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2010.02.14 阪神大震災の日、香港に居た私(その1)

(その1)
私は、あの阪神大震災の日に、日本にはおらず、香港に居たのです。

それは、不思議な不思議なお話です。

もともとのきっかけは、阪神大震災の4年前、私の兄夫婦が、香港に旅行することになり、
「何処へ行ったら良いか、確か詳しい人が居るって言ってたけど、その人に教えて貰って
呉れない?」と頼まれたことから始まりました。

私の親友Tさんは、彼女の職場の仲間達と、ハワイや、東南アジアなどへの旅行三昧で、
いつも、Tさんからそんな話を聞いていて、私は、兄達にも、その話を伝えていたのです。
Tさんの仲間の一人に大変な旅行通の女性が居て、その人を中心に旅行していました。
香港には、もう10回も行ったとのことでした。(バーゲンと、食べ歩きです。)
Tさんに、「その彼女に香港の素敵なお店を教えて貰って欲しい」と頼みました。

そして、その旅行通の女性、Hanaさんが手描きで作ってくれた小冊子の「香港案内」が、
何とも素晴らしいものだったのです。彼女は、希代の(?)食通でもあるのです。
私は驚嘆して、この小冊子そのものは兄に渡すことはせず、コピーをとって、コピーの方を
兄に渡し、原本は私が大切に保管しました。
同時に、自分が香港へ行くときは、絶対にこのHanaさんと一緒に行きたいと思いました。

私はTさんへ頼みました。
「次に、香港に行く時は、絶対に私も連れて行ってね。」と…。
すると、彼女は「もう,行かへんわ。香港には10回も行ったんよ。それ以上行かへんわ。」

「でも、もし、又行くことがあったら、連れて行ってね。Hanaさんに頼んでおいてね。」
「もう行くことないって。10回も行ったんよ。それ以上行くわけ無いやん。」

私は、ここでひるんだらいけないと思いました。
「うん。分かった。でも、もし行くことがあったら…よ。その時はお願いね。」
「もう、行かへんって!、10回以上も,何しに行くの?」

「うん、分かった。分かったけど、でも、もしもよ。もしも行くことがあったらお願いね。」
そんな、押し問答がまだ続きました。

私は、彼女にひつこく擦り込みをしようとしたのでした。汗;;
(このぐらい言っておけば、大丈夫だろうと思えるところ迄。)
私には、絶対に覚えて置いて欲しいと言う、強固な思いがありました。

                         (その2に続きます。)
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