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貧践で世にみとめられなくても 

2006-05-14 | 無能唱元・唯心円成会
 貧践で世にみとめられなくても その身が気楽で 静かで 心に憂いがなければ
これを清福という
清福は余暇があって 身が気楽で 貧践でも心配のないのをいう貧践で世にみとめられなくても その身が気楽で 静かで 心に憂いがなければ
これを清福という
清福は余暇があって 身が気楽で 貧践でも心配のないのをいう・・・

    益軒先生の説かれることは・・聖人の楽しみ であり・・
    われら未だ聖人の道に至らず俗人にとって その境地に達するには 
    あまりに痩せ我慢を強いられ・・かえって苦しみを得るのでは?・・

例えば・・妻子を養い・・社長なら社員に給料を払い・・ひとり聖賢の道に楽しんで
いるわけには・・此れがうまく行かないときには 天地より与えられた至高の和の
元氣も失われてしまう・・

 俗人には俗人の楽しみがあり・・金儲け 成功 出世のこと・・
人生はゲームである と言って人も・・競争の興奮 勝負の楽しみ が我々に活気
と生きる力を与えていることも事実なのです・・そこには一喜一憂があり その憂いは
人間を悩ますもとではありましょうが 
その変転は生の活動と面白さを示し それを人は楽しんでもいる

 人間の心の貪欲さは しばしば平常心を奪い 静かな心境を乱し
人生の楽しみを失わせるものではありましょう・・聖人であろうとするあまりに
人生ゲームの楽しみまで捨ててしまうのは・・
 いわばこれは物質的なるものの楽しみです・・

益軒の説くところは精神的なるものの楽しみでありましょう・・
諺に・・花よりだんご と・・両方はともに人間にとって大切なもの
その優劣はつけがたいもの・・名実はともに優れて あってほしいもの・・

考えてみれば 益軒自身が功成り名遂げた大成功者なのです

ただ面白いのは 彼の大成功はかなり晩年になって 八十歳の頃・・
彼はそれまで 損軒 と名のっていた・・推測するに益軒は無欲清貪 
聖人の心境にあこがれていたのでは・・この損を益 に改名してから・・

 つまり益軒も世の俗人と同じく 自分を世に売り出さんと さまざまな工夫才覚を
重ねていたのではないかと推察される・・
しかしながら八十も近い晩年になって 
彼は 大きな悟りを得た その悟りとは彼一流の 楽しみの悟り です

人生は100メートル競争ではない いつも全力をあげて走ってばかりいると
いつかは倒れてしまうぞ              無能唱元・唯心円成会

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