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日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 港区民卓球大会 *

2012年03月04日 | 行事

若かりし頃は、同じ色柄のセーターを着たりする事は嫌ったし、とうてい肩を寄せ歩くなどもってのほかだった。
それは気恥ずかしさなのか、男たるもの・・のたぐいなのか。
卓球も過去の、栄光に輝いていた頃から少し年月が経った時頃から「見に来んでもええで」と言っていた。
負ける所など見せたくないし、プライドもある。 分かるので当分は行かなかった。

それがある頃から、何の抵抗も無くなったばかりか、映画でもなんでも出かける時は2人が都合いいようになった。
「行くね」とかまかけたら、「11時頃来い」とか言うようになって、むしろ喜んでいるように見えていた。
記事を書きながら今気付いた。 (え? それってもしかして更新ネタがないから、写真撮ってもらえると?)
嫌、でも紅葉でも映画でも何でも誘って来るものね、年とって来ると1人では恰好つかなくなるのかな。
そうかも、私も1人より2人の方が都合いいもの、夫がいる方が常にバッグにひそめているカメラ、向け安いもの。

「何時頃行けばいい?」「11時頃やなぁ」「うん、じゃぁその位に」 
洗濯や掃除がすっかり終わったのが11時前、ダッシュで出かけた。 お昼ごろの予報に反して雨が降っていた。 
行ったらちょうど試合をしていた。 夫のスポーツバッグを見つけてそこで観戦した。
出ている仲間の方たちとも話しながら、夫の今の卓球にかける姿勢や日々の様子が伺えた。
「けんつくさん、もう真ん中ですればいいのに、結局は細かに動くんや」 
皆さん夫が手術してボルトが4本入り、現在はまた腰痛があることを知っていて、気遣ってくれているのが分かる。 

私も日々の夫の様子で心配なだけに、試合に出て行く度に(勝って欲しくない)と内心は良からぬ事を思ったりする。 
団体戦ならそうは行かないし、やるからには上位を目指すのが本心だろう。
健康な訳ではないのだから、もうここまで来たら無理せずにいて欲しい。 練習にもあまり一生懸命に行って欲しくないのである。
見送る度に「無理せんといてよ」と言うが、「自分が一番よう分かっている。 馬鹿じゃないんだから無理はせん」
そう言うが、やりだしたら練習と言えども手は抜かない筈。

日頃の卓球の日、行事ごとや私用と重なる時があるが、私は出来るだけ家の方を優先するように勧めている。
いけない妻だと思うが、夫の身体は家族のものなのだから。 人とは違うんだから・・もうここまでやって来たんだし。

しかし、出場者には結婚当初からやっている人も多い。 皆さん長く続けておられる、頭上がそれを表したり
やって無い時の歩き方に老いを見てしまうが、気は・・ハートは熱い。 純真だ。 微笑ましい位に。

夫の戦う姿を見ながら、やっぱりやりだすと玉を追っているものの、若い頃と違いついて行けないし、行かないのは、
自分の身体は自分が一番分かっていると言った言葉に値するのかと思えた。

高校卒業し就職する私を見送る時、「命の次に大事なもの」と言ってくれたラケット。  
それほど愛する卓球、負けた姿よりは勝った所を見たい・・だが、充分に素晴らしい足跡を残してくれている。
夫はあがれなかったけれど、腰をすえて最後まで観戦した。  

常に高見をめざす真面目な夫には”感謝状”を送りたい。 夫の精神はきっと子供たちに流れていると思うから。
長い事立っておれないので床に座って観戦していた私に、「これ敷いたら違うで」と自分のダウンを差し出した心にも感謝状。
10数人で楽しい反省会、飲みに行くので、1人で帰った。 雨でも気持ちは晴れ。 
ただ、写真がうまく撮れなかったのが申し訳い今日の私。 来年はもっと上手にとってあげよう。


* ひなまつり *

2012年03月03日 | 行事


夫は半ドン。 私は診察日。
「注射と薬をやめてみようかと」 (出来れば自力で)と言いたいところだが、お隣さんとは言え患者から医者に向かって言えない。
それでも「注射はもういいかなと」と言ったら、「じゃぁ膝の注射始めようか」と言われ、ギョ!  
そうだ、あの腰から下の激痛の日々、ベッドにさえ横になれず膝も腰も注射に耐えるのは嫌だと、膝の注射は拒否したのだ。
今日からと言う心構えもなかったが、思わず「はい」と言ってしまった。 
目をつむって耳を押さえて・・両膝にヒアルロン酸注射。 痛!・・) 本来は膝、こっちが本命だったのだ。 

この後買い物に行く予定だったのに「やめといて下さい」と言われた。 やめるどころか歩くのが痛くて即効はとうてい無理。
でも今日のひなまつり私の持分のお寿司と何か作らないと。 お寿司だけは痛みをこらえぼちぼち作った。

夫が帰宅し行ってもらおうと思ったのに、寝不足みたいなので頼むのをやめて自転車で行った。 帰ったら2時半。
愛ちゃんが4時40分に長女に車を頼んだようで、助かった~。
集合場所は次女宅。

 車が乗れる長女は、一番のケーキを。 6日が展君の誕生日なので、一緒にお祝いしようと気をきかせて・・

 

 私の出番

あり合わせで・・

毎日、夕方5時まで仕事で忙しかった愛ちゃんが・・・


前夜38度3分熱のあった次女が・・

それぞれが持ち寄ってくれて、ひなまつりの始まり。 乾杯! 展君にも乾杯!
女の子2人、少し前の女の子3人、かなり前の女の子1人。 女子6人と男子4人。 香港と仕事で2人は欠席。

女の子の節句ではあるが、主役はやっぱり孫たち。

 いっぱいだったおなかが少し落ち着いて・・いよいよ

 孫たちの好きな、ろうそくのフー。

こうして、事あるごとに集まる。 それが我が家の流儀、我が家の家の流れ心の流れに。
3人娘、2人の孫、それぞれの女の子たちが、すこやかに幸せで過ごせますように・・。
みんなの笑顔を見ながら、私は実家の兄嫁さんが手作りのひな人形に添えてくれたやさしい言葉を思い出しながら、
密やかに、楽しませてもらった。
「みくさんも孫の為でなく、自分のひな祭りを楽しんで頂きたいでーす」 お気に入りの言葉になった。


* 発表会 *

2012年02月26日 | 行事

昨日まで5日間、10度を少し超えていたのに、発表会と言うのに今日は最高気温7度、いじわるな気候。
8時20分、長女が息子一家、次女母子、私たちを車で拾って出発。
「これで全員やな」ひろとが言った。 香港のセイ君、我が子の発表会に仕事で参加出来ない展君、
2人をのぞいて10名、そう全員なのだ。  何かと言えば、全員が揃うのが当然のようなひろとの言葉が嬉しかった。

9時開会。 年長さんからの合奏、合唱が始まる。  それからは、年長さんからの遊戯、0歳児までみんな。
なつめの演奏はピアニカと鉄琴で「マル マル モリ モリ」と「おもちゃのシンフォニー」踊りは「レインボウレインボウ」
「キッドビクス」 声が大きいし、先生の言われる事を真面目にするし、あてにされている。 演奏も遊戯もバッチリ。
生まれたときは大変だった事が思い出され、なつめを見ていると健康なうえ、その成長ぶりに涙が出て来る。



かんたは同じ1歳児の中でも、4月生まれ2歳になっているので、3月生まれの子との1年近い差は大きい。
「たいこたいこドンドン」 の遊戯はばっちり。 泣いている子、きょろきょろしている子、踊れない子・・
そんな中で、平然とそして言うことなしの踊り、最後の決めポーズもばっちり。 



0歳児から年長さんまで、昨年もそうだけど先生方が夜を徹して作られた衣装、新しい歌の数々がいっぱい。
「Boy Friend」 「BORN THIS WAY」 「MR TAXI」「素敵な日曜日」など、大人顔負け。
これだけのことを覚え、教えるのって、先生のご苦労は並々ならないものがある。
時々なつめが演奏や遊戯、先生の厳しさを話した。 先生は全員人何点をくれるか不安そうだった。

脇で写真を撮りながらも、どの組の演技でも胸がいっぱいになり、涙が出て来たりするし、手を休めて
終わりには拍手を一生懸命にする。 ビデオを撮るのは分かるが、我が子や他の子供たちのこれまでの
努力、先生方のご苦労に対してももっと拍手をして欲しい。
どうしよう・・幕間のとき「みなさん、子供たちのがんばっている姿に、もっと大きな拍手をしましょう」と言いたい、
言えたら・・何度も思ったが、その勇気がなかった。 先生に言おうかとも思った。 情けなかった。
手があいている人でも拍手がない。 見れば自然に手をたたくだろう、それさえ出来ないのが不思議で仕方ない。

色々な講演会などに行っても、同じような思いになる。 講師の紹介や始まりや終わり・・
拍手は礼儀では無いだろうか。
時代が変わった? 時代が変わっても、変えてはならない事がある。 親の質が変わって来たのだろうか。

遊戯が終わって、愛ちゃんがなつめとかんたに手土産を、ひろとの手紙を添えて渡してくれた。
このような心遣いが、とても嬉しかった。 
帰りに、孫たちの好きな回転寿司「くら寿司」へ。 注文の品を新幹線が運んでくるし、お皿5枚について
1回のガラポン抽選、当たればおもちゃが出て来るから子供にはお楽しみなのだ。

食後息子一家は解散で送り届け、夫は出かけ、後は我が家で撮ったビデオを見た。
写真やビデオを撮っていると、自ずと我が子我が孫に集中し、全体の雰囲気が見えていなかったりする。
この日が近づき始めた頃から、そして昨日は特に、「緊張するわぁ」、ドキドキ」と何度も口にしていたなつめ、
そんな緊張の表情が思い切り伝わるビデオだった。 
終わってほっとひと息ついた。  それは親も子も、みんながほっとした今日。  お疲れ、お疲れ。


* 85歳の誕生日を祝う *

2012年02月04日 | 行事

気温は低いが、陽が差すとその場所は暖かくて気持ちほっとしていた。 
今日は立春、明日からは少しは気温もあがるようだ。
いつも車の中からここを撮ってしまうのは、島育ちだからだろうか、波もたたず穏やかな新淀川から湾岸線を望む。

1月27日は神戸の婦人の85歳の誕生日だった。
その頃は娘や孫のインフルエンザやなんやでざわざわしていたし、夫人にうつしては・・と延期していたのだ。  

 

近代美術館の上には、奇妙なカエルのバルーンが・・! 
「解剖と変容:ブルニー&ゼマーンコヴァーチェコ、アール・ブリュットの巨匠」展開催中で人通りが多かったのだ。
専門的な美術教育を受けていない作り手が、芸術文化や社会から距離を置きながら制作した作品と書いてある。
本展では、世界有数のアール・ブリュット・コレクション、関連資料によって、生物の形態の解剖学的変容をテーマに、
チェコ出身の画家アンナ・ゼマーンコヴァーとルボシュ・プルニー日本で初めて本格的に紹介。 でカエル?



1人では鍋料理も無いだろうと前もって「何か鍋でもしましょうか」と尋ねたら「回転寿司がいい」と言ったので、
いつものスシローへ行った。 昨年の何月だったか生まれてはじめだと言う回転寿司、回って来るお寿司を自分で
とるのがとても嬉しそうで、以来出向いた時のお昼は回転寿司になった。
それまでは朝から3人分のお弁当と、何日分かの料理を作っていたから私には有り難い。 私たちも回転寿司ファンだし。

お昼を少し過ぎるので人待ちもなく気軽に1時間を過ぎるほど話し込む。 いっぱい積もった話を聞く。 
電話で聞いた話や同じ話をすることも多いが、初めて聞いたように聞く。 私は娘に良く「聞いたわ」と言われるけど。
私の場合はまだ62、言った事に対しての意識調査みたいに鍛えてくれているのだろうと思って笑ってすませているが。
時には外へ出たくないと言うこともあるので、外へ出る事を選んでくれた事にはほっとしている。
身体のあちこちは少しづつ衰えを増しているが、食欲は旺盛で私たちと同じだけ食べてくれる。 
まだ家事でも自分で努力出来るのは、綺麗ずきだし、してくれる人のいない1人暮らしと言う責任感や気甲斐性だと思う。 

食べた後は、港辺りをいつもドライブする。 それは夫の優しさでもある。
阪神淡路大震災のとき住んでいたアパートや船で灯油や食料を運んだ海岸、この時期は思い出したくないと言っていた。 
しかし寒い時期災、倒壊したアパートで1人生きていたと言うその奇跡は、ともすれば希望の見えない暮らし悲想感の中で
「生かされている命なんやからがんばろうよ」と、婦人を励まし続けるのには有り難かった。



今日はずっと震災のときのことが話題だった。 
年月の経過と見事な神戸の復興のお陰で思い出として、時には笑いながら話せるようになった事は嬉しい。
しかし以来親交の深かった友達を次々と3人も、1週間前には最後の友達を失った寂しさははかり知れないだろう。
「1人になったわ・・」 つぶやくように言ったその言葉を重く受けとめた。

ポートアイランドから夫人の好きな神戸空港を回り1時間のドライブ。
それから帰ってお祝いをした。  朝買ったときは蕾だったチューリップ、来る時車の中で1輪咲いていて
ドライブして留守の部屋ではまた蕾んでいた。 話しこんでいるとまた開きかけた八重。
花の明るさは少しでも心が癒えるかな・・、最近は行く度に鉢植えを届けている。 大切に育てて下さるし。

先だっては、住宅の1階ホールの大きく重いドア、入って歩く歩数よりドアが閉まるのが早くて転倒して頭が悪くなったと言う。
部屋で転びそうになって思わず流し場に手をついたと言い、思い切り脇を打ちかなり痛いらしく湿布をしていた。
最近は部屋でも時々転びそうになるし、座布団へ座ったり立ち上がるのも大変でもっぱら椅子生活になった。
電話が鳴っても急がないでねと、以前より長く出るのを待つようになった。
互いの実家の兄嫁さんたちも、変化する母たちに細やかな配慮をして下さっている日々、私は夫人との対応の中に
兄嫁さんたちのご苦労をほんの少しなりとも感じることが出来るとすれば、少しだけは申し訳になるかなと。 

ハッピーバースデーを歌い、うっかり「お母さんろうそくふーして」「痛うてできひん」 「そうやったね」私が変わりにふー。 
85歳のお誕生日。 来年もまたこの部屋で元気でお祝いしたいな・・と念じながら。

楽しく過ごした後の別れは辛い。 いつもベランダから見送るが「痛いからもうここでね」と部屋で両手を握った。
いつの間にかしわが増えて冷たい手だった。 「最近手が冷とうて」 「部屋用に指先のない手袋見つけて送るわね」
やっぱりベランダまで出てきて、手を振っている・・痛くない反対の手で。
「おかん、またくるけん」 夫が大きな声で叫んで、クラクションを鳴らした。

「辛いね・・見送られるのは」 身を乗り出すように首を斜めにして手を振る姿には、いつも胸がいっぱいになる。 
少し沈黙が続く。 2人とも言葉にすると涙が出そうになるから。 
「もう少し足を運ばなあかんね」 「そうやなぁ」

夫人の家にいる時に、夫へ長女から電話があった。 が、内容は夫は話さなかったし、聞かなかった。
帰宅したら長女と、次女孫たちが来ていて、夕食の鍋の用意をして待っていてくれた。
娘たちが夕食の準備をして待ってくれると言う、そんな内容夫人の前で言えなかったのだ。
孫も交えた賑やかな夕食、1人ご飯の夫人、持参した手料理を今頃食べているだろうなぁ・・それだけは救いであった。

 


* 節分 *

2012年02月03日 | 行事

洗濯ものを干しに屋上へ上がった。 風がぴゅーぴゅー・・「しゃむ~い!」
まだ陽射しがあるから少しは温かいと感じる。 6時0度。  昼間でも台所は20度の設定だが、お風呂場付近は7度。 

梅一輪 一輪ほどの 温かさ 本当に一輪だけ咲いていた。



10時から保育園の節分。 昨年は次女が仕事で私はかんたを連れて見に行った記憶がある。
今日は長女と仕事がお休みの次女が行った。 鬼のかぶりもので人が中に入っていると言うのに昨日から恐怖ななつめ。

かんたは初めての行事・・やっぱりすぐに泣いたようだ。 子供の場合連鎖反応で泣く。 昨年は部屋だった。
みんなが隅っこに固まったり、先生にしがみついて泣きやまず大変だった(大人たちは面白かったが)
先生に豆をもらって投げる時にはさすが男の子、かんたは気を取り直し投げていたそう。 

 

なつめは今回も鬼が出て来たら、もう号泣。 ずっと先生にしがみついていたようだ。
かぶっていたお面もはずれていたのに、無いことにも気づかなかった位怖~い鬼。
まぁ、クリスマスのパパの全身サンタクロース、気付づかずほんまもんのサンタクロースって思っているんだもの。
いずれ分かるのだから、ほんまもんの鬼だと泣く今は、貴重で可愛い。



朝から子守しながら巻きずしの具材を炊いた。 ゆいちゃんも良く遊んでくれる。
お昼寝のとき巻こうと思っていたのに、今日はいつになく早く起きた。

「あかん! さわったら駄目よ~!」 「あ! 駄目って言ったでしょ!」 何度言ったか。
最初に巻いたのを切って義父の写真にお供えしようとテーブルに置いていた。
にっと笑って顔を覗かせたゆいちゃん、テーブルから出ていた顔が消えた。 
静かな時は要注意!
テーブルの向こうへ回ると・・「ゆいちゃ~ん! おじいちゃんのんやで」
しゃがんで3個のお供えの巻き寿しをほおばっている。 しめしめ・・と言った風に。 

一升の酢飯を作ったが、具材が残ったし、サラダ巻きやウインナー巻きも・・と、6合追加で炊いた。
一升六合で30本。 神戸へ4本、お隣りへ3本、仕事の息子たちへ4本づつ・・後の15本は自由に・・。
巻き寿司大好物な夫は少し食べて卓球へ。 

今年の恵方は北北西。 長女、愛ちゃん、次女、孫4人・・私も含め黙々と丸かぶり。



「一本無理、食べられへん」と言っていた長女や次女・・切ると縁起悪いので、なんだかんだ言いながら、一本完食。

今年も賑やかな節分だった。 
豆まきは田舎のように、「鬼は外!」と言う訳にはいかない。  家の前で小さく「鬼は・・外・・」
部屋の中で豆まき・・孫たちに大うけ! 豆まきで邪気を払い福を。 明日は立春。 

最後はケーキで〆  ママたち明日は仕事お休みなので、9時お開き。