先日、実家から八朔が届いた。 供えたあと、ひとつ味わってお礼の電話しようとしたとき兄の方からかかった。
会社からだった。 「ひとつは酸味のある方で、もうひとつは普通、使い分けて」珍しい電話だった。
「息子たちがお嫁さんもらったんだし、うちの方へはもういいよ」「あんたとこには、世話になっとるんじゃから」
実家へお礼の電話をした。 母が荷物は兄がしてくれたんよと言う。 兄が・・は、初めてのことである。
「もう大儀で、ようせんかったから」と言う。 白内障になり、好きな手芸もやめているようだ。
高校を出て就職をしてからずっと、柑橘類の時期になると良く荷物が届いた。
お菓子や手荒れのひどい私に花柄のゴム手袋や、手芸品や筆まめな母の手紙も入っていた。
開けるのがとても楽しみだった。 みかんもきちんと詰めてあり、ひとつでも沢山食べさせようと言う母心。
箱を開けると故郷の香りと母らしい中味に、嬉しく思いながら気弱な時など、胸がいっぱいで泣ける事もあった。
兄嫁さんは「お母さんが詰めちゃったんよ」いつも必ず伝えてくれていたが、兄が詰め荷造りし運んだそうだ。
交代なら嬉しくもあるが、まさに母の状態をそれとなしに伝えることでもあると思うと寂しくもあった。
「老いが進んで・・」帰省の度に兄嫁さんの労わるような言葉を聞くようになり、何十年も欠かさなかった
みかんの箱詰めや、選果場の仕事をやめてから、手を動かさない時はないほど手芸を楽しんでいた母。
人さまにあげることや、今ではお土産売り場から頼まれたりもして、それが大きな楽しみでもあったのに、
今は手芸の手を休めて「お昼を食べると横になってTV見たり、寝たり起きたりしとんよ」ゆっくり言った。
母が楽しみでしていたことが、急に無くなって消沈しているかのようだ、まるで定年を迎えた戦士のように。
昨年は「二人の孫の結婚式が終るまではがんばらんと・・」と言っていたが、その二人が今年パパになる。
「曾孫が生まれるんじゃけえがんばらんと」 1月には初、内曾孫が生まれ四世代同居で沸いている実家。
後3人生まれてくる曾孫をを楽しみにしている母ではあるが。
「曾孫もじゃけど、お盆にはお父さんの33回忌があるんじゃから、みんなで帰るから元気でいてよ」
母にしてみたらいつも「みんながようしてくれる、自分は瀬戸田一の幸せものじゃ」が口ぐせで、
人の悪口は言わず、なんでも感謝に置き換えて、みんなが仲良うに・・と言い続けてくれている。
まわりを照らしながら、身を溶かしてゆく・・ まるでろうそくのように・・。
あのことが終るまで・・それが、今の母を支える生きる目標なのだろうか。
病に伏しては息子夫婦に、みんなに迷惑をかけると、健康に気をつけてきた母ではあるのだけれど。
幸せいっぱい・・54歳で夫が他界し、寂しくはあったがすぐ出来た内孫に励まされえ元気になった母。
何かが終った時、すうっと眠るように・・もしかしたら・・電話を切った後そんな気がして仕方なかった。
私の妹の旦那さんのお姉さんが、突然に帰らぬ人となった訃報を聞いた後だけにそう感じてしまった。
兄嫁さんは母には申し分のない、私たち以上に娘になりきっておられ、誠に感謝に絶えない。
たまたま夫が次男だったし、遠方ゆえにお互いに兄夫婦に親を任せた人生を歩んできたけれど、
365日老いて行く親と同居、お世話いただく事がらに、言葉に出来ない申し訳なさのようなものを感じる。
核家族でどんなに頑張ろうと、同居している兄嫁さんんたちのようには娘になりきれていない自分を寂しくも思う。
お正月の同窓会や、今月の旅行でも親と同居だったり、介護をしていたりで来れない人たちがおられる。
自分たちが思いのままに行動出来ることがらは、お互い申し分のない兄夫婦であるならばこそなのだ。
昨日の友人との電話から、自分たちの残りの人生への出発の記念旅行ではある訳だけれど、
これは兄夫婦へ、感謝する・・そんな旅行でもある・・とそう思っている。
最新の画像[もっと見る]
- * ブログ‥大好き・・ * 2年前
- * ブログ‥大好き・・ * 2年前
- * ブログ‥大好き・・ * 2年前
- * 長居植物園 (その3)16日 * 2年前
- * 長居植物園 (その3)16日 * 2年前
- * 長居植物園 (その3)16日 * 2年前
- * 長居植物園 (その3)16日 * 2年前
- * 長居植物園 (その3)16日 * 2年前
- * 長居植物園 (その3)16日 * 2年前
- * 長居植物園 (その3)16日 * 2年前
今日の記事 自分と重なりなんか胸が一杯になりました。
里から送られてくる小包は なんか嬉しい分
こうして送ってくれるのも 何時まで続いてくれるか・・・ と胸が痛む時があります。
小包の詰め方もいつも一緒で 詰めてくれてる母の姿が見えます。
父母はとても気丈夫で子供達に余程でない限り頼ってきません。
が 離れて暮らしてますので 久しぶりに逢うと やはり歳には勝てず 少しずつ体も弱って来てる姿を見ると 何とも言えない淋しさがこみ上げて来ます。 帰る時が又大変で 父等は用事を作ってはどっかへ行ってしまったり 私も泣き顔を見せたくないので 突っ張った顔をして冷たい娘を演じたり・・・。
義母も日を重ねるごとに 弱って行ってる感じがします。
今は 親孝行を最優先で居てたいと思っています。
みくさんの記事で又はまってしまいました。
長々と自分の事を書いてスミマセン。
心の中の母はいつも笑顔の優しい元気で母なのに
現実は確実に老いていっていて…
私も何故か最近は母の事が頭から離れません
最近は逢うたびに話が毎回、同じ話になっていくのです
日をあかずに逢っても必ず同じ話になって…
同じ話でも聞いてあげる事が親孝行と人は言います
私も頭ではそう思うのですが…
どうしてあげる事もできない
老いていく姿に淋しさを感じて心の中は哀しくなっていきます
この月末に一緒に旅行をします
楽しい話をひとつでも思い出してもらえるように話しかけるつもりです~
教えていただいたブログにお邪魔してきました
写真の素晴らしさに圧倒されました
凄いですね~
記事も三人三様でいろんな見方があって楽しめました
師匠にもお返事しないと・・気になっているのですが・・
今、同じようにこのような思いをしている人たちが多いでしょうね。
以前はそうまで思わなかったこと、考えたくないこと、まだ先って思っていましたが、
最近は少し心のどこかで、覚悟しておかないと・・って思うようになりました。
兄嫁さんから携帯があると、一瞬どきっとします。
いてくれてあたり前のような、大きな安心感の中で生活していますので、
もし・・だったらどうなるだろうかと思うときがあります。
あいさんのご両親と会われて帰られるときの様子、悲しいまでに分かるような気がします。
母親よりも父親の方が大変でしょうね。
少しづつ老いてくる姿が、目に見えてくる・・仕方ないけれど寂しい事実。
私も帰省して帰るとき、見送る母、義母の姿が寂しげで辛いです。
お互いに母親からの荷物、q思いは何処も同じですよね、心が一杯詰まっている。
もうこれからは兄や義姉でしょうか。
私たちに出来ること、顔を見せる・・そして親孝行ですよね。
少しでも悔いを残さないように(悔いはいっぱいありますが)精進ですね。
yukiさんのところも、お母さまだったですね。
時々、ご旅行されて思い出作りいいことですね。
老いてくると、すぐ前の記憶より過去のことの方が鮮明に覚えていて、
それも悲しいですが、旅行の思い出しっかり思い出してくれますようにと念じます。
母の口調が少し遅くなり、会話の反応が少し遅くなり、
そんな母が何度同じことを言おうと、胸が痛く聞いてあげることは出来ます。
なぜなら、私がもうすでに同じ話、誰に言ったか、まだ言っていないか忘れてしまうのです。
自分がまた行く道、通る道・・。 そう思うと腹もたたないですよね。
やさしくしてあげようと思います。 親孝行は真似でも良いと言われますね、
老いがますほどに、やさしさや笑顔を見せるこれ一番かな・・。お互いに精進ですね。
写真すごかったでしょう。ほんと同じ場所に行っても違うから面白い、
それがその人らしさ、個性なんでしょうかzzzzzzzzzzzzzzzzzおやすみなさい。
兄と結婚して以来、数十年間、
母と同居していた長男のお嫁さんがギブアップ、末っ子である私の家に母がきました。
介護サービスをうまく利用しながら、
介護を一生懸命っていうことは考えず、
相手が望むことだけうまくして、
楽な介護を心がけていました。
母を車いすに乗せて、
バラ、桜、蓮、あじさいなど、
いろいろなお花などを、見に行きました。
なによりも一番悲しいのは、
心のよりどころとなるべきはずの母が
全面的に私を頼り切っているのを見ることです。
その母も去年の11月の終わり、
脳梗塞になって今は入院中です。
毎日お見舞いには行っていますが
動けない体となって言葉もはっきりしない
状態でこのまま生き続けていくの見るのは
本当につらいです。
でもみんな通る道、
素直に受け入れて前を見ていけたら
いいなと思っています
拝見しながら、何とも言えない思い衝撃のようなものを感じています。
そしてkazuさんが、すごいかたなのだなぁと愛おしくも感じています。
お母さんの介護をされていたのですね。
>なによりも一番悲しいのは、
>心のよりどころとなるべきはずの母が
>全面的に私を頼り切っているのを見ることです。
私も母の子として、胸痛く感じさせていただきました。
現実に介護されていなければ、感じ得ない言葉です、ずしんときました。
でも何より衝撃だったのは、私はべらべら家のことをガラス張りの如く書いていますが、
kazuさんからは、みじんも感じられなかったこと。
そればかりか、映画、小説、絵画、それにくまなくあちこち行かれては、
素敵に写真を撮られ・・更新されている。 それまでと変わらなく・・、
その頃を振り返りながら、そう思ってしまいました。
それより、そんなkazuさんを主人にいつも話していたんですよ、すごいって。
私はkazuさんに優雅とも、心豊かな人生・・とも言ったと思います。
心豊かはkazuさんらしいと思いますが、色々な思いをされておられたのに、
優雅・などと、ごめんなさい。 そんな私の言葉にも笑って交わしていましたよね。
あちこちの風景や花の写真、車椅子のお母さんをお連れして行かれていたのでしょうか、
今もしかしたら・・と、そんな姿をkazuさんの写真の中に重ねながら、
じーんとしています。
そんなお母さん、脳梗塞で入院中なのですね、毎日お見舞いに行かれているとのこと。
>動けない体となって言葉もはっきりしない
>状態でこのまま生き続けていくの見るのは本当につらいです。
一緒に花を見に行っていた時、どんなに楽しく嬉しかったでしょうね。
どれほどの状態か分かりませんが、いつかまた一緒に車椅子で行けるように回復されたらいいですのにね。
今は介護する方が、病気にならないように気をつけなければいけないような時代、
kazuさんの生活の中で、みじんも感じないほどの色々な事がら、
大島渚監督の奥さま、小山明子さんを思いました。
監督の介護を大切にされながらも、自分が暗くなったり、駄目になったらいけないと、
絵を習われたり、たまに友人と旅行されたり自分が楽しいこともする、
それらでリフレッシュさせ介護への気持ちの支えにしておられる。
経験はないですが、納得しながら彼女の書かれた文章を読んだことがあります。
>でもみんな通る道、
>素直に受け入れて前を見ていけたらいいなと思っています
そうなんですよね、いつ自分がそのようにならないとも限らない・・
兄嫁さんには改めて感謝の思いに、そして私が親の立場で子供たちに・・、
色々な事がらを学ばせていただきました。
kazuさん、言いにくいことだったでしょうが、話して下さってありがとうございます。
kazuさんも、お疲れの出ませんように今まで同様絵や写真、小説や映画
いつまでも多彩な記事を楽しませていただけますように・・。
不思議なご縁を感じてます
みくさんの言葉の「出会いは必然」が思い浮かびました
みくさんと同様で写真・映画・読書・水彩画
そのどれも素敵で…
なんて優雅に暮らしてられる方だろうと思ってました
みくさん、kazuさんゴメンなさいね
みくさん宛てのコメントを勝手に読ませてもらってしまいました
お母様の介護の事や
諸々の事を微塵も出されていなかったkazuさんに胸がジ~ンときました
私も車イスなので外出はほとんど主人が介護してくれてるんですが
いつも感謝と悪いなぁ~と言う気持ちでイッパイです
kazuさんのお母様も 頼りにされないといけないけれど
頼らなくてならない自分を感じてられたのだと思います
kazuさんのお気持ちよくわかります
私も息子に対して知らず知らずにそうなってるかもしれません
お母様が早く良くなられてまた一緒に外出が出来ると良いですね
訳あってブログを変えましたが覗いてみてくださいね
私は今まで通りの名前でお伺いします
みくさんゴメンなさいね
また この場所をお借りしてしまいました
kazuさんの目に留まるとうれしいですが~
何よりも1番は笑顔だと実感。
きっと感謝の気持ちで過ごせば笑顔になるって事だと自分なりに考えました。
同居する事は多かれ少なかれ、我慢が必要かと。
でも感謝する気持ちを表せば我慢でなくなるのではないかと。
お母様はきっといつも感謝されてるのでしょうね。
兄嫁さんも素敵な方なのでしょう。
そんな家庭で育つ子供さんはきっと笑顔が素敵なんでしょうね。
我が家も義父、父とうちで看取り(病院ですが)色々学びました。
母は今同居、義母も多分あと数ヶ月でうち(病院ですが)に来ると思います。
きっとそういう運命なんだと思っています。
有難うって言ってもらえるのが1番幸せです。
きっとこれかもそうだと思います。
どんな言葉より尊い言葉、有り難いと思っています。
周りの支えがあっとこそ介護は出来る物ですから。
ぜんぜんすごくなんかないですよ。
でも愛おしく感じて頂いてうれしいです。
みくさんのコメントに涙が出ます。
また元気になって一緒に
お花を見に行けたらどれだけいいだろうと
思います。
もちろん今まで通り絵や写真
色んなことに楽しむつもりですよ。
yukiさん、こんばんは。
はじめましてでしょうか?
ブログを見てくださっているようで
ありがとうございます。
yukiさん、母の名前と同じなんですよ。
デイザービスではyukiちゃんと皆さんに
呼ん頂いていました。
優しいお言葉ほんとうに
ありがとうございます。
とてもうれしく思います。
でもkazuさんのことは本当に想像もつかず、それだけにkazuさんの人生の楽しみ方、
素晴らしいと思います。 実家の兄嫁さんも沢山の趣味を持っておられるし、
夫の方の兄嫁さんも野菜作りが趣味と言われた事がらに、少し救われる思いがしました。
夫婦でも親子でもそうでしょうが、有難うの気持ち感謝の気持ちを言葉で表す、
このことがお世話をしてくださる方への、大きな労いになるのでしょうね。
今、他のブログでも恒例の母親の介護をされながら、毎日水彩の筆を持たれている
男性がいますし、義母さんの介護を1週間づつお嫁さんが交代でされている、
ご自分も父親を見ておられるのに、様ざまな中頑張っておられる友だちがいます。
実際大変なことと思いますが、私はたとえ親にでもそこまでには至らないと思うとき、
娘としてそばで介護できないこと、嫁として兄嫁さんのように仕えることが出来ないことは、
兄嫁さんが羨ましくもあり娘に・・嫁になりきれない寂しさが少しはあります
>心のよりどころとなるべきはずの母が
>全面的に私を頼り切っているのを見ることです
私も、自分ごととして心にとめて行きたいと思います。
これからは、私たちも老いてこのような事がらを常においた生活に、いつか通る道です、
皆さんから学ばせていただき、教えていただくことがらを感謝に思います。
yukiさん、kazuさんの目にとまりましたよ~、yukiさんの以前・・説明させていただきますね。