日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 湊かなえさん原作「告白」 映画鑑賞 *

2010年06月05日 | 歌・音楽・映画・観劇

原作の単行本にあったしおり。
色濃いミステリー作品,「この本を読んだあと、周囲の景色が少し変わって見えればいいなと願います
思います・・ではない願います・・に、彼女の思いが込められているように思う。 
映画を見ればそのことをもっと痛切に感じるであろう。 

もう原作や「告白」公式サイトで読まれた方は多いいと思う。 CMでも何度か見た。
ひと言で言えば女性教師の4歳の愛娘が事故死とされたが、自分のクラスの生徒に殺されたことを
つきとめ告白し、復讐すると言うストーリー。  
幼い命を奪われた悲しみ、憎しみからの行動、人の命をまるで人形の如く扱う生徒の行動。 命とは・・。

同級生の娘さんの原作、と言うことでなければ、そうと知らなければ読むことはなかったと思う。
ミステリーの好きな次女は一気に読み上げ、より理解する為に2度読んでいる、映画も見たいと言う。
一度読んだ。 最初から教師の告白に始まるが、一章一章が教師であったり、犯人の少年AやB、少女、
Bの母親など、それぞれの語りになっていて、ややもすると(え、これって誰・・)こんがらがりそうになる。
それがまた引き込まれる、初めてのモノローグ調な「告白」の内容は残酷だが、表現力はすごいと思った。
それだけにこの作品が100分ほどにどう演出されるのか、楽しみであった。

早朝朝予約した、一番ベストと思われる席へ、マルイにあるTOHOシネマズ難波。 午後かなり埋まっていた。 
時間帯の予約状況も、シネマズ梅田も気になって見たが梅田のほうが盛況のようだった。
予約状況が気になるなんて同級生の娘さん・・でなければしない。
マルイにあるシアターの座席は難波パークスより座席が高くて映画によっては気持ちよく眠れそうだ。
7時5分~席は全て埋まっていたのではなかろうか。
右は高校生の男女4人組だった。 ポップコーンをぽりぽり、左のカップルもぽりぽり、雰囲気崩れる。

寝るどころではない、始まりから突然にざわついた教室での女性教師の語り、告白に始まる。
事故死ではなくクラスの生徒に殺された、その少年をA、Bと呼び経路を・・誰かは生徒には自然と分かる。
それからのストーリーは彼女の復讐・・全てが復讐へ繋がる彼女が裏でしくむ脚本みたいなもの。
読んでもかなりだが映像はいっそうの衝撃で、えげつない・・そう思いながら見た。

少年たちの行動も怖いが、それはやはり育った家庭環境ではなかろうかと思った。
親の身勝手な離婚、子供に対する思い入れの勘違いやずれ、それらがこのような行動を生み出したのでは。
フィクションではあるが、作者が中学の頃は家庭内暴力や校内暴力が蔓延していたように思う。
過去には実際にあってもおかしくない生徒の姿、家庭における母親の姿とも思えた。 
フィクションなんだから、そんなに一生懸命に考えなくても、いいのかも知れないが、いや彼女は単に
書いたのではないであろう。 伝えたいものがあったはず。 夫婦、母親、親子、友達・・さまざまな葛藤。
中でも微妙な中学生の心、母親として改めて考えさせられた。  一生懸命になるほど引き込まれた。
中島監督も原作者のストーリーに共感し、するどいまでに、感じたものを映像で表現されたのであろう。
監督が抜擢された松たか子さんの迫真の演技、木村佳乃さんもすごかった。 とにかくご覧あれ。
 
かなえさんが生まれた地元因島では13日、因島会館で映画を上映、彼女が舞台挨拶に来られるそうだが、
公式サイトの中のツイッターで、スタッフのつぶやきがあった。
そうだ!日曜日は因島に行こうよ。で、観光ついでに「告白」見ればいいじゃん。そんな素敵なあなたを募集中。
まだ誰にも知らせてないけど中島監督も行きます。カモン因島!(宣伝K)
 
結末、最後の場面、壮絶な内容と映像に胸がはり裂けそうだった。 正直後味が悪かった。
しかしエンディングで、携わった方々の名前が流れるが誰一人立ち上がる者はいなかった。
それぞれの胸のうちは・・複雑だと思う。 作者の書きたかった訴えたかったことが何であるか、
まるで自問自答しているような気がした。 ふ~っと大きく息を吐いた。
内容はショックではあるが、本の一冊を忠実にあのように表現された監督はやはりすごいと思えた。 
(もう一度、読み直してみよう)

場内が明るくなった時、隣の男子高校生が言った。
「もっと明るい映画かと思ってた。まるでバトルロワイヤルや」                                10日記
 
 
         * 紫陽花 今日の一枚 *  なんかね・・考えさせられる 色んな方向から眺めて・・

* ジャカランダの花情報2010 (大阪市八幡屋公園) *  

2010年06月05日 | 花や木

世界三大花木と言えば、ホウオウボク・カエンボク・ジャカランタであるが、写真はジャカランダ。
港区八幡屋公園グリーンヒルズに咲く。 これは昨年の6月20日に撮影したもの。

熱帯アメリカ原産で、ブラジルの国花だそうでノウセンカズラ科の高木または低木つる等があるそうだ。
気候の変化が激しい日本では成育が非常に難しいとされ、花をつけることは大変に珍しいそうだ。
日本では中々その姿を見ることが出来ないようで、先日ラジオで咲くやこの花館で開花していると聞いた。

そんなに珍しい言わば、港区の自慢かもしれないのにご存じない方も多いいに違いない。
お近い方は開花の時期、眺めてみるのもいいのでは・・と、時々開花状況を載せて見ようと思う。

しかし検索してみると日本のジャカランダと色々な地域の花を撮影しておられるサイトがあったので、
もしお近くの地域にあらば、一度この花にお目にかかれたし。 きっと爽やかな6月になる?かな。




6月5日(土)
こんな状況である。

ぼやけているが、クローズアップしたとき肉眼では見えなかったが、蕾の先端に薄紫の色が見えていた。 



* 6月11日(金)

なつめの保育園の迎え方々、寄ってみた。
わ~!! こんなに咲いてる~!

 まだ6日しか経っていないのにね!
この調子では、満開はいつになるのだろうか。 木の前にお散歩のおばあちゃんが腰掛けて眺めていた。 

ズーム、ノウゼンカズラ科、まるで同じ。 花色だけが異なっているように見える。

この木の下の道に、おっちゃんがCDラジカセ置いて、イヤホンつけて歌の練習をしている。
沢山のカセット、手書きの歌詞カード、朝でも夕方でも会うときがあるので、どんだけ~?
それだけ足を運ぶって、そう上手ではないだけによほど歌がお好きなのだろう。
老人会でカラオケでもやっているその練習なのだろうか。 微笑ましくなる。

時に声でもかけようかと思うが、後ろ向きで立って歌っておられるのでようかけないが。
ジャカランダの花が満開のとき、おっちゃん何か爽やかな歌歌ってみせてよ。 

 

19日(土)

 夫を誘ってジャカランダ・・を。


* スリムになると心もスリムに? *

2010年06月04日 | 健康

這いつくばる訳にはいかないので、綿毛のあるタンポポをそっと一本拝借した、片手で撮影。
撮ったら風が吹いて綿毛が飛んだ。  そして隣の葉に漂着した。

「ちょっとひと休み」 「さぁ、飛ぶよ・・ 早くおいで」 「待って~」

風に吹かれながら飛ぶ綿毛の行方を、じっと見ている。 まるで親が子供を見守るように。 (大ぶれ!)

**************************************************************************************

夕方かけようと思っていたところへタイミング良く、京都伏見の酒造会社へ勤める夫の甥っ子から電話があった。
「今から行こうと思うんだけど・・」 先日の電話で、明日かと思っていたが(夫が聞き間違えていたのか)
車で大体予定通り9時過ぎに到着、卓球の夫は飲み会を不参加で帰り同じ時間になった。

夫と一杯やりながら夕食を始めた。  当然ながら、仕事の話になった。
家では女どもには話さないような、色んな業界の形態や現状や今後などを語り合い段々と熱くなっていった。
甥っ子の話し口調が、以前より変わってきている気がした。 ん?仕事が落ち着いて来たのだろうか。
食べ終わっても延々と続く話、おじさんと甥っ子・・いいなぁと眺めながら私はこっくりこっくりで、お先に・・。

広島から京都の大学へ行くようになって、くったくのない人なつっこい甥っ子は時々訪ねて来た。
我が家に来た時の第一声は「あ~しんど、あ~疲れた」だった、いつも。 
県内の音楽関係の会社に就職してからは、毎年夏のサマソニに友達と来るくらいだったが、
会社を辞めて大学時代の友達の酒造会社へ転職、昨年は同郷の子と結婚もし、近いので時々訪ねてくる。 
第一声は変わらなかった。 くせになっていて仕事中でも、知らず知らず出るのではないのかと思っていた。
事務職なので、「現場の人がどれだけ大変か見てみろ」そう言われたと、以前聞いたことがあったから。

当時彼の体重は110キロくらい、大学に入り田舎から初めてきたときその体系と風貌に驚いた。
娘はそんな彼に「くま(熊)さん」をイメージして、なつめには「くまさんが来るよ」とか言うようになった。
そんな体系の彼の行動は自ずとゆったりのっそり、決して機敏ではなく立ち座りもそうなって当然である。
確かに動くと人一倍疲れたであろうしんどかったはず。
変化のない事務職、年長者ばかりの職場で、来た時は仕事や先輩の愚痴などを言った。 
若いので仕方ないが、聞いてやりながら社会人として仕事の大変さやがんばるようにと話したりした。
法善寺で働く息子が親には援助を受けず、たまに帰っても愚痴ひとつもを言うことがなかったので
気楽そうに大学時代を送っていたので(甘い)内心そう思いながらいた。

彼は昨年から帰宅後ウォーキングを始めた。 段々面白くなっていつしかジョギングに変わった。
5キロ、10キロと体重は減少して行った。 走ることが日課になり楽しくて仕方がないと言う。
4月出張で来阪した夫の弟が「あのジョギングに対する姿勢は病的なほど、むしろ心配だ」と親心を覗かせていた。

あれ? 今回初めて今までの彼の第一声がなかった。 聞き逃した? いや、そんなことはない。
「おばちゃんこんばんは」 笑顔を見せてそう言った。 
今や30キロ減量した彼の風貌は一変した、おなかがぐっとへっこんで以前はいていたズボンは全部処分、すごい。
スリムになった分動きも楽になったはず、夫と仕事のことを語る彼の口調は穏やかで落ち着いていた。
仕事の愚痴は言わず、むしろ人脈も広がり、先輩や得意先からも可愛がってもらっているようである。
毎日走ることが減量に繋がったばかりか、その中で感じたり見えてきたものもあるのだろう。
爽やかに話す彼が急に大人びて見えた。 昨年は別な仕事につきたいとか言っていたのに。

身体も動きも心もスリムになっているのだ。 動きやすさが気持ちにも変化が起きている。
私も膝が悪く医者から減量が一番の薬、そう言われ努力し体重が減少していった時など、
身体はもちろん楽だが、気持ちまで明るく心が変化したことを経験している。 
仕事を辞め同居になってから元に戻ったけれど。 

明るくやさしく人なつっこい彼は、きっと頑張れるに違いない。 
しかし弟の心配どおり、足首の骨の変形で痛くなり1ケ月医者からジョギングを止められているそうだ。
次女と同い年、くったくなくおじさんを訪ねてくる彼の性格は、仕事にもいい意味繋がることだろう。
我が子が所帯を持ち成長する姿も嬉しいが、親元を離れ頑張る甥っ子の成長もまた嬉しいものである。


                     * 紫陽花 今日の一枚 *  
「スリムな僕も がんばって生きている・・よ」


* 再び映画「告白」 原作者湊かなえさん 読売新聞より *

2010年06月03日 | 掲示板

6月5日公開の映画「告白」の声がTVでも賑やかになってきた。
先だって某バラエティ番組に松たか子さんと共演者が出ていたし、「いいとも」にも出演し共演者に繋がった。
原作者湊かなえさんが因島出身であり、その彼女のお母さんCちゃんと私たち夫婦は同級生。
昨年の還暦旅行で夜みんなが部屋へ集まったとき、そんな話彼女はしなかったのに、彼女らしい。

Cちゃんに電話をしたとき、まさかこんなことになろうとはと彼女の弁。  
そんな作家を生み出したCちゃんには、還暦の大きなプレゼントだったようだ。 本当に嬉しい。
電話の後喜んでくれて即行、小3のお孫さんを描かれた絵手紙が届いた。
文章の中には「娘のファンになってくれたら嬉しいです」 母親のCちゃんの顔が覗いていた。

***********************************************************************************

TVや新聞が騒がしくなった。 
映画館のない地元因島でも、同級生が働きかけ熱く13日(日)因島会館で放映されるそうだ。
もちろん湊かなえさんは舞台挨拶をされる。 12日(土)は尾道市東御所町のしまなみ交流館。

女優の東ちづるさん、歌手のポルノグラフィティさんもそうだが、因島、故郷へ錦を飾る訳だ。

読売新聞でも・・先月28日
武庫川女子大学家政科部卒の湊かなえさんが、作品に対して開かれた後輩との座談会に出席、
そのもようが大きく新聞の一面を飾った。

かなえさんは、お母さんそっくり。

すごい。 ミステリー映画はあえて観ないけど、同級生の娘さんと言う訳で鑑賞させていただく。
HPを見ながら、心構えをしたり、原作も読んだ。 かなりな衝撃だがこれが1時間40分の中に、
どう映像としてまとまるのだろうかと思う。 それは原作者が一番に思うことだろう。
さぁ、もうすぐ公開!

 
   * 紫陽花 今日の一枚 *  紫陽花曰く、「主人がね、剪定を間違って今年は小さい花になってさぁ」


* ブログ5周年を迎えて・・ *

2010年06月02日 | 雑感

昨日は、gooさんにブログを開設して、5周年の記念すべき日だった。
始めはすくすくさんだったが不便を感じてgooさんに変えた。 最初のブログにはアダルトなコメントが何件も。 
削除しようにも、IDやパスワードが合致せず、まともに覚えていないので困った(なんとかしなきゃ)
そんな位、長い年月が経ったのだ、5年と言う。 

最初は詩やエッセイのHPを立ち上げていたのに、ブログをやるようになって、HPは放置状態。
HPは親の、とりわけ母の背を見ながら育った私が所帯を持ち子育てをし家庭作りをしてきた事柄を、
母へ感謝を捧げる気持ちと、私の生きてきた足跡を文字にし子供たちへ残したい、そんな思いだった。

今年こそつけよう!お気に入りの日記帳、持つこと自体好きで嬉しくて安心感があるので必ず毎年買った。
しかし日記が一年埋まった年は恐らくない、挫折しては立ち上がり、それを繰り返して尻切れトンボ。
なのにブログはどうだろう、毎日ではないしても小休止もあるが、一年の始めや終わりはきっちり
けじめをつけて書いている。 残そう・・日記で叶わなかった分、結構書いている、なんと言うことだろう。

この5年間の我が家は、人生の中で一番変化のあった年月だったのではないだろうか。 
3人の子供達が、それぞれに所帯を持ち次女は同居(いずれ出て行くが)長女、長男は近所だし、
我が家から自転車で飛ばせば15分ほどで行ける距離だ。 孫も4人になった。 
まるで子育ての延長のような、12名がしょっちゅう顔を合わせているみたいな暮らしだ。
遠方へ嫁いでいたら、お盆やお正月にしか会っていないかも知れないのに、毎日が賑やかで、
行事ごとと言えば、我が家か子供達の家でしたりする。 まさかこんな賑やかな人生になるとは。

日記は対自分で、黙々と書いていくもの。 誰が見る訳ではないし記録と思いながら意志の弱さで挫折する。
ブログはどうだろう、もしコメントを閉じたとしてもアクセスは履歴を見れば分かる。 
知らない人が1人でも読んで下さっている、そんな喜びに加え、コメントを頂くと返事を書くことになる。
一方的な日記と違って、多くの方たちとの出会いで視野が広がり多くを学ばせていただいている。
残す為でもあるが、それより先に自分自身がどれだけ心を潤し生きる力を頂いているだろうか。
相手がある分、意志薄弱な私が5年を続けられ今に至っているのであろう。
やめようかと思ったこともある、なくても普通に日常が送れるし、気にしなくていい分気持ちが楽だった。

「下手な本読むより奥さんのブログ読んでる方がよっぽどいい」いつか夫の友人のひとことを(え~、本当に?)
半分真に受けた。 身内や友人知人への近況報告、今やブログは一石が二鳥にも三鳥にもなっている。 

だから5年を迎えたブログ、続けられたと言うことは、これはひとえにみなさんのお陰なのである。
感謝を込めて・・「あなたに ありがとう。 出会いを ありがとう」

 

                       * 紫陽花 今日の一枚 *  まだまだ未熟ですが・・