あちこち百花繚乱・・家々の庭先にも花が咲き乱れている、今年は早いうちから特に。
庭のない我が家では玄関先にプランターや鉢植えが所狭しと並んでいる。
何年か越しのミニバラが、今年はめちゃくちゃ蕾をつけた。
NHKの”趣味の園芸”が好きで、録画しては楽しみとして拝聴、私なりに寄せ植えや手入れの参考にしている。
大きな花瓶にさすほどの背丈もなく、一輪挿しにしているが、その可愛いゴージャスでない雰囲気が
何とも我が家らしいかも。 今、ピンクや赤や黄色の蕾や花が沢山ついている。
で、あまりに花が咲きだしたので、マーガレットの切り花と共にご近所さんへ差し上げている。
「一輪挿しにどうぞ」
このピンクは、一月帰省した時島のお店、サンプラザで買ったひとつ。 何も田舎で買って帰らなくてもと思ったが、
この花を見るたびに故郷を思い出したり、いっそう愛おしさを感じ育てると思うから。
今朝、友人4人でお茶をした。
お酒を飲まないご主人は「即ご飯だから食事は大げさに言えば10分ほどで終わります」とか。
「わー・・いいなぁ」「お酒のあてがいらないからいいよね」「早く片付くしいいなぁ」
我が家は週に1,2回は休肝日をとお医者様から、それも若い時から言われているのに夫は守ろうとしない。
「自分の身体の飲み量は分かるわい、無茶な飲み方はせんぞ」と言う、いつも。
「うちはね飲むから長くなると1時間も食事にかけたりするのよ、私が飲めれば、一緒に楽しめるのにね、
夕食の時眠くなる時もあるのよ、飲むからおかずは少しづつ色々種類が欲しい人だし」
嫌ではないから愚痴ではないが、うっかり言った。
そしたら先輩が「ないものねだりかも知れないけどね、主人がいなくなって二人でお酒も飲んでいたのに、それもない。
一人で静かに食べてすぐに終わるのよ。 話すこともないから、静かでね・・時間もいっぱいあるけれど寂しいよ」
話し始められた時(あ・・やってまった・・)鈴愛や律のまね、最近使うようになった、朝の連ドラのそれ。
一緒にいる人のそれぞれに、心を慮ることなく口にしてしまった。
昨年師走、ご主人さまがご病気で亡くなられた。 まだ月日は浅い、寂しさを増してくる時である。
還暦にあと二年と言う時、世界一好きだったそれも健康そのものだった父が事故で亡くなったときにそれを体験した。
二人目長男が1才、私26歳の時だった。 当初悲しいけれど急な死が自分の中では受け入れられなくてぽかんと心に穴が開いた
ような、月日が経つにつれて電話でも聞けなくなった声、会えなくなった現実が日増しに寂しさを増して、思い出してはぼろぼろと
涙していた。
先輩も独り住まいになられて今が一番、何をしても家のあちこちに思い出が甦りお辛いであろうと思う。 実際そうよと言われた。
ご主人の命の期限を宣告されて過ごされる中、「主人が喜んでくれるのなら、喜んでもらおうと思うとどんな事でも受け入れられるわ、
言葉を返したりしていたようなことも、一日でも多く一緒にいたい生きていてもらいたいと思うと、なんでも聞けるようになった」
でかけた帰り道、健康の為にと自転車を押しながら歩く先輩が、しみじみと話される事がらに、涙がぼろぼろとこぼれ止まらなかった。
歩いておられる所にお声をかけしたのだが、私は聞かなくては行けなかった出会いであり話なのだと思った。
当たり前のように朝起きても隣にいる、出かけても帰ってくる、でも若い時と違いそこに当たり前でない事も今は想像したりするけれど。
先輩と別れて家に向かう時、聞いたと言うことは自分もそうしなければ・・心して夫に寄り添って生きて行かなくては・・やっぱり
一人はいやだ、一人は寂しい、いつまでも一緒にいたい。
周りには、ご主人さまを亡くされた方が何人もいる。 不用意な贅沢な言葉は心し慎まなければ・・。
そう言っても、時に何かあると可愛くない私の本性がむくむくと現れる時があるのが現実である。
だけど・・だけど・・失ってから・・ではなく、今一緒にいる間に反省を繰り返しても、少しでも本物の夫婦になりたいと思っている。
高校を卒業して姉のいる京都に行ってすぐに、姉が嵐山で結婚式をあげた。 雨だった。
「おめでたい日の吹き降りは、縁起がいいと言われます」と言う、どなたかの祝辞を良く思い出す。
そして「結婚するまでは、相手を両方の目で見なさい。 結婚したら相手を片方の目で見なさい」
その祝辞も、今でもはっきりと覚えている。 誠にまっとうな言葉である。
私・・片方の目で、夫のいいところだけを見ているかな? 時に両方の目で見てはいないだろうか。
連休の終わり、思いは深く・・。
子供は親を選んで生まれてくることはできない、が、夫は自分が選んだ人である。
母の口ぐせ、「人生、一生が勉強、がんばろうで」 よし、がんばろう。