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唱元  不安を克服するには

2009-02-11 | 無能唱元・唯心円成会
 不安というものを放置しておけば
私たちの人生に喜びはありません。いきいきとした人生を過ごすことは不可能です。では不安を葬り去るこはできるのでしょうか?
 その前に次のことを理解してください。

 一度芽生えた不安は、無理やりに抑えつけることはできない、ということです。つまり「不安を恐れてはいけない」と自分に言い聞かせては良くないのです。なぜならば、抑えつけようとしていることこそそのものがすでに不安を助長している行為だかです。
 不安を克服すためにいくつかの方法を考えてみましょう。
 まず、第一に不安の正体を漢然としたものにしておいてはいけない、ということです。それは、精神的外科手術みたいなものです。

一、不安は抑えつけておかず、目の前へ出してみることです
二、具体的に自分がどうなる結果を恐れているのかを理解すること
三、その結果が生じてしまったならそれはその時のことだと思い極めること
四、その問題が解決したシーンを繰り返し瞑想して、アラヤ識に入れること
五、それがすでに解決してしまったように、日常動作を振る舞うこと

 まず最初に、不安が自分にあるということをあるがまあに受け入れるこです。
 なぜなら弱気な心は、無意識層から、後から後から湧いてきますから、一旦生れた不安を抑えることは至難の業です。
 極端な言い方をすれば、不安が頭をもたげてきたら、それはそのままにしておいて手をつけるなということです。
  考えてみると、不安は抑えつけようとしても、たいてい徒労に終わります。他のことを考え、頭の中から不安を閉め出そうとする人もいますが、これはどうしてでしょうか?
 それは問題解決を先延ばしにしょうとしているに過ぎません・忘れたと思ってもも、遅かれ早かれ不安は私たちを圧倒せんばかりに、しかも以前よりも大きくなってやってきます。

 私がここで言いたいのは
 「不安というものは抑えつけずに、ここに出してみろ」ということです
 それができたら、次に、不安の正体をはっきりさせなくていけません。
私たちは不安の正体を何が原因だと漢然とは知ってはいません。それが案外明確にはなっていないことが多いのです。
 じっと自分の不安を直視してみましょう。次第に「失敗すれば他人から笑われことを恐れているのではないか」「人に偉い人だと思われたかった」などということがわかってきたりすることがあります。たとえば、会社で昇進したばかりの人が「自分は管理職にふさわしい人間だと思われたかった」のではないか、だから昇進という重荷に不安を募らせていた、ということがわかってきたりすることもあります。

 何かを決断するときなど、不安に押しつぶされそうになったら、自分を襲っている不安を直視してみるのです。あるいは、分析してみるのです。すなわち、それが不安そのものを理解しようとすること、あるがままに観るということなのです。
 つまり、不安を明るい場所へ引きずり出そうということなのです。そうすれば、

昼間のお化けのように「見たなー」いって恨めしげに消えていってしまうことでしょう。

<不安の正体をはっきりさせなくていけません
 年齢を重ねると、健康面に不安感が湧き出てきたりしますね・・瞑想して、、私は活かされ健康だ・・大宇宙の力・オーラ と 一如であると・・今活かされ 感謝 感謝

<不安そのものを理解しようとすること、あるがままに観るということなのです
 金が無い・・明日は如何しよう・・不安が沸々と湧き出る・・今の金がある・・
今の生活費はたりている・・今を あるがままに・・

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ありがとう という言葉を いつも 使いましょう
良いことが  きっと 増えてきます
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人生の目的
 人生の目的は、楽しくすごすことだ。氣持ちよく生きることだ。
 金持ちでも楽しくなければ、目的を見誤っている。
 貧しくも楽しければ、その道は間違いではない。
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今サッカー中継で、国歌を学生合唱で歌ってます・・良い事ですね

7日 ハイドン作曲 『天地創造』 指揮:・ブリュッヘン 新日本フィル

2009-02-08 | 京都市響  ・新日本フィル 
すみだトリフォニーホール 1F・6-20・5,500円安い


 歌手3名の歌唱力、存在感が高いし、オケも指揮:フランス・ブリュッヘンのもとよく反応していたのでは、素晴らしい音楽ですね・・ハイドン・丼は海鮮丼ですね・・音楽、旋律の具盛り沢山ですね・・天からの恵み・・地上からの恵み・・自然界と人間界の営みと・・恵み・・一如の世界
 3部はイヴとアダムの対話が素晴らしい二重唱で、バロックオペラ?ですね・・
対向配列で左1st 右2nd の弦の役割、旋律感も楽しめ、又オーボエ、フルート、クラリネットとの歌が良いですね、
 3部は右にイヴ・ソプラノ、アダム・バス(バリトン)を配し二重唱が絶品ですね、左に天使ウリエル・テノール歌唱の声域も好みですね・・

 初見でしたが、音楽に抵抗無く惹きこまれます、旋律が快活、煥発と弦の弱音が美しいですね、3時から20分休憩5時25分と長時間ですが、短く感じました

 32 二重唱
愛らしい妻よ・・・・アダム 
おまえの側で飛んでいく そっと 時が
全ての瞬間が無上の喜び:
心配は無い おまえを雲らせるような

氣高き 夫よ!・・・・イヴ
あなたの側で泳ぐ 喜びに 私の心は
あなたに捧げるのが私の人生
あなたの喜びを 私の報酬にしてください

霧に 濡れた朝・・・・アダム
おお なんと喜ばしいことか!

涼しい夜・・・・イヴ
おお なんと元気になることか

なんと 元気を 回復させてくれることか・・・・アダム
果実の果汁は!

なんて 魅力的なことか・・・・イヴ
花々の 甘い香りは!

だが おまえなしで それが私の 何になろうか・・・イヴとアダム

朝の霧・・・アダム
夜のそよぎ・・イヴ
果実の汁・・・アダム
花の香り・・・イヴ

          イブ と アダム
おまえと共に高まる それらの喜びは

おまえと共に 享受し 倍になる:

おまえと共に 永遠の 生の幸福がある!

おまえに 全てが捧げられ 存在する

33 ウリエル(テノール) レチタティーヴォ
おお幸せな2人よ そして幸福は常にある
間違った妄想が そそのかせねば
より多く欲せず おまえが持つよりも
より多く知ろうとせず おまえが存在するよりも!

ハイドン作曲 オラトリオ 天地創造
指揮:フランス・ブリュッヘン
天使ガブリエル、イヴ : マリン・ハルテリウス(ソプラノ)
天使ウリエル: ジョン・マーク・エインズリー(テノール)
天使ラファエル、アダム : デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(バス)
合唱:栗友会合唱団


主催:(財)新日本フィルハーモニー交響楽団
共催:すみだトリフォニーホール
平成20年度文化庁芸術創造活動重点支援事業
助成:(財)アフィニス文化財団 アフィニス エチケット
    (財)花王芸術・科学財団
特別協賛:アイエヌジーバンク生命保険株式会社
       アイエヌジーバンク エヌ・ヴイ 東京支店
後援:オランダ王国大使館天地創造ハイドン・天地創造
 当時のハイドンは、2度目のロンドン滞在を終えてウィーンに帰ってきたあとに1796年から1798年にかけて作曲された。作曲を依頼したのは興業主として活動していたヨハン・ペーター・ザロモンであった。「旧約聖書」の「創世記」第1章とミルトンの「失楽園」を元にして書かれた英語の台本のゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵(Gottfried van Swieten)によるドイツ語訳に作曲された。
1798年4月29日、ウィーンのシュヴァルツェンベルク侯爵邸において作曲者自身によって初演されたが、これは非公開で行なわれ、公開初演は1799年3月19日にケルントナートーア劇場で行なわれた。初演は大成功を収め、その様子をスウェーデンの作曲家ヨハン・フレドリク・ベールヴァルド(フランス・ベールヴァルドの従兄弟)は「大変な拍手喝采だった」と伝えている。のちに楽譜は1800年に出版された。
現在でもウィーンでは新年の初めの演奏会に恒例として演奏される。
編成
ソプラノ独唱:ガブリエルとエヴァ、アルト独唱:特に役はなし、テノール独唱:ウリエル、バス独唱:ラファエルとアダム 混声4部合唱 管弦楽(3222Kf,2330,Pk,Str.)。
演奏時間
約1時間40分(各35分、35分、30分)。
構成
全体は3つの部分に分けられ、第1部で天地創造の第1日から第4日までが、第2部では第5日、第6日が語られ、第3部では第2部で創造された人間の男女、アダムとエヴァの姿が語られる。
] 第1部:第1曲 - 第13曲
加藤氏ブログ

 フランス・ブリュッヘン(Frans Brüggen, 1934年10月30日 - )はリコーダー、フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者、および指揮者。
経歴
 オランダのアムステルダム生まれ。アムステルダム音楽院、アムステルダム大学に学ぶ。21歳で王立ハーグ音楽院教授。1950年代よりリコーダー奏者として活動を開始し、リコーダーによる演奏の可能性を格段に広めた古楽界の草分け的な存在である。チェンバロ、オルガン奏者のグスタフ・レオンハルトやチェロ奏者のアンナー・ビルスマらと共演を重ね、1950年代から1960年代にはテレフンケン・レーベルに、1970年代にはSEONレーベルに多くの録音を残した。また、ニコラウス・アーノンクール(チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者)やヘルベルト・タヘツィ(チェンバロ奏者)、そしてクイケン3兄弟(ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のヴィーラント・クイケン、ヴァイオリン奏者のシギスヴァルト・クイケン、フラウト・トラヴェルソ奏者のバルトルト・クイケン)など、他にも数多くの古楽器奏者と共演している。
 ブリュッヘンは当初リコーダー奏者としてキャリアをスタートさせ、モダン・リコーダーからしだいに古楽器へと傾倒していった。同時にフラウト・トラヴェルソ奏者としても一流の腕前を持っており(本人は苦手と言っていた)、その録音の代表的なものとしては、18世紀オーケストラの団員と共演したヴィヴァルディの「海の嵐」(SEON・1979年録音)や「アンコール」(SEON・1981年録音)などが挙げられるだろう。また古楽器の収集家・研究者としても知られ、ステインズビーやブレッサンなど歴史的に貴重な古楽器を数多く所有していた。収集した楽器の図版も出版されている。ちなみにブリュッヘンの所持していた楽器は指揮者に転身してからほとんど手放してしまったが、その多くは日本人のフラウト・トラヴェルソ奏者有田正広の手に移っている。

ブリュッヘンは1981年にオリジナル楽器のオーケストラである18世紀オーケストラ (Orchestra of the 18th Century) を結成して指揮者に転じた。この18世紀オーケストラを指揮しハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの古典派の作品を中心に、シューベルトやメンデルスゾーンなどの前期ロマン派作品なども含めて多数の録音を残している。また、エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団およびオルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティックへの客演や、現代楽器を用いるオーケストラを指揮した録音もある。
 1973年にリコーダー奏者として初来日。以来18世紀オーケストラを率いた来日も多い
動画・ハイドンの曲


4日・ハイティンク指揮 モーツァルト :交響曲第41番・シカゴ交響楽団・英雄の生涯  

2009-02-05 | 外来 演奏会・指揮者
2月4日(水)    サントリーホール2F・P5-17/16,000円・安いかな

 41番は名演奏ですね、特に2,4楽章の音楽の構築観が素晴らしい、
前日にハイドン101番を聴いた後に・・繋がりを感じさせ、逆にモーツァルトの偉大さを感じました・・2楽章の弦が美しい・・

方や、英雄の生涯は・・150㌫いや200㌫増量、お得な、お買い得演奏かな
オケの総排気量10,000CCの感じ・・・
 ホルン9本とか、出足の2本チューバの音の風圧にビックリ、私の好きなティンパニが巧いし・・来日演奏者、総出演、演奏の感ですね・・・凄い演奏でした
 ソロとの対話が旋律が美しい・・だけど、感心すれど、感動には至らなかった

ベルナルト・ハイティンク指揮シカゴ交響楽団
曲目 モーツァルト :交響曲第41番 ハ長調 K551 「ジュピター」
R.シュトラウス :交響詩『英雄の生涯』 op.40 英雄の生涯  開演 19:00

 副題に “Tondichting für großes Orchester” (大管弦楽のための交響詩)とあるように、演奏するには105名から成る4管編成のオーケストラが必要。またオーケストレーションが頂点に達している曲とも言われ、技術的にもオーケストラにとって演奏困難な曲の1つに数えられており、バルトークの管弦楽のための協奏曲等と同様に、オーケストラの実力が試される曲としても知られている。
 この曲の「英雄」とはリヒャルト・シュトラウス自身を指すと言われているが、作曲者本人は「それを知る必要はない」としており、この曲にプログラムがある事を言明していない。また曲はベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』と同じ変ホ長調が主調になっており、これはリヒャルト・シュトラウス本人も『英雄』を意識した事を仄めかしている。
1898年の8月2日から12月27日にわたって作曲された。ウィレム・メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に献呈されている。
1899年3月3日、フランクフルトにて作曲者自身の指揮により初演された。

交響曲第41番(こうきょうきょくだい41ばん)ハ長調 K.551 は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した交響曲。『ジュピター』のニックネームを持つ。モーツァルトが作った最後の交響曲である。
 1788年8月10日に完成された。同年に作曲された交響曲第39番(6月26日)、交響曲第40番(7月25日)とともに「3大交響曲」と呼ばれる。3曲とも作曲の目的や初演の日時は不明であるが、モーツァルトの生存中には演奏されていたと見られる。
 ローマ神話の神ジュピターにちなんだニックネームは、同時代のヨハン・ペーター・ザーロモン(1745年-1815年)が名付けたとヴィンセント・ノヴェロ(1781年-1861年)の『モーツァルト巡礼』(1955)に紹介されている。ジュピターはギリシア神話における最高神であり、本作品のスケールの大きさ、輝かしく荘厳な曲想を的確に表現しており、19世紀中葉にはすでに広く知れ渡っていたとされる。
 モーツァルトを崇敬していたリヒャルト・シュトラウスは、若い頃「ジュピター交響曲は私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたとき、私は天にいるかの思いがした」[1]と賛辞している。自筆稿は現在ベルリン国立図書館にある。
楽器編成
フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、ヴァイオリン2部、ヴィオラ、チェロ、コントラバス也
曲の構成
第1楽章 Allegro Vivace ハ長調 4/4拍子 ソナタ形式
第2楽章 Andante Cantabile ヘ長調 3/4拍子 ソナタ形式
歌うように優美な曲。展開部では、第1主題と第2主題の間に現れた短調の旋律が使われる。再現部は提示部に装飾を加えたものになり、最後にもう一度第1主題が現れて終わる。
第3楽章 Menuetto (Allegretto) ハ長調 3/4拍子
第4楽章 Molto Allegro ハ長調 2/2拍子 ソナタ形式
ジュピター音型で始まり、さまざまな素材を投入しながら、提示部、展開部、再現部を通じて対位法の技巧が繰り広げられる。コーダは輝かしいフーガ(フーガ形式の要件を満たしているわけではないので正確にはフガートである)となり、ジュピター音型とさまざまな素材が同時に響き合って曲を締めくくる。
ジュピター音型
第4楽章で使われる「ジュピター音型」(CDFE、ドレファミの4音符)は、モーツァルトがたいへん好んだモチーフである。
 8歳で作曲された交響曲第1番をはじめ、次のようにさまざまな楽曲に使われている。これは、古くから多くの作曲家に使われていたモチーフでもある。


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フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲の交響曲第101番ニ長調
、1793年にウィーン近郊で着手され、翌1794年にロンドンで完成された4楽章の交響曲である。ロンドン交響曲のうちの一曲で、初演は1794年3月3日ロンドン

3日 ・ハイティンク指揮 ブルックナー :交響曲第7番 シカゴ交響楽団

2009-02-04 | 外来 演奏会・指揮者

シカゴ

2月3日(火) <野村グループpresents>         2F・P6ー11 ・16,000円。高いかな?
 2曲とも、音楽に入りきれない私でした、バイオリズムが悪い・・
 そんな中、ハイドンの2楽章が白眉でした、ファゴットとか弦のリズム感とか快いですね・・曲を通して、弦がビブラートのかけすぎの様な??・・・
 7番は凄く長く感じてしまいました・・残念・・、2楽章で目の前に、4本のワグナーチューバ4(テノール2とバス2)、巧いですね、大きなラインを描き、チェロの闇美な響きがから神聖が心を感じさせてくれた・・

 全曲を通してはブラス力は凄いですね・・・今日は繰り返し繰り返しの旋律観についていけない・・・

 チューニング・・演奏前早い段階から、サラってましたが・・全員揃ってもチューニング無しで進める方式はシカゴ流ですか・・

 米国発金融危機から、世界的不景気風が流れる中、・・冠がノムラですね・・必然性を感じさせますが・・ご招待客大勢の感じですね・・
 2階C2列目かな、アルミンク新日フィルの指揮者のお顔も・・・

チューニングはなぜオーボエ・・・・ チューニング
 オーケストラのチューニングは初めにオーボエがA(ラ)の音を出し、次に管楽器が合わせます。そしてコンサートマスターが音を取り、それからオーケストラの全員が音を合わせていきます。オーケストラはオーボエなしには始められません??。それでは、なぜオーボエが基準になっているのでしょうか。
 西洋音楽におけるビブラートは20世紀前半まではソリストのためのもので(18世紀以前はかけなかったとされている)、基本的にノン・ビブラートであった。現在のように常にビブラートをかけるようになったのは20世紀後半以降のことである
ヴィブラート

ベルナルト・ハイティンク指揮ハイティンク シカゴ交響楽団

曲目 ハイドン :交響曲第101番 ニ長調 Hob.I:101 「時計」
ブルックナー :交響曲第7番 ホ長調 (ノーヴァク版)  
 
 本作は交響曲第6番の完成後すぐ、1881年9月末から第1楽章の作曲が開始された。 スコアは第3楽章スケルツォの完成のほうが1882年10月と少し早く、第1楽章のスコアは同年の暮れに完成する。
第2楽章のクライマックス部分を書いた頃、1883年2月13日にブルックナーが最も敬愛してきたリヒャルト・ワーグナーが死去した。ブルックナーは“ワーグナーの死を予感しながら”第2楽章を書き進めてきたが、その悲しみの中でコーダが書き進められ、第184小節以下をワーグナーのための「葬送音楽」と呼んだ。こうして第2楽章のスコアは同年4月21日に完成する。そして、1883年9月5日に全4楽章が完成した。
1884年12月30日、アルトゥル・ニキシュ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によりライプツィヒ歌劇場で初演された。この初演の段階でブルックナーとニキシュは入念な打ち合わせを行い、何度か手紙をやりとりしている。
 この曲の初演が大成功を見たことにより、ブルックナーは生きている間に交響曲作曲家としての本格的な名声を得ることができた。
 その後、指揮者ヘルマン・レヴィの推薦より1885年12月、バイエルン国王ルートヴィヒ2世に献呈された。
1885年に出版された(「初版」または「改訂版」)。
楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ワグナーチューバ4(テノール2とバス2)、コントラバス・チューバ、ティンパニ、シンバル、トライアングル、弦五部。ただしハース版ではシンバル・トライアングルは使われない。

 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲の交響曲第101番ニ長調(こうきょうきょくだいひゃくいちばんにちょうちょう)は、1793年にウィーン近郊で着手され、翌1794年にロンドンで完成された4楽章の交響曲である。ロンドン交響曲のうちの一曲で、初演は1794年3月3日ロンドンのハノーヴァー・スクェアー・ルームズでの同年度の第4回ザロモン演奏会でされた。自筆譜はベルリン国立図書館に所蔵されている。第2楽章の伴奏リズムが時計の振り子の規則正しさを思わせることから「時計」という愛称で呼ばれているが、それは作曲者自身が付けたものではなく、19世紀になってから付けられたものである。
 ハイドンは、この曲のメヌエットと交響曲第99番の終楽章を1793年に音楽時計のためのもの(音楽時計のための作品 ハ長調 Hob.XIX-29と音楽時計のためのアレグロ ヘ長調 Hob.XIX-32)に編曲している。



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 過去の記憶?記録・・     サントリー2F・LA4-1・15,000円 安い
21日 ドレスデン シュターツカペレ
指揮・ベルナルト・ハイティンク
ブルックナー 交響曲第8番 
オケ固有の響きと木管奏者の技量の高さと 弦の合奏力 が優れもの・・大河を流れ・・幹の太さ・・弱音から高音までの ダイナミックレンジの幅の広さを感じさせた・・秀演となる

過去のブルでは ウィーンフイル ハイティンクの7番を 超えた 感動が
2004年05月26日

31日 1日 ラ・ジョコンダ  藤原歌劇団

2009-02-02 | 藤原歌劇団 ・二期会
            文化会館31日・5F・R2-35・2,000円・超安い、1日・4F・R2ー20・3,500円・超安い
素晴らしい出来です、歌手陣が充実です、指揮,オケも煥発、音が弾けてます
 随所に合唱を織込み、それにアリアが素晴らしい、ヴェルディ節にフランスワインの琥珀な芳醇な香りを漂わす感じもあり、音楽が素晴らしいですね・・ハマった感じ・・連続で楽しめました・・初見で、予備知識もいれず観に行きましたが実に良くできた、音楽ですね・・
 3幕2場の、バレエ音楽も良かった、弦が躍っている、歌っている、フルート、オーボエが巧いです・・・
 筋書きが何かに似ている??・・オテロ??・トスカ??・嫉妬 嫉妬 と 恋敵から 嫉妬・・不倫・・愛・・自害へ
1幕から惹きこまれますね・・
 エンツォ・・チョン・イング  笛田 博昭・・ご両者モテモテですね2人の女性から・・方や片思い 方や人妻でありながら 両思いに・・其の夫の復讐 嫉妬
 女と女 性の争いとか・・嫉妬 テンコ盛りの筋書きですね・・面白かった
笛田博昭さん2年振りに聴きました、益々良くなってますね、以前から天声の中音、低音声域が素晴らしく、其れに高音声域の切れ味が増し、素晴らしいですね
 一番ブラボォーをうけてました、4幕のジョコンダ とバルナバ との対立
エンツォ とラウラ の二重唱・・・ジョコンダの恋敵を救い・・自らは死
祈りの音楽とか美しいですね・・

 外人組は競演?声量、歌唱の饗宴に?近い感じが、方や日本組共演して共振し合い、音楽、歌唱から特に4幕の下原千恵子の歌唱、感情移入、演技には涙ものでした・・笛田博昭、森山京子・・二重唱も最高ですね
鳥木弥生、二渡加津子・・信じ深い清い心を謳い上げてましたね
堀内康雄・・憎たらしさ、ドス?歌唱では堀内かな、牧野正人、心の片隅に善人の影もある感じも良かった・・

 指揮者菊池彦典の手腕によるところが大きいですね・・音楽の流れ歌手への歌わせ方が伸び伸びと、そしてオケの統制能力が際立ってます、二日目一段と東京フィルの弦群の合奏力、木管特にフルートの女性、オーボエの男性と巧い・・アンサンブルは特筆ものですね、・・良い味だしていました ちなみにコンマスは荒井氏・・・・19,22日の東フィルのヴェルディ・レクイエムに期待大ですね・・

ジョコンダ エリザベート・マトス 下原 千恵子ジョコンダ
エンツォ チョン・イング  笛田 博昭
バルナバ 堀内 康雄    牧野 正人
アルヴィーゼ 彭 康 亮   党 主税
ラウラ  エレナ・ガッシアン 森山 京子
チェーカ(盲女母)・鳥木 弥生  二渡 加津子
ヅァーネ     坂本 伸司
イゼーネ     納谷 善郎
聖歌隊員    小田切 貴樹
水先案内人   水野 洋助
合唱    藤原歌劇団合唱部
児童合唱 多摩ファミリーシンガーズ
バレエ   スターダンサーズ・バレエ団
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団
指揮 菊池 彦典  ・・・・・・・・・・・・(人名敬称略)

初演 1876年 4月 8日、スカラ座(ミラノ)
設定 17世紀、ヴェネツィア
登場人物 ジョコンダ…歌姫(S)
エンツォ・グリマルド…サンタフィオル公爵(T)
チエーカ…ジョコンダの母親(A)
バルナバ…密偵(Br)
アルヴィーゼ・バドエーロ…貴族、宗教裁判所長官(B)
ラウラ…アルヴィーゼの妻(MS)


 アミルカレ・ポンキエッリ(あるいはポンキエルリ)(Amilcare Ponchielli, 1834年8月31日 - 1886年 1月17日ミラノ)はイタリアのオペラ作曲家。
クレモナ近郊のパデルノ・ファソラーノ(現パデルノ・ポンキエッリ)に教会音楽家の家庭に生まれる。9歳で奨学金を得てミラノ音楽院で音楽を学び、10歳にならずして最初の交響曲を作曲した。音楽院卒業から2年後の1856年に、アレッサンドロ・マンゾーニの有名な小説に基づき最初のオペラ《婚約者 I promessi sposi》を作曲し、この作品でオペラ作曲家としての名声を次第に築いていった。最も有名なオペラ作品は《ラ・ジョコンダ La Gioconda 》(1876年初演)で、ヴィクトル・ユーゴーの戯曲に基づきアッリーゴ・ボーイトが脚本を書いた。
 初期の経歴は不遇であった。選抜試験で手に入れたミラノ音楽院教授職から追い出され、小さな都市でつまらぬ仕事をして糊口をしのがなければならなかった。転換点は、1872年における《婚約者》改訂版の上演で、これによって楽譜出版社リコルディやミラノ音楽院当局ならびにスカラ座と契約を結べるようになったのである。バレエ音楽の佳作《2つの双眼鏡 Le due gemelle》(1873年)によってポンキエッリの名声は確固たるものとなった。
《ラ・ジョコンダ》の後でポンキエッリの音楽的な創意は落ち込んだかのようで、その後のオペラで同じような成功に出くわすことはなかった。1881年にポンキエッリはベルガモ大聖堂の楽長職maestro di cappellaに任命され、1883年から母校ミラノ音楽院で作曲家教授を勤めた。ジャコモ・プッチーニやピエトロ・マスカーニは門人である。1886年、急性肺炎のためミラノにて没。 ヴェルディはポンキエッリの訃報に接し、次のように言った。
 可哀想なポンキエッリ、あんなにいい奴だったのに、あんなに立派な音楽家だったのに。
生前ポンキエッリは人気と影響力に非常に恵まれ、拡大されたオーケストラと、より複雑なオーケストレーションを取り入れたにもかかわらず、こんにち定期的に演奏されているオペラは、唯一《ラ・ジョコンダ》だけとなっている。このオペラには、ソプラノの名アリア「私は死のう "Suicidio!"」やバレエ音楽「時の踊り Danza dell' Ore 」が含まれている。「時の踊り」はディズニー映画「ファンタジア」(1940年)に流用されて有名となった。その後、ナンシー・シナトラが歌う「レモンのキッス(Like I Do)」としてポピュラー・ソングにアレンジされたが、アメリカ本国より日本で人気があった。さらにその「レモンのキッス」をモチーフにして、小柳ゆきが「Lovin' You」の題でさらなるアレンジを行い、スマッシュ・ヒットを飛ばしている。

専門家?のHPから 棟梁日誌

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 このたびはラ・ジョコンダの演奏会にご来場いただきまして本当に有難うございました。 息子もラ・ジョコンダでは色々苦労もあったようですが終わってホッとしているようです。
 これからも皆様に感動与えることができたらと願っています。今年の9月より1年間イタリアに留学の予定です。12月には1度仕事のため帰ってくる予定です。これからも近くでの公演で都合が付きましたら
是非お願いいたします。 笛田・・母上さまからのメール

ジョコンダ 素晴らしいHPが