。

小心者の私は、今回お話しするに至った経緯と心境を、「ひとこと」説明しないと気が済まないことから、
この様な、言い訳の一章を書かせて頂いた次第です。

この後、まだ、不思議な話が続きます。
後半、うまく纏まりますことやら、おぼつかないですが、お読み頂ければ、大変有難く存じます。

                               (その9へ続く)
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