michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

「ふつう」に出来なくなったとき、観方をガラリと…   〔障がいを乗り越える〕

2012-03-25 06:41:01 | Weblog

3/21にご紹介した、『彫刻家 船越保武』。

晩年は、利き腕がマヒしながら、ガラリと方法を変えて

素晴らしい彫刻作品を残された。

 

私は、その作品自体もさることながら、

彼の心の変化、心の世界で どう乗り越えられたのかに関心があるんです。

           

すぐに思い出したのは、舘野泉さん。

『左手のピアニスト』として何度もテレビなどに登場されましたよね。

ピアノというのは、一応両手で奏でることを前提として作られている。

『左手のためのピアノ曲』というのもあるけれど、それは練習のために作られたもの。

「(当時は)こんな曲、弾くものか、って思ってましたよ」と彼は苦笑しておられました。

 ( 詳しくは、ここにも載っています。 )  ↓

http://www.jump.co.jp/bs-i/chojin/archive/038.html

 

ところがある時、彼の息子(バイオリニスト)が、ある楽譜、

戦争で右手をなくした友人のために書かれた曲を

さりげなく ピアノの上に置いて帰る。

そこから大きく動いていった――。

舘野さんの場合は、それまでに培ってきた

素晴らしい芸術性やピアノ技術などがあったから出来たようですが、

それプラス、「なんとか乗り越えたい」という強い意志、切望するものがあったようです。

 

           

さて、ガラリと変わって、難聴 というものを見つめてみると・・・、

聴こえづらいという事柄だけでなく、

そこからくる様々な思いや、

ときどき、周りの人との(スムーズにはいかない)関わりあい。。

 何十年経っても、まだまだ手探り中で、そうこうするうちにも聴力は確実に落ちてゆき…、

   時に ため息、

   時に ちょっとした手応え、

私の場合は、そんなこんなの毎日なんですが――。

 

でも、いろんな形で、いろんな方のお話を聴かせて戴いたり、

また聴いてもらったり。

そんな中で、なんとか支えてもらっている毎日です。 

 

 

  

 

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