日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* ご機嫌な夜 *

2014年07月05日 | 雑感




「白髪目立ってるよ、染めてあげる」
今日夫がゴルフなので昨晩は卓球染めてあげた。
お安くて簡単きれいに染まる使い勝手のいい・・【メンズビゲン ワンプッシュ



私の場合は一個一度で使い切る量だが、夫は少ない量でいいのでキャップをすれば何度も使えるから有難い。
やっぱり白髪混交じりのおじいよりも、染めた方が断然若く見える。 
「やっぱりいいわ、うんいいいい、若く見えるし!」
単純に気を良くする、褒めるに限る。
ご機嫌なゴルフ前夜だった。

行く前になって 「帰りは自分が運転するか、もしくは友人が運転しても助手席で寝てたら失礼やし」
言うので、ストックのメガシャキを! が、この間私が飲んだので無かった。
お迎えまで十分あるので(買いに行って来たら?)と言いたかったが行く気なさそうなので、自転車乗るの足痛いのにコンビニへ行った。
メガシャキと熱中症予防の飴、保冷水筒とゴルフバックに入れた。

六時過ぎ甥っ子を見送り、そのあと友人の迎えで寝不足の夫はゴルフに行った。 
なぜ甥っ子?

昨晩、十二時前寝ようと思ったら夫が、「M君(甥っ子)が電話で、もし終電に乗れへんかったら泊まらせてやって」
「え~? それを何で今頃言うのやろうね、乗れなかったらって乗れるように終わればいいことじゃん。 でも来るかどうか分からへんのでしょ?」 
「うん、けど来るんと違うか?」
私に遠慮して夫は、一応疑問文にしたのだろうと思った。

釣りで三時に出ようがゴルフで早かろうが、必ずしっかりご飯を食べて行く夫である。
食事の用意があるので私は朝五時には起きないと。 
甥っ子から間に合わなかったと言う電話はないが、来るか来ないかわからないので寝る訳にはいかない。
夫は「もう寝るぞ」とさっさと部屋へ。  一応夫の隣に甥っ子のお布団を敷いて用意した。 

一時頃眠そうな顔をして「今、ドームあたり歩いてるんやて」そう言うなり夫はまた寝にあがった。
一時四十分チャイム。 ご近所さんに聞こえるし・・
インターホンで小声で「戸を開けてるよ」
「あ~疲れた」が第一声。
(そりゃぁ歩いてドームから来たか知らへんけど二時前やで、突然夜分にごめんおばちゃんが先やろ・・)
心の中でつぶやいた。
「シャワーし」と言うものの、二時過ぎのシャワーの音さえ網戸で寝ているのでご近所に気遣う。  
夫にはぶつぶつ言っても、甥っ子の顔を見たら、さっきまでの(なんでやねん)はもうどこにもない。
おっとりだが悪気のないやさしい性格だし、京都にいた大学時代から良く訪ねて来たが、憎めないのだ。
お風呂上り世間話しながらも、はよう寝ようとせかした。  

と言う訳で突然の甥っ子の訪問、夫の時間に合わせて帰ると言うと、夫は「ゆっくりして帰り」私は「早く帰った方がいいよ」
意地悪みたいだが、お嫁さんのご機嫌を思うからである。 いくら親戚に泊まっていると言っても、朝帰りを喜んで迎えてくれるはずがない。
「週末はちゃんとYちゃんにサービスしないとね」「そうなんよ」甥っ子もわきまえていた。
なんだかんだ言っても、おじさんを訪ねて来てくれると言うのは嬉しいものである。 

昨年の夫の七夕飾りの短冊には「今年中に85がきれますように」と書いてあった。
今日は85だった。 四人中、トップだった。 と言っても二位の人とは一打差。 
二年前からゴルフをはじめた長女に今日のプレーを語りながら、夫連ちゃんでご機嫌な夜。


* 緑の夏 * 

2014年07月04日 | 家庭菜園




三年前だったろうか、次女一家と同居していた時だった。
東北大震災があった年、節電対策にとどのTV局でも【緑のカーテン】と称してゴーヤや朝顔、ツル性の植物を植えることを喝破していた。
そこまで言われたら根が真面目な私(これはやらなきゃ!)非国民にならないように、国民としての義務感さえ感じゴーヤの苗を買ってきて植えた。
カーテンの効用ばかりか、収穫があると言うのは実に楽しく嬉しいもので、節電イコール心身もともに収穫出来た、そんな気がしている。

デジブックまで作ったと言う真面目。



昨年の冬からサンシェードを張っているので(今年は植えない)と思っていたが、季節になるとそわそわ・・せめてもと朝顔だけ種を蒔いた。
毎日朝顔の顔を見ている。 節電云々と言うよりこちらが涼しげな朝顔の演出に朝一番から癒しをもらっている。
「朝顔だけでは華がない」夫はそう言った。
屋上へあがりもしないし見もしない癖に偉そうに、そしてさりげなく言う夫のひと言で、遅ればせながらゴーヤを植えた。

「花咲いてる?」
七月のはじめお隣の奥さんに言われて(老眼なもので)そのとき見たら二輪ほど咲いていて、以来毎日目に見えて競って咲くようになった。
恥ずかしながら、三年前初めてゴーヤを植えたとき、水と肥料さえやっていれば実はなるものだと思っていた。
【ゴーヤの育て方】とかネットで検索したとき(へぇ~そうなんや・・)初めて雄花雌花があってそれらが受粉してこそ実になることを知った。 
この歳になるまで知らなかった。 
十年くらい前まで【たいふういっか】を私の中では【台風一家】仲の良い台風の家族・・のようなものでその一家が通り過ぎたのだと思っていた。
【台風一過】だと知ったときの、驚きと恥ずかしさと言ったらない。 ゴーヤも然りである。

受粉に関しては、うまいこと蜂ぶんぶんが適当にやってくれているので、今年もきっと収穫があると思う。
朝一番水をやったあと、まだ布団の中でサッカーを見ている夫に「お父さんが植えって言ったんやからね、カーテンになってきたから見てよ」
食事に降りてきたとき「見てくれた?」「いや」「なにそれ、気がないねんなぁ」何も言わずに夫は屋上へ上がって行った。
「おう、いい感じやんか、バーベキュー出来るなぁ」

【関西電力からのご案内】で需給逼迫のお知らせメールの開始・・とパソコンにメールが入った。
東北大震災後【はぴeみる電】を登録している。 
過去二年分電気の使用量や料金がグラフで確認できるので節電効果が確認できるし、便利な機能もあって閲覧している。

さぁ、今年はゴーヤ・・レパートリー増やさないと! 


* 雨の日は雨のように・・ *

2014年07月03日 | 雑感

  雨が降ります 雨が降る  遊びに行きたし 傘はなし・・

一日中しとしと降る雨の日には、何かしら口かをついて出てくる この歌。
そして思い描くひとこまがある。

それは子供の頃だった。
雨で農作業ができない日曜日など、母はせっせと私たちの服を縫ってくれたり編み物をしたり、繕いものをしながらそばにいてくれた。
その光景はまるで絵本に出てくるような、おかっぱに赤いほっぺの女の子が母親のそばで、楽しそうに絵本を読んでいる。
母親は手を動かせながらも時折本を覗きこんで「それはね・・」と女の子に言葉を加えてやっている。
そんな光景。

「雨の日は、いやじゃやわ、外で遊ばれんし」
私はそう言ったのだろうか。
「そうさのう・・」安東家のおじいならそう言っただろうが、連ドラじゃないし。(なんのこっちゃ)

「そうじゃねぇ、ほいじゃけど外で仕事はできんかも知らんけど、雨が降ったらお百姓さんは助かるんよ。 ほいじゃから、雨が降るのも有難いことよ。
 雨の日は雨の日のように過ごしゃぁええことじゃけぇ」
母は決して気候の不足を言わない人だった。 (いや過去形ではない、まだ元気でいる!)

そんな母の言葉のお陰で、雨の日は洗濯物が乾かない・・とか憂鬱とか思うより、家の中でじっくり出来ることがある・・そう思えるから、もしかしたら雨好きかも私。
しかしそんな物語のような雨ではない、最近の雨は。 異常なほど、だからこんなことは書いてはいけないのかも知れない。

辛い時に辛いを何度言っても良い方向に行くわけではないし、病気になっても憂えているばかりでは、快方に向かえない。
どっぷりつかるとか、きちんと向き合って・・とか良く言うが。

雨の日は雨の日のように・・

母のあの言葉は、雨だけではない。 
一事が万事、すべては現実を素直に受け入れよ・・と言うこと。


【幸せの四つ葉のクローバー】
母の日、長女夫婦からもらったピンクのーネーションに添えて、この球根がふたつ入っていて今花を咲かせている。
長男夫婦からもらった赤いカーネーションも、そして何年も前もらったカーネーションも
切り戻ししながら、ずっと咲いている。


* 上機嫌・・ *

2014年07月02日 | 雑感


自分が心底笑顔だったら 周りのものを見る目も違ってくる
昨日の自分なら受け入れられないことも 
今日なら素直に 
そしておまけにやさしさまでプラスして 受け入れられる

そうやね できるるなら上機嫌で・・
だから 日々 できることなら上機嫌な自分であるように

それはきっと周りをも変えるだろうから
きっと・・景色が変わるだろうから


* 2014年も後半がスタート・・・ *

2014年07月01日 | 雑感

 
一年の半分が過ぎて、今日は後半のスタートである。
早い、あと半分でお正月がくるねんなぁ。
昨夜、(半月後には神戸の夫人が退院、施設がなくとりあえず在宅介護となる電話をもらい)また別に一つの問題を抱え込むことになった。
無理やわ・・今でさえ歩行器でおトイレ行ってるのに。 四か月の入院生活で悪い足がいっそう細く弱くなったのに、今度はベッドから落ちたら骨折するわ。

本当なら今日は朝から家中のカレンダーをめくり、(よっしゃ!がんばろう!)と勢いつけて動く月初めの私なのだけれど。
悶々とした思いでいると、ピンポ~ン! お役所のバイトをしている友人が仕事が一段落したのよと寄ってくれた。

「あがってあがって、冷たいものでも飲んで行ってよ」
今日の大阪三十度超え、最近少し痩せてきた友人の姿を見ると玄関で立ち話と言う訳にはいかなかった。
朝からのどうしようもない思いと、でもたらたら時間を過ごすのはいや・・大切な下半期のスタートの日なのにと思いながらも、
動くことにいまいち気合が入らずにいた私は(友達がいらしてね・・だから休憩!休憩!)
自分にそんな言い訳をしていた。 誰が見ていて、誰が咎める訳でもないのに。

微糖のアイスコーヒーを飲みながら彼女の仕事の苦労話を聞き・・そうね、そうねと相槌をうつ。
もうご主人様が亡くなられて十年以上は経つ。 今は娘さんと二人暮らしだが、昔から話が良く合うのだ。
私が仕事する彼女の家を訪問することはないが、時に触れ折に触れ変わらず顔を見せてくれる五つ年上の人。
彼女の話もいっぱい聞かせてもらったが、最後は失敗談やお互いのボケた楽しい話になって笑い転げた。 
話の中にはいつも、反省があって新しい方向づけがあって、最後はがんばろうねと誓い合う。

二時間分の家の用事をささっとやりあげながら、彼女は私を笑顔にさせるための使者やったんやと、そう思った。

一段一段階段を上がると言うもどかしさ、痛み、自転車に乗れない今だけど、
彼女との二時間が、銀行や買い物にもショッピングカートを引きながら日傘をさして、よっこらよっこら歩きながらかかる時間も
難なく笑顔のままで感謝で歩け、そして過ごせた午後だった。

夕方来た長女が「今週あたり『新幹線の陸送』があるみたいよ」と情報を持ってきた。
いつもより遅く散髪したてで帰宅した夫を嘘でも「うんうん、いいね~」褒めるでもなく、なみはや大橋を渡り大正の千歳橋渡し場へ。
(夫画像) 




渡し場で夫だけ降りたが、新幹線の車両はどこにも見えないようだった。
陸送は金曜あたりらしいから、まだやねと言う事でUターン。 




南港大橋にかかる夕日。 
(夫画像)

まだ七時にはなっていない。 (写真では見たままの色合いではないが)
閉園七時の舞洲百合園、「夕日を待っていた人、今日はいい写真撮れてるよね」と言いながら車で話した。
夕日を狙って行った私たち、夕日は雲に隠れて見られなかったから。


一年の後半に入る最初の写真が夕日になった
『感謝』なのだと思った。 
目先の大変な事がらに憂えるよりも、今できることに感謝、生きていることさえ感謝なのだから思いを変えないと、とそう思った。

今、出来れば母に会いたい、母にあれもこれも話したい、聞いてもらいたい・・そんな気持ちになっていた。
もう九十一歳、高齢な母にはもう喜んでもらえることは伝えても、それ以外は話せないと分かってはいるのに。
実家の兄嫁さんとたとえば心配事などを話すとき
「みくさん、お母さんは強い人ですよ、大丈夫。 何があっても決して折れない人ですから」
今でもそう言ってくれるに違いないかも知れない。
しかし何か月もすれば私も六十五歳になる。 自分で、あるいは夫とで消化しないとね。

夕日を見た、娘のお蔭で。 
朝からの出会いは必然だったと思った。

【魂が震えるブログ】魂が震える一歩 こんなサイトの記事も、私を前向きにしてくれた。

一月一日の
「初日の出」を拝む人はいるけれど
十二月三十一日の
「最後の夕日」に手を合わせる人はいない。
いやな事も多かった一年かもしれないけど
多くの出会いが今の自分を創ってくれた。

わかりもしない明日をただ待つことより
感謝の心で
すべてを観ることができ
受け取ることができたらすばらしい。

同じ祈るなら自分のことより
多くの人の幸福を祈ることができる人間でありたい。

やさしさにも大きさが必要だ。

(林覚乗和尚のお話より)

それに添えられた筆者の言葉
初日の出や初詣で願い事をするのもいいけど、
もっと大切なのは、今あるもの、今あること、
支えて下さっている周りの人たちに感謝をすることなんですね♪