日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 別れはいつか・・ *

2018年02月21日 | 雑感

 



 夫は若い頃、私が少々体調が悪かろうと、あまり気遣う人ではなかった。
 結婚四十四年の間に、そんなことで夫と思い違いが生じ、情けなくて思わず不足をぶつけたことが何度かある。

「お父さんってさぁ・・」と、私が事があるとやりあいに出すものだから昔のそのことを言うと「あんたは何かあるといつも
そのことを言う。根にもって」と非難する。 「だってあれってひどい、どれだけ情けなかったか」
 ある時期から、その時のこと言おうものなら夫の方から「私がインフルエンザにかかっていた時、麻雀して帰って・・」と
おちょくって皮肉を言う。

 結婚した翌年、長女を妊娠して四ケ月の時だった。 近所の産婦人科に勤めていたのだが、インフルエンザにかかって休んだ
時だった。 三十八度以上の熱があった。 「寝ときや」と言って夫は会社へ出かけた。

 お昼何も食べていないのに、帰宅時間に夫は帰って来なかった。 熱はあるが、おなかがすいてつわりもきつく最悪だった。
  
 夜、一緒に働いている看護婦さんが、仕事の帰りに見舞ってくれてお昼も食べてないと言いうと、近所のおうどんやさんで
エビの天ぷらうどんの出前をとってくれた。 友の有難さに、ぼろぼろ泣きながら食べた。 二十四歳の時だった。

 何年か前、夫の昔の仕事仲間の一人が地元へ帰ったご夫婦共働きの友人がいた。奥様が亡くなったと言う知らせをもらった。

 ある時、仕事から帰るや否や玄関でしんどいと言われ倒れこまれたそうで、翌日病院へ行かれたが、その翌日帰らぬ人となった。 
   家のことは何もかも奥様任せだったので、日常生活にも何もかも困りはて、落ち込みふさぎこんでおられたようだ。

 後、夫が案じて何度電話しても、繋がらなかった。 やっと電話をもらったのは、一年以上経ってからだった。 

  少しは落ち着かれたらしいが、大きな悔いと自責の念にかられていると。 突然の死が受け入れられないばかりか、普段どこが
痛いとかしんどいとかきっとあったはず、言っていたかも知れない、なのに分かってやれなかったし、気づいてもやれなかったと、
それを悔いる日々だっただと言われた。

 それ以来である、「どこか痛いとか変わったことがあったらちゃんと言いや」と夫は言うようになった。 だからって何をして
くれる訳ではなく、「寝ときや」「病院へ行ってき」それが精いっぱい。
 だから辛抱はせずに、「今日は調子悪いねん」とか、「痛い」やおかしいとかを報告するようになった。

 夫が後で、気づいてやれなかったと自分を責めることがないように。
 だからって体調が良くない今、痛いとか疼くとか毎日言えないけれど。 

 元気なようでも、いつどちらがどうなるかは分からない、明日のことさえも。
 二度と来ない今日と言う日、だから少しでも気をつけて心豊かに過ごしたいものである。 

 未明に大杉漣さんの訃報を知り、あまりの突然のことで信じられない気持ちでいっぱい。
 最近まで、TV番組で旅先でギターを弾き歌ったり、ドラマでも、また”ごちになります”でも拝見していたし。
 お元気そのものだったのに。

 私たちのショックはもちろんだが、長女は「突然すぎる・・言葉も交わせなかったなんて本人もだけど家族があまりに
可哀想すぎる」と言う。 
 何度も繰り返して言った。 きっと私たち夫婦と、自分とを重ねていたのであろう。 息子は鹿児島だし。 
 ご家族のご心痛や無念を思うと、自分も人事でないと思ったに違いない、私だって。

 味のあるやさしいばかりのお役柄を見てきたから、そのままの方だったのだろうと思う。 
 心よりご冥福をお祈りいたします。 

 

  
  おいで頂き ありがとうございます 書き出したものの 訪問までには中々至りませんので
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