日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 泣く子に 亡き幼い姉弟を思い出し・・ *

2010年08月30日 | 雑感

次女パート2日目である。 9時からなので、なつめを保育園に送って行ったその足で仕事に行く。
送って行っても帰って来ない訳だが、普段私が一緒にいるのでママともなんとも言わずに無邪気に遊ぶ。

お昼寝になったとき、母乳が離れていないので仕方ないが、5分くらいぐずぐず、時に声をあげて泣いた。 
半分眠りかけながら泣く孫を見ながら、お隣の西区で先月3歳の女児と1歳の男児、母親の育児放棄で亡くなった
2人の幼児の姿が思い出され涙がでてきた。 
母親がいないばかりか、食べ物や飲み物もなく、閉め切った暑いマンションの部屋で、どれだけ泣いていたことだろう。
衰弱しながらどんな風に2人は息をひきとったのだろうか・・何度思いだしても(なんで・・)胸が詰まる、あまりにもむご過ぎる。

私がこのことを初めて聞いたのはちょうど1ケ月前の30日、早朝のラジオで子供たちが発見された状態や様子を知った。
あまりな事態に信じられなくて、ちょうど孫たちと同じ年齢でよけにに姿が重なり、聞きながら涙が止まらなかった。
どれだけ泣きながら母親を呼んだであろう、飲み物も食べものも欲しかったであろう、おむつだって替えて欲しいのに。

最近信じられないような話はいくらも耳にしているが、こんな何も出来ない幼い子供の放置・・死、むごい、腹立たしいくらいに。
若い母親の自覚の無さ、幼さ無知にもほどがあるが、事情が色々分かるにつけこの母親も一種の被害者ではないだろうか、
一番の責任はその若い母親を育てた・・いや途中放棄した両親、特に母親の責任ではないだろうか、私にはそう思えてならない。 

多くの人々の驚きや涙を誘った事件に、国、市や病院でもさまざまな対応が検討されている。 
TVのCMでもそう言った状況や子供の泣き声を近隣の人が察知し連絡しようと言う風が起きている。
幼い2人の死が無駄にならないように、私たちも心を向けなければいけない。

孫の寝顔を見ながら、子育て親育ての原点はやはり家庭にあるのではないだろうかと思った。
先日来より、最高齢者云々で親が生きてるかどうかとか、居場所を知らないとか、兄弟がどこにいるかとか、
信じられないような話があった。 事情があるにしても昔に比べ希薄になったような家族関係の見直し。
私も生きている限りは、少なくとも子や孫に心や行動の流れの責任を自覚していかなければならない。
一生が勉強であって、努力である。 いつも母が言うように。

猛暑日が14日でストップ、と言っても34度はゆうにある。 また1週間猛暑日が続くとラジオが言う。



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