家で云えば一家の主婦のようなYさんを
研修に送り出しました。
自分の仕事が予想外の部分でも増えたのは
「そういうこともあるでしょうね」とスッと受けとめられました。
淡々とやっていくだけのこと。(いつもの倍の時間かかっちゃったけどね )
でも、さっそく
「は? なんで」というような現象を目にしました。
たぶん、Y子さんがいないからと、気を利かせた誰かがそうしてくれちゃったのかな、と推測。
でも、これ、タイヘンなことになるのよー。
誰が、ということじゃなく、
きちんと表示しておく必要があると分かって、それぞれの場所にメモを付けました。
これで、パッとすぐ分かるかナ。
あるグループは、お互いにポンポン言い合って、指摘などし合っているそうです。
でも、
「僕たちは、そんな風に人に言ったあと、自分自身を見つめ、
『そこに愛があったか』と振り返るんです」
と言っているそうで、「これだっ」と思いましたねぇ。
親愛の情というのでしょうか、
家族のような愛 ・ あったかい仲間同士としての愛。
それが無いうちはモノ言ったり、色んな形でうち出したりしちゃいけない、っていうんじゃなくって、
指標 として。
ブレたりしても、その都度そこに戻ってくる。
自分自身を見つめて、
「あ、またやっちゃったね…。じゃ、次のときは――」とか、
「良い感じでやれたよね。こんな風にやってったら良いのかナ」
と振り返り、そのことを人とも(色んな形で)話し合ったりしながら
歩いていけたらいいのかな。
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