令和6年6月21日(金)
八王子市長心寺②
寺内にある「西行塚」に因んで
西行を敬慕した芭蕉の句碑の建立が
企画されたものであろう。
<芭蕉句碑>
主監の「瀧見可屋」は
当時の先々代の住職で、
三世寛誉泰道大和尚・
俗名 瀧見泰道で、
俳句に熱心、八王子を代表する
近代俳壇を代表するひとり。
寺内に
「涼しさや
月下にならす
花鋏」
の句碑。
また、
八王子鑓水の永泉寺境内にも
「しばらくは
夢のかりきる
はな衣」
の句碑が建っている。
碑表の文字の執筆者「千秋庵」は
「新選俳諧年表」(大正十二年刊)
の大正八年の頃にみえる。
「鶴汀歿、二月十一日、
享年八十六、塩谷氏、名新吉、
千秋庵瑞夢仙と号す。美濃人」
と同一人物と考えられている。
又
「獅子門」とは美濃派とも言い、
蕉門十哲の一人各務支考の一派
である。
八王子市内の芭蕉句碑は
八王子市内の芭蕉句碑は
この他
「ひばりより
上にやすらふ
峠かな」
(天保十一年建立、浅川老人ホーム内)
「先たのむ
椎の木もあり
夏木立」
(明治四十三年)建立、鑓水永泉寺境内)
「しばらくは
花の上なる
月夜かな」
(建立年次不明、下恩方辺名)
「蝶の飛ぶ
ばかり野中の
日かげかな」
(昭和二十四再建、新町の永福稲荷)
などが知られている 。
文責 大東文化大学文学部教授
萩原 恭男 昭和五十九年甲子十一月>
と詳細に記載されている。
<可屋句碑>
可屋句碑は、
「涼しさや
月下にならす
花鋏」 。