michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

たったひとつの狭い観方に偏っちゃうと、

2012-08-12 06:39:42 | 社会・共生

新聞に、

『いじめられている君へ』また『いじめている君へ』

という呼びかけメッセージが、毎日連載されています。

色々な方面の、著名人からのもの。

「私も子どもの頃、いじめられていたんだよ。でも、こうやって乗り越えてこれた。

だから君も、」というような語りかけが多いように思う。

それらの中には「なるほど」と思えるような部分もあるけれど、

別のコーナーで、ある人は

「あれは、成功した人の話ばかりで、そんな簡単・単純なもんじゃない。」

というような意見を述べておられ、

私も、そんな感想ももっていました。

 

いじめの問題は、本当に深刻で複雑。

軽く励ましたりできないようにも思えてきます。

ただ私は、いじめに耐えている人に、

  あなたは、真剣に考え、精一杯やっているよね

  いつも横に座って見守っているよ

  手を握って、応援したいのよ

というような気持ちは伝えたい。

 

 

先日、ある人の呼びかけメッセージの中に、

『学校という一つの小社会にだけ属するのではなく、スポーツサークルや塾など、

複数の小社会に属していれば、

頭がその(いじめの)ことだけでいっぱいになり、思いつめてしまうことが少なくなりますよ。』

というような部分がありました。(表現は、正確には覚えてなくてスミマセン。)

これは、確かに。

そして、いじめの問題とは別に、

誰にも言えることだと思った。

 

毎日一つの小社会の中だけで暮らしているのでは、狭い観方に偏ったり、

その小社会の中だけに通用する常識や価値観、漂っている空気など、

そういうのが全てのように思ってしまいがち。

  

  私は、そのこと痛切に感じてきて、繰り返さぬよう心がけてはいるつもり。

   まだまだ全くちっぽけな人間ですが。。

 

 

 

 

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